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追放ヒーラーですが【発明者が医師】なのでガトリング砲を使います!  作者: とらいぽっど
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朝霧の出発

よく眠れた。


昨夜、ブルーノが食堂に残った全員に言ったのだ。「今夜は俺が見張る。お前たちは寝ろ。酒も抜け」


カタリナは蒸し風呂と水風呂を済ませて、すぐに部屋へ引っ込んだ。ニコもゲルトもそれに続いて、食堂は早くに灯りが消えた。明日の朝までに体を整えておけ、という意味だった。


ミラが隣にいる。何も言わずに布団に入ってきた。昨夜の食堂で、カタリナが「子供が次に狙われる」と言ったのを聞いていたのだろう。怖かったのだと思う。でもそれを口にはしない子だ。


ミラの手が、リリアの服の裾を掴んでいる。眠ると、起きている時の遠慮が全部なくなる。指が小さくて、握る力は弱いのに、布だけはしっかり掴んでいる。


そっと指を外して、毛布を肩にかけ直した。



食堂に降りると、ブルーノが厨房に立っている。


鍋に湯を沸かしている。目の下に隈が濃い。一晩中、この宿を守っていた男の顔だ。でも動きに疲れはない。湯を注ぎ、パンを出し、干し肉を切る手つきが淡々としている。これがこの人の日常なのだろう。宿を預かる者の、当たり前の朝。


ニコがもう卓についていた。弓の弦を張り替えながら、手元から目を上げずに聞く。


「何もなかったか」とニコがブルーノに聞いた。


「静かなもんだ。鶏小屋も無事だった」


「それはありがたい」


ブルーノが薬草茶を大きなポットで淹れた。蜂蜜酒は出さなかった。昨夜の「酒も抜け」は今朝まで続いている。


カタリナが食堂に入ってくる。


髪を後ろで一つに束ねて、革のコートの袖を肘までまくっている。昨日、湯浴み着で蜂蜜酒を飲んでいた女とは別人の顔。目がもう外を見ている。


「おはよう。よく寝た?」


カタリナがニコの差し出した薬草茶を受け取って一口飲み、苦い顔をした。


「にっが。——おかげさまで、よく寝た」


昨夜と同じ感想。でも今朝はそのまま二口目を飲んだ。パンをちぎって口に入れながら、食堂にいる顔を見回す。


「さて。今日の話をしよう」


声の調子が変わっている。さっきまでの食卓の声じゃない。





「人は出さない」


カタリナの最初の一言がそれだった。


ブルーノが湯を注ぐ手を止めた。


「山狩りは? 猟師を何人か出せるぞ。ギルドの連中も——」


「ブルーノさん」


カタリナが薬草茶の器を静かに卓に置いた。


「リザードマンは人を食う生き物だよ。戦ってるんじゃなくて、食事してるの。噛みつかれたら終わり。腕一本で済めばいい方」


誰も口を開かなかった。


「山狩りの要領で人を散らしたら、慣れてない人間はあいつらの餌になるだけ。窪地の地形も悪い。大勢で入って各個に食われたら、助けに行く余裕もない」


ブルーノの手が鍋の柄を握ったままになっている。自分の土地を守りたい。人を出したい。でもカタリナの言葉には、実際にリザードマンと戦った人間の重さがある。


「少ない方がいいんだ。自分の身は自分で守れる人間だけ。弓が使えて、足が速くて、地形が分かる。——それだけいれば、いい」


最後の「いい」に力が乗っていた。大丈夫だという意味だ。


ニコが弓の弦を指で弾いた。ぴん、と張り詰めた音が食堂に落ちる。


「灰色の個体には弓は効くか」


「効く。喉と腹の下は鱗が薄い。急所を狙えるなら」


「やれる」


迷いのない声だった。弦を張り終えた弓を肩にかけ直す手つきも同じ。





食堂の戸が開いて、冷たい朝の空気が流れ込んでくる。


昨夜、鶏の被害を報告しに来た猟師だ。名前はヨーゼフ。ブレンハイムの生まれで、この谷を子供の頃から歩いてきた男だという。弓を背負ったまま卓につき、ブルーノが出した湯呑みには手をつけずに、カタリナの方を見ている。


