その脚を折ったもの
顎が落ちてきた。
首をすくめた。岩に額を押しつけた。背中が丸まる。
衝撃。体じゃない。背中の布が引っ張られている。ローブを噛んでいる。
巻き上げられる。首にフードの縁が食い込む。息が詰まる。体が岩から引きずり出されそうになる。手で岩の縁を掴んだ。指が滑る。
噛まれた——と思った。でも痛くない。歯が体に届いていない。だぶだぶのローブの布と、フードの厚みが、顎と体の間にある。
引っ張られている。首が苦しい。フードの紐が喉に食い込んでいる。
ぶちり。
布が千切れた。圧が消えて、岩の底にずり落ちる。
上で、蜘蛛が布を咀嚼している。吐き出した。布じゃ食えない。
もう一度、顎が降りてきた。今度は隙間に突っ込んでくる。
岩に挟まれた体の、横にある荷物を噛んだ。救急鞄。
がり。
硬いものを噛み砕く音。中の瓶が割れた。ガラスの破片と液体が飛び散る。顔にかかった。酒の匂い。消毒用の——空じゃなかった。鞄の底に一本残っていた。
顎が開いて、鞄を落とした。ガラスの破片が口の中を切ったのか、透明な液に赤いものが混じって岩を伝っている。
顎ではだめだと分かったのか。
脚が来た。
岩の隙間に、尖った先端が突き刺さってくる。こちらを掻き出そうとしている。爪が岩を削る音。火花が散った。
体を丸めて壁に押しつける。先端が頬の横を掠めた。毛が顔に触れる。冷たい。硬い毛。
もう一本。反対側からも来る。
左右から脚が突き刺さってくる。交互に。掻き出そうとしている。岩が割れる音がする。隙間が広がっていく。もう少しで体に届く。
遠くから、別の音がした。弦でも矢でもない。何かが硬いものに当たる、鈍い音。
弦の音がした。遠い。二つ。ほぼ同時。
いつもと違う音が岩の上から聞こえた。跳ね返る乾いた音じゃない。殻に食い込むような、短い音。
脚が止まった。一瞬だけ。蜘蛛の注意がそっちに向いた。
また弦の音。もう二つ。
蜘蛛が戻ってきた。今度は脚じゃない。
爪がフードに引っかかった。千切れかけのフードの布に。引っ張られる。首が伸びる。体が岩の隙間から引きずり出されていく。
手で岩を掴んだ。指が剥がされる。一本ずつ。
体が宙に浮いた。
フードの布一枚で、ぶら下がっている。首の後ろに布の縁が食い込んでいる。足の下に地面がない。風が足の裏に当たる。裸足の足に。
揺れている。蜘蛛の体が動くたびに、振り子のように。
弦の音が聞こえた。一つ。殻にめり込む音。もう一つ。同じ場所を射貫く音。
また別の音。鈍い。石が当たるような。蜘蛛の体が揺れた。でもこちらを離さない。
下から見上げている。腹の灰色。脚の付け根。その向こうに、顎がある。
顎が開いた。
今度はゆっくりと。狙いを定めている。
ローブがめくれ上がっている。宙吊りだから。腹が出ている。あばらの下。はらわたが詰まっているところ。ここをハイディのように溶かされたら、治せない。ここからちぎれる。こいつはそれを知っている。さっきの失敗から学んでいる。
顎が降りてくる。
ぱきん。
背中と脚に何かがぶつかった。予想していたのと違う衝撃。顎じゃない。
それからのことは覚えていない。
空が見えた。
横になっている。地面。草と土の匂いがする。岩の上じゃない。下。落ちたのだ。岩の上から転がり落ちた。いつ、どうやって。分からない。
痛くない。体のどこも痛くない。それがおかしいと思った。
音が聞こえている。遠い。岩の向こう側で何かが滑っている。爪が岩を掻く音。掻いて——掴めない音。
どさり。
重い音。
それから、静かになった。
痛みが来た。
一度に全部。背中と、腰と、右の肘と、左の膝。遅れて来た。さっきまでなかったものが、一気に体中に広がった。息を吸おうとして、あばらが軋んだ。
◇
岩の隙間から這い出した。
膝をついた。立てない。手が震えている。
寒い。
風がチュニックを通り抜けていく。ローブがない。靴もない。
見た。
蜘蛛がひっくり返っていた。
腹が上を向いている。脚が空を掻いている。何本かが変な方向に曲がっている。顎が、自分の折れた脚を噛んでいた。トドメを刺すはずだった顎が。
折れた脚にローブが絡みついている。救急鞄の紐も。暴れるたびにきつく巻きついていく。
脚の関節に白いものが見える。さっき自分が投げた包帯。石のように硬くなっている。
脚の関節のあたりに、矢が刺さっていた。四角い鏃が浅く食い込んでいる箇所。そのすぐ隣に、別の矢が深く貫通している。同じ場所を、二本で。それが何箇所も。岩の中で聞こえていた音。一つ目がめり込んで、二つ目が射貫いていた。
ニコとヴェルナーが駆け降りてきた。腹に向けて、二人がほぼ同時に射った。柔らかい腹に深く入った。
蜘蛛の脚がびくりと跳ねた。全部の脚が同時に。それから——止まった。
一本ずつ、ゆっくりと、丸まっていく。内側に。花が閉じるように。
◇
何かが肩にかかった。毛布。ゲルトだった。いつの間に来ていたのか分からない。
寒い。歯の根が噛み合わない。チュニック一枚では冬の風を止められない。毛布を握りしめた。
周りで人が動いている。
ニコがナタを手に蜘蛛の脚に取りついている。ヴェルナーが爪に絡んだローブの布を調べながら、折れた脚の先から爪を一本ずつ切り落としている。ナタンがローブの端を摘んで匂いを嗅いだ。「酸だな」と言って、ゲルトの方を見た。ゲルトはもう焚き火から灰を掻き出していた。
みんな動いている。自分だけが座っている。
分銅を渡さなきゃ。ゲルトが桶に灰汁を作って戻ってきた時、手を伸ばした。
「分銅」
ゲルトが受け取って、布で拭いて、革の袋にしまった。いつもの手つきで。それからナタンと一緒にローブを灰汁に浸した。羊毛の脂を落とすのと同じ手つきだった。
まだ寒い。毛布の下で、体が震え続けている。
動けないものを狙う蜘蛛が、自分の脚で動けなくなった。
獲物を捕える八本の脚。その脚を折ったのは、自分自身の力だった。




