救援要請
村の門が見えた。
足が重い。体も重い。誰も何も言わない。剣を引きずる音だけが、夜道に響いていた。
◇
門番が駆け寄ってきた。
「戻ったか……! 怪我人は」
「軽傷が数人。命に別状はない」
コンラートが答えた。声に力がない。
門番の顔が曇る。聞きたいことがあるのだろう。でも、聞けない。答えは顔に書いてある。
◇
「リリア!」
小さな影が走ってきた。
ミラだった。息を切らして、リリアの前で止まる。上から下まで見て、傷がないか確かめている。
「……無事」
「うん。無事だよ」
ミラの肩から力が抜けた。
◇
ギルドに入る。
イルマが待っていた。冒険者たちの顔を見て、何も聞かずに椅子を出す。
「……みんな、座って。報告は座ってからでいいから」
コンラートが腰を下ろした。他の冒険者たちも続く。
リリアは壁際に立った。ミラが隣にいる。
◇
「風車と倉庫は」
イルマが聞いた。
「食糧は、ほぼ全滅だ」
コンラートの声が、ギルドに重く落ちた。
「運び込んだ分は?」
「備蓄庫にある分だけが残った」
イルマが目を閉じた。
「……何日持つの」
「一週間。切り詰めても、十日が限界だ」
◇
誰も何も言わなかった。
一週間。たった一週間。
その間に、どうにかしなければ——全員が飢える。
◇
翌朝から、村が動き出した。
配給制が始まった。一人あたりの食糧が決められて、朝と夕に分けて配られる。
列ができていた。老人も、子供も、黙って並んでいる。
誰も文句を言わない。言っても仕方がないと分かっている。
◇
人手が足りなかった。
大人は防衛の準備がある。柵の補強、武器の手入れ、見張りの交代。やることは山ほどあった。
子供たちが駆り出された。
水汲み、薪運び、配給の手伝い。小さな手が、あちこちで動いていた。
◇
ミラもその中にいた。
井戸から水を汲んで、桶を運んでいる。両手で抱えて、少し前かがみになって。
——重いだろうに。
でも、ミラは止まらない。一歩ずつ、ゆっくり、でも確実に歩いている。
「……手伝おうか」
声をかけた。
ミラが首を振った。
「リリアは怪我人を」
それだけ言って、また歩き出した。
その背中が、少しだけ大きく見えた。
◇
リリアはギルドに戻った。
軽傷の冒険者たちがいた。昨夜の戦闘で負った傷。回復魔法で治したが、まだ体力が戻っていない者もいる。
「休んでいてください。無理に動くと、傷が開きます」
「……すまねえな」
若い冒険者が苦笑した。
◇
昼過ぎ。
イルマがギルドの奥に入っていった。
リリアは知らなかったが、そこに緊急用の魔法通信具があるらしい。普段は使わない。使う事態が、今まで起きなかったからだ。
◇
しばらくして、イルマが戻ってきた。
顔色が悪い。
「……どうだった」
コンラートが聞く。
「南の村。ゴーレムの被害で復旧中だって。人を出す余裕がないって」
「他は」
「東の駐屯地。人は出せるが、到着まで五日かかる。間に合わない」
コンラートが舌打ちした。
「フェンリルがいる。並の増援では——」
「分かってるわ」
イルマが首を振った。
「だから、上に繋いだの」
◇
「上?」
コンラートが聞き返した。
「私の出身の魔法学校に連絡を取ったの。そこからグランドマスターに繋いでもらった」
リリアは息を呑んだ。
グランドマスター。魔法学校の最高位。大陸に五人しかいない、最強の魔法使いたち。
「……来てくれるの?」
「一人だけ、近くにいたわ。カタリナ・ヴェスター。風のグランドマスター」
イルマが地図を広げた。
「今、高速馬車で向かってるって。到着まで——三日」
「三日……」
「それまで持ちこたえて、って言われたわ」
◇
三日。
食糧は一週間分ある。三日なら、持つ。
でも——狼たちが、三日も待ってくれるだろうか。
◇
夕方。
コンラートが冒険者を集めた。
「籠城する」
短く言った。
「備蓄庫は石造りだ。窓がない。扉は一つ。守りやすい」
「村人は全員、備蓄庫に入れる。冒険者は交代で見張り。それ以外は休め」
誰も異論はなかった。
◇
ニコがミラを呼んだ。
「お前、厩舎の見張りをやれるか」
ミラが頷いた。
ニコが口笛を吹いた。短く、二回。
グレイとモリーが耳を立てた。ニコの方を見る。
「こいつの言うことを聞くんだぞ」
ニコがミラの肩に手を置いた。グレイが鼻を鳴らした。分かった、とでも言うように。
「グレイとモリーの近くにいろ。何かあったら、縄を解いてやれ。あいつらは賢い。自分で逃げられる」
「……うん」
「お前は備蓄庫に走れ。いいな」
「……うん」
「夜は冷える。ギルドから野営用の布団を借りてやる。テントもだ」
ニコがミラの頭をぽんと叩いた。
「頼んだぞ」
◇
リリアはその様子を見ていた。
ミラが仕事を任されている。大人に頼りにされている。
——いつの間に、こんなに。
嬉しい。嬉しいはずなのに、胸の奥がきゅっとなる。
◇
日が暮れた。
村人たちが備蓄庫に移動していく。毛布を抱えた老人。子供を抱