近いようで近くない
短くて儚いBLですが読んでくださると嬉しいです!
雨が降っていた。
高2の4月。傘を差しながら校門をくぐるとき、僕はいつも少し遅れて登校する。理由は単純で、あいつが、宮田颯介が、来る前に教室に着いてしまうと、緊張で頭が真っ白になるからだ。
雨の日は特にそうだ。濡れた傘を畳む時間が必要で、下駄箱で少し手間取る。
でも今日は違った。
昇降口の前で、宮田が誰かと笑っていた。傘の雫が弾ける音の中、その笑い声だけがやけにはっきり聞こえた。
笑い声というより、息の抜けるような音だった。「はっ」とか「あー」とか、そういう感じの。宮田はうるさく笑わない。それでも、遠くからでもわかった。
僕は一瞬立ち止まって、また歩き出した。
こういう朝が、一番つらい。
あいつのそばにいないのが、僕じゃないということが僕を苦しめる。
僕の名前は中島蒼。
高校2年生、身長は平均より少し低くて、体育は学年で一番といっていいくらいダメだ。
体育の実技テストは僕の敵だ。バレーの投げるテストだと、男子と女子ではどこから投げるかが違う。とっても不公平だ。
唯一誇れるのは英語だけで、なぜかできる、なぜかわからない。小1のころから英語の授業があるからだろうか。それとも、一時期洋画を見まくっていたからだろうか。
リスニングも作文もほとんど困らない。先生にもたまに褒められる。
でもそれ以外は取り立てて何もない。
自分のことはだいたいそのくらいしか言えない。英語ができる、それだけだ。
宮田颯介は、僕と同じクラスになって最初の日から別格だった。
背が高くて、顔が綺麗で、運動ができて、勉強もできる。
それだけなら他にもいる。でも宮田には、人を引きつける何かがある。
うまく言葉にできないけど、そばにいると空気が少し変わる感じがする。
笑うと目元がくしゃっとなる。それがかわいいと思った。
かわいい、なんて言葉を男に使うのは変かもしれない。でも、本当にそうとしか言えなかった。
そして宮田がバスケをしている姿は美しい、きれいだ。さすがバスケ部だ。滴る汗さえも。
席替えで、宮田は窓際の前から二番目になった。僕は廊下側の真ん中あたり。
斜め後ろから、彼の横顔を見ることができた。授業中、先生の話を聞いているときの宮田の顔は、いつもの笑顔とは少し違った。
静かで、少し遠い。それだけで、朝が少し違うものになった。
宮田の周りにはいつも人がいた。
バスケ部の仲間、女子、後輩。
誰とでも自然に話せるらしく、僕みたいに言葉を選びすぎて黙り込むことがない。
場が詰まっても、宮田がいると何かが転がり始めた。そういうやつだった。
一方で、僕には友達と呼べる人間がほとんどいなかった。
隣の席の松本健吾は、よく話しかけてくれるいいやつだ。
健吾は小学校からの幼馴染で、僕が男が好きと知っている1人だ。
背が低くてまるっこい顔をしていて、コンビニのパンをいつもちぎって渡してくる。
「蒼、食う?」って毎回聞いてくる。断るとしばらくだまって自分で食べて、「やっぱうまいな」と言う。
その日常が僕は好きだった。
健吾は余計なことを聞かない。
聞かないけど、何かを察している節がある。そういうやつだった。
もうひとりは木村早紀。
女子だけど、健吾と3人でいることが多かった。入学式の時、すぐに話しかけてきた。
スポーツが得意で、背が小さいのに声がでかい。
授業中に先生の真似をして、こっそり笑わせてくる。
木村も僕が男好きということを知っている。
この3人が、僕の高校の世界のほぼ全部だった。
宮田はその外側にいた。遠くない。でも、近くもない。そういう距離。
宮田に話しかけようとしたのは、入学してから数えると7回ある。
1回目は五月の体育祭の準備で道具を運んでいたとき。
宮田が重そうな跳び箱の台を一人で持ち上げようとしていたから、「持つよ」と言おうとした。
でも声が出なくて、隣にいた別の男子が先に「俺持つわ」と言ってしまった。
2回目は給食の時間。宮田がトレーを持って席に戻ろうとしたとき、つまずいて箸が落ちた。
反射的に立ち上がって「大丈夫?」と言ったら、宮田が振り向いた。目が合った。
でも僕はそれだけで固まってしまって、先生がティッシュを持って来るのを突っ立ったまま見ていた。
あいつは笑って「ありがとう」と言ったけど、誰に言ったのかよくわからなかった。
3回目から7回目は、全部似たような感じだ。声をかけようとして、何か余計なことを考えすぎて、タイミングを逃した。
なぜ声が出ないのか、自分でもわかっている。
宮田を前にすると、何を言えばいいかじゃなくて、何を言ったらまずいかを先に考えてしまう。
変に思われたくない。引かれたくない。そういう防衛が先に立って、言葉より前に口が閉じる。
健吾には「蒼って宮田のこと苦手?」と聞かれた。「苦手じゃない」と答えた。
健吾はそれ以上聞かなかった。コンビニのパンをちぎって、「そっかー」とだけ言った。