「あんたが風の魔法使いか」


カタリナがヨーゼフに向き直った。


「そう。——源泉の奥の地形は分かる?」


「分かる」


短く答えて、続けた。


「窪地がある。昔はそこに鹿が水を飲みに来ていたが、この一月ほど獣の気配がない。鳥も飛ばなくなった」


カタリナの指が器の縁を叩く。こつ、こつ。考えている時の癖らしい。


ヨーゼフが腕を組んだ。声が少し低くなる。


「あの窪地は——毒が溜まることがある」


卓を囲む全員の手が止まった。


「源泉から流れ出る気が、風のない日に底に沈むんだ。鹿や兎が死んでいることがあった」


ヨーゼフは間を置いて、続けた。


「親父に教わった。谷底で動物が倒れていたら、絶対に降りるな、と。鼻が利かなくなるか、濃すぎて匂わなくなるか——匂いがしない時の方が、危ない」


猟師の声は淡々としている。山で生きてきた人間が、山の掟を語っているだけだ。


でもその言葉が、リリアの頭の中で何かと繋がりかけた。


——毒の空気が、底に溜まる。


温泉の硫黄。あの匂い。あれが濃くなったら。もっと濃くなったら。


何かが、形になりかけて——消えた。まだ掴めない。


カタリナが小さく頷いていた。何かを確かめるような、静かな動き。


もう一人、輸送隊の護衛のアーチャーが名乗り出ていた。翌朝発の便の警護担当で、名前はヴェルナー。ニコより若く、手の動きが落ち着かないのが分かる。でも弓を持つ手だけは震えていない。


ゲルトが卓の端から声をかけた。


「輸送隊の出発は、これが片付くまで止めてある」


五人。カタリナ、リリア、ニコ、ヨーゼフ、ヴェルナー。


カタリナが指を折りながら数えた。


「弓が二人に、土地を知ってる猟師が一人、風が使える私と、ヒーラーが一人。——前にリザードマンを退治した時は、冒険者が八人いたけどね」


それから、あっけらかんと笑った。


「ま、帰りは五人だったし。変わらないか」





ミラが食堂に降りてきた。


いつもの寝ぼけた顔ではなかった。目がちゃんと開いている。昨夜は早く寝たのだ。ブルーノに言われた通りに。


卓のパンに手を伸ばして一口かじってから、リリアの隣に座った。


「ミラ。グレイとモリーの世話、お願いしていい? 輸送隊のロバも」


ミラが頷く。パンをかじりながら。


「ルッツの家族に、山越えの支度を手伝ってほしいの。万が一の時に、すぐ動けるように」


もう一度、頷く。何も聞き返さない。自分がやるべきことを分かっている顔をしている。


ブルーノが鍋の火を落として、こちらを向いた。


「宿はこっちで守る。ギルドの連中にも声をかけてある」


カタリナが立ち上がった。


「お願いします」





支度をしている間に、ミラが救急鞄を持ってきた。


「忘れてた」


忘れていなかった。でもミラが持ってこなければ、本当に忘れていたかもしれない。鞄を受け取って、薬瓶の蓋を指で押さえ、包帯の巻きを確かめ、留め金を閉じた。


ミラがまだ立っている。鞄を渡した手が、行き場を探すように下がって、自分の腰紐のナイフに触れた。


「……気をつけて」


声が小さい。


「うん」


何か、もう一言。ヴェグシャイトの時は「死なないで」とは言わなかった。コンラートの崖下に向かった時も、籠城の夜も。この子はいつも、一番怖いことを口にしない。


代わりにミラの頭に手を置いた。髪がはねている。直してやろうとすると、ミラが自分の手で押さえた。


「……自分でやる」


「……うん」


手を引く。ミラが一歩下がる。


昨夜、布団の中で裾を掴んでいた手。今はもう、一歩の向こう側にある。





宿を出た。


朝の空気が冷たく、谷に沿って温泉の湯気が白く棚引いている。


カタリナが先頭を歩きながら、片手を軽く上げた。


正面から風が吹いてきた。前髪が後ろに流れる。谷の奥から、こちらに向かって。


硫黄の匂いが強くなった。源泉の方から、風に乗って流れてくる。


「向かい風を作ってる」


カタリナが振り返らずに言った。


「こっちの匂いを後ろに飛ばしてるの。あいつらは鼻がいいからね。人間の臭いが谷の奥まで届いたら、着く前にバレる」


ヨーゼフが先に立って道を選んでいく。宿の裏手から石灰華の斜面を下り、朝湯に使う露天の横を通り過ぎた。湯の匂いが濃い。足元の石灰華が朝露で滑る。


「ここから先が源泉だ」


ヨーゼフが指した先に、斜面の下に湯が湧いている場所があった。岩の割れ目から透明な湯が染み出して、浅い池を作っている。湯気が低く漂って、池の縁に白い結晶がこびりついている。


