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追放ヒーラーですが【発明者が医師】なのでガトリング砲を使います!  作者: とらいぽっど
ポッキン! ぐるぐる白タイツでおそろいコーデ!

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老羊とミラ

朝。


焚き火の灰はまだ温かかった。ミラが土をかける前に、灰の中に手を入れていた。


「……あったかい」


それから立ち上がって、荷台からヨーゼフの瓶を出した。瓶の水はとっくに冷めている。灰のそばに置いた。少しでも温めてから、飲ませるつもりらしい。


老羊は昨夜と同じ場所にいた。岩の風除けの端。群れからは離れている。


ミラが近づいた。


「……ハイディ」


小さく呼んだ。昨夜、羊飼いがそう呼んでいた。


ゲルトが焚き火の灰をならしながら言った。


「ナタンの群れは三十頭だったか。一人で回してるのか」


誰に聞くでもなく。独り言みたいだった。


老羊が顔を上げた。


昨夜、何度か体を擦った。最初は身を引いた。最後の方は、耳が動く程度になった。嫌がってはいない。でもまだ慣れてもいない。


ミラがしゃがんだ。手を出さなかった。


隣に座った。それだけ。


しばらく、二人とも動かなかった。



 ◇



「水、飲む?」


ミラが瓶を傾けた。掌に少し出す。ぬるい。灰のそばに置いたぶん、冷たくはない。


老羊の鼻が動いた。


掌に鼻を寄せた。匂いを嗅いでいる。水の匂い。硫黄の匂い。ブレンハイムの源泉の残り。


舌が出た。ちゃぷ、と小さな音。掌の水を舐めた。


「……飲んだ」


ミラの声が小さい。


もう少し出した。老羊がまた舐めた。


三度目は、ミラの指もいっしょに舐めた。


「くすぐったい」


ミラが手を引っ込めなかった。



 ◇



ニコがフリッツを連れて戻ってきた。朝のトイレ。


「あの羊——ハイディだっけか。水飲んだか」


「うん。掌から」


「掌から飲むのは信用してる証拠だ。……桶だと顔突っ込むだけで済むからな」


ニコが通り過ぎていった。ミラの顔が少しだけ明るくなった。



 ◇



日が昇った。


群れが動き始めた。ナタンが杖で先頭を導いている。ネリが横について、はぐれそうな羊を追い返す。


ネリはさっきまでそこらじゅうを嗅ぎ回って、石の陰を覗いて、草の上を転がっていた。落ち着きのない犬だった。でも群れが動き出した途端、別の犬になる。低い姿勢で走って、はみ出した羊の前に回り込む。


草地の端まで行って、折り返して、また戻ってくる。ナタンの一日はこれの繰り返しらしい。毎日同じ場所ではない。昨日の草を食べ尽くしたら、少しずらす。


ハイディがついていこうとしていた。


前脚が出る。後ろ脚がついてくる。遅い。若い羊なら一歩で追いつく距離が、ハイディには三歩かかる。群れの最後尾がもう見えなくなりかけている。


ミラがハイディの横を歩いていた。手は触れていない。ただ、同じ速さで歩いている。


ハイディが立ち止まった。前脚が震えている。


ミラも止まった。


「……休む?」


ハイディが草に鼻を下ろした。食べている。食べているというより、口を動かしている。歯がすり減っているのだろう。冬枯れの草を噛み切れないまま、口の中で転がしている。


ミラはその隣にしゃがんで、地面の草をむしっていた。枯れたのと、まだ少し青いのと。青い方を選んで、短くちぎって、ハイディの鼻先に差し出した。


ハイディが青い草を食べた。


短くしたぶん、噛みやすかったのかもしれない。


もう一つちぎろうとした時、横から頭が突っ込んできた。


若い羊だった。群れからはぐれて、こっちに来てしまったらしい。ミラの手に鼻を押しつけている。草がほしいわけではない。さっきまで群れの中で腹いっぱい食べていた。腹がふくれて、興味が草以外に移っているだけだ。


ハイディが一歩引いた。


「ちょっと、待って」


ミラが体で若い羊とハイディの間に入った。若い羊の頭を押し返す。


「あなたはもう食べたでしょ。こっちは食べてるの」


若い羊はミラの指を舐めて、まだ離れない。ミラが立ち上がって、群れの方に向けてぽんと背中を叩いた。若い羊がとてとて走っていった。途中で別の岩に鼻を突っ込んでいる。好奇心の塊だった。