思わず足を止めていた。


しゃがんで、指を入れる。


——熱い。宿の湯よりずっと熱い。


これが源泉の温度だ。湯の色は透明だが、匂いが鋭い。指先がひりひりする。舐めたら舌を刺すだろう。皮膚病の治療に使えるくらい、強い湯だ。宿の湯はここから引いた水を冷ましてから使っているのだろう。


「温度が高い。湯の力も強い」


口に出していた。泉質を見る癖が出ている。ミラに「黙って浸かって」と言われた、あの癖。


ニコが横を通り過ぎながら呟いた。


「今そこ見るところか」


「……ごめんなさい」


カタリナが小さく笑って、何も言わずに先を歩いていった。


源泉の位置を覚えた。宿から斜面を下って、歩いて半刻ほど。道は一本。迷いようがない。


ここから先は、さらに下る。道は斜面に沿って続いていて、据え付けるような平地がどこにもない。ずっと傾いている。草が低くなっていく。硫黄のせいで大きな木が育たないのだろう。地面が白っぽく、石灰と硫黄が混じった土の匂いがする。


鼻の奥を刺すものが混じり始めたのは、源泉を過ぎてからだった。温泉の湯気とは違う。もっと重い。低いところに這うように漂っている。肺の奥に届く前に、鼻の手前で止まる——そういう匂いだ。


ヨーゼフの歩みが止まった。振り返る。


「ここから下は、風のない日には降りるな。——俺は何度も言われた」


目が遠い。子供の頃に父親から言われた時の顔。その教えに今も従っている男の、静かな目だった。


カタリナが頷いた。


谷が狭くなった。両側の岩壁が迫ってきて、通れるのは一人ずつ。ヨーゼフ、カタリナ、リリア、ニコ、ヴェルナーの順で通り抜けた。岩に手をつくと白くなる。硫黄だ。


狭い道を抜けた先で、視界が一気に開けた。


——窪地。


下に浅い水が溜まって、白い湯気が立ちこめている。源泉の下流なのだろう。窪地の全体がぬるい湯に浸かっていて、水面に白いものが並んでいた。


拳より少し大きい。半分沈んで、半分浮いて。十。二十。それ以上。温かい湯に温められて、静かに並んでいる。


——卵だ。


動くものは見えない。


カタリナが風を読んでいる。目を閉じて、長い息を吐いた。風の感触で窪地の中を探っているのだろう。


しばらくして、目を開けた。


あの顔だった。


ルッツの部屋で窓の外を見た時。食堂で脱皮の皮を手に取った時。笑みの形だけ残して、中身が別のものに入れ替わる——あの一瞬の切り替わり。


最初に見た時は、何が変わったのか分からなかった。二度目は、声が違うと思った。三度目の今、やっと分かる。この人は最初からこの目をしていたのだ。蜂蜜酒を飲んで、温泉に浸かって、子供に風を見せて笑っている間も、この目がずっと奥にあった。


二か月、山で一人だと言っていた。掃除みたいなもの、と笑っていた。堅パンで歯が欠けそうだったと。


——この目で、一人で戦っていたのか。


山に潜むものを追い詰めて、仕留めて。それを掃除と呼んで、降りてきたら温泉で笑っている。


傷つき血が流れても、そばにヒーラーはいない。自分で塞いで、自分で巻いて、また歩く。


知っている。戦場のヒーラーも同じだった。他人の傷は治せる。自分の傷は、自分で縫う。


「中に灰色の個体。……十五から二十」


ニコが弓に手をかけた。


「デカいのは?」


「外にいる。窪地の向こう側。巡回してるみたいだ」


カタリナの視線が窪地の奥に向いている。風の流れが、この人の手の延長にある。


「まず中を閉じる。出てきてるのがリーダーだけなら、群れを先に閉じ込めた方がいい」


窪地の上に風の蓋をする。群れは出られなくなる。


カタリナの声が低くなった。


「……問題は、外にいる黒いの。あいつだけは蓋の外にいる」


五人が窪地の縁に立っている。


朝日が水面を白く光らせていた。卵が並んでいる。温かくて、静かで、命が生まれようとしている場所だった。ここだけ見れば——穏やかな、誰にも邪魔されない揺り籠だった。


カタリナが片手を上げた。


「——始めるよ」


風が、変わった。

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