ナタンが遠くから見ていた。


「ツェッペ」


低い声だった。叱っているのか、呼んでいるのか。


ミラがハイディの方に戻った。しゃがみ直して、また青い草をちぎった。


「ごめんね。はい」


ハイディが鼻を寄せた。ミラの指ごと、口に入れた。


噛まれなかった。羊の上顎には前歯がない。湿った歯茎と、ざらざらの舌が指に巻きついて、草だけ持っていった。


「……へんなの」


ミラが指を見た。唾液で光っている。拭かなかった。



 ◇



リリアは荷車の近くにいた。


救急鞄を開けて、中身を並べていた。包帯の在庫。薬瓶。軟膏。ブレンハイムで補充したぶん。


ゲルトが荷の点検をしている。ヴェルナーが尾根の先を見ている。ニコは弓の手入れをしている。


ミラが草地を歩いている。ハイディの横を。


見ていると、歩き方が変わっていた。


朝はハイディの横にいた。今は少し前にいる。半歩だけ。ハイディがミラの背中を見て歩いている。


ナタンが杖に顎を載せて、同じものを見ていた。



 ◇



昼。


ミラが荷台に戻ってきた。手が赤い。冷たい風の中をずっと歩いていたから。


リリアがミラの手を取った。指の腹に細い線が何本か走っている。草で切れている。冬枯れの草の縁は刃物みたいに鋭い。


「……痛くなかった?」


「ちょっとだけ。ぴりっとした」


リリアが指先に光をかけた。緑。薄い。切り傷が閉じていく。


「草をむしる時、ナイフ使わなかったの」


ミラの腰を見た。革のケースがぶら下がっている。自分で稼いだお金で買った、自慢の持ち物。


「……ナイフは、汚したくなくて」


「汚していいよ。洗えばいいんだから。……それより手袋。傷が開いたまま土を触ると、膿むよ」


ミラが自分の手を見た。切り傷は消えている。でもさっきまで傷口が開いたまま蹄の裏を掃除していた。


「……うん」


リリアが水筒の水で布を湿らせた。ミラの指の間を拭いた。唾液と、草の汁と、土。


「動物を触った後は、拭くの。ご飯の前も」


「……水、もったいなくない?」


「手だけなら、ほんの少しで済む。布を湿らせるだけでいい」


リリアが布を絞った。水は数滴。それだけ。


「はい、おしまい。——手、出して」


今度は回復魔法はかけない。優しく包んだ。手で温めるだけ。


「……あったかい」


「リリアはいつもあったかい」


「そう?」


「うん。ヨーゼフのお湯より長持ちする」


リリアが笑った。ミラは笑っていない。真剣に言っている。



 ◇



午後。


ミラがハイディの蹄を見ていた。持ち上げようとしている。


羊の脚は、ロバより細い。持ち上げ方が違う。ロバは前から膝の裏に手を入れて折り曲げる。羊は横から体を寄せて、脚をすくい上げる。


ミラが何度かやり直していた。ハイディが嫌がって脚を引く。若い羊より踏ん張りが弱い。バランスを崩しかけて、ミラの方によろめいた。


「……ごめん」


ミラが手を離した。


ナタンが近くに来ていた。いつの間にか。


何も言わない。杖を置いて、ハイディのそばにしゃがんだ。


自分の体をハイディの横腹に当てた。ハイディが体重を反対側に預ける。慣れている。何年もこうしてきた体の合わせ方。そのまま脚をすくった。


ミラが見ている。


ナタンが蹄の裏を見せた。汚れが詰まっている。小石も一つ。


ミラが枝を取りに行って、戻ってきた。ナタンが脚を支えている間に、ミラが蹄の裏を掃除した。


「……ロバと違う」


「羊は倒れるのが怖い。体を支えてやれば、脚を預ける」


ナタンが初めて、ミラに直接話しかけた。


ミラがうなずいた。


「もう片方も」


ナタンが体を当て直した。ミラが反対の脚をやった。今度は一回で持ち上がった。


ヴェルナーが少し離れた岩に腰を下ろして、それを見ていた。何も言わない。弓を膝に載せたまま、ミラの手元を見ていた。


ミラが枝を置いた。終わり、と思って立ち上がりかけた時。


「石を取った後」


ヴェルナーの声だった。ミラが振り向いた。


「蹄の横を触ってみろ。熱がないか」


ミラがしゃがみ直した。ハイディの蹄の横に手を当てた。


「……冷たい」


「なら大丈夫だ。石が挟まったまま歩くと、中が腫れて熱を持つ。そうなったら手遅れだ」


ナタンがちらっとヴェルナーを見た。何も言わなかった。


「蹄の縁も見ろ。端がざらざらしてないか。薄く剥がれかけてるところがないか」


ミラが指で蹄の縁をなぞった。


「……ここ、少しざらざらする」


「冬は乾燥で蹄がもろくなる。そこから割れる。裂蹄っていう。ひどくなると中まで裂けて血が出る」


ヴェルナーが岩から腰を上げて、近づいてきた。


「裏をもう一回見せろ」


ナタンが体を支え直した。ミラが脚を持ち上げる。二回目は迷わなかった。


ヴェルナーが蹄の裏を覗き込んだ。


「白い線が走ってるだろう。蹄の縁に沿って」


「……うん」


「そこに黒い筋がないか。泥が入り込んだみたいな」


ミラが目を凝らした。


「……ない。白いまま」


「なら、いい。黒くなってたら、中に砂や泥が入り込んで腐り始めてる。蟻道っていう。蟻が歩く道みたいに、中に細い穴ができる。放っておくと蹄の中が空っぽになる」


「最後。鼻を近づけてみろ」


ミラが蹄に顔を寄せた。


「……土の匂い」


「それでいい。溝に汚れが詰まったまま放っておくと、中が腐る。腐ったら匂いですぐ分かる。目で見て分からなくても、鼻で分かる」


ヴェルナーが一歩下がった。


「石を取るだけじゃ足りない。熱と、縁と、白い線と、匂い。まずこの四つ」


ヴェルナーが弓を膝に戻しかけて、止まった。


「あと。もし四つのどれかで何かあったら、自分でどうにかしようとするな。大人に言え。俺でもナタンでもゲルトでもいい。たてこんでたり、話しづらくても、後回しにするな。絶対に」


ミラがヴェルナーを見た。


「蹄は、遅れたら取り返しがつかない」


それだけ言って、弓の弦に目を戻した。



 ◇



夕方。


群れが戻ってきた。ナタンの焚き火の周りに集まってくる。灰色と白の毛の塊が、重なり合って丸くなっていく。群れで固まって体温を分け合う。


ハイディはその輪に入れない。遅れて戻ってきて、群れの端にいる。若い羊が押し合って場所を取るのに、ハイディは押し返す力がない。


ミラがモリーを連れてきた。


ハイディの隣に、モリーを繋いだ。


モリーがハイディの匂いを嗅いだ。鼻先が触れている。ハイディが耳を動かした。


モリーが横たわった。モリーの腹がハイディの背中に触れている。


ロバは体が大きい。体温が高い。


ハイディがモリーの方に体を寄せた。ゆっくり。脚を折りたたむのに時間がかかる。くっついた。


「……あったかいでしょ、ハイディ」


ミラがモリーの首を撫でた。モリーが鼻を鳴らした。ミラの手が次にハイディに移った。ハイディは逃げなかった。


ゲルトが荷車の上から見ていた。モリーを貸し出されたことに文句はない顔をしていた。



 ◇



夜。


焚き火のそばで、ミラがハイディの毛を梳いていた。


指で。道具はない。ごわごわの毛を、少しずつほぐしている。毛の中に枯れ草やゴミが絡まっている。一つずつ取り除いている。


「何してんだ」


ニコが聞いた。


「毛が絡まってると空気が入らない。空気が入らないとあったかくならない」


「……誰に聞いた」


「ゲルトさんが、冬の毛皮はブラシかけろって言ってた。同じだと思って」


ニコが黙った。


ナタンが焚き火の向こうにいた。杖を膝に渡して、暗闇を見ている。


「……慣れてるな」


低い声だった。ミラに向けた言葉か、独り言か。


「慣れてない。羊は初めて」


ミラが答えた。毛を梳く手は止まらない。


「ロバだけ。犬はまだ触らせてもらえない」


フリッツの方をちらっと見た。フリッツは焚き火から少し離れたところで伏せている。耳がぴくぴく動いている。


ナタンが何か言おうとして、やめた。



 ◇



ミラがハイディの横に座ったまま、目を閉じていた。


手がハイディの背中に載っている。ハイディもミラの方に体を預けている。モリーがその向こうで横たわっている。三つの体温が重なっている。


リリアは焚き火の反対側で、膝を抱えていた。


——この子はいつも、こうだ。


教わったことを、自分の手で試す。うまくいかなければ聞く。聞いたことを、次にはもうやっている。


今朝、ハイディはミラの手を避けていた。


今は、体を預けて眠っている。


一日で。


嬉しい。


胸の奥がきゅっとなるのは、きっと、嬉しいからだ。

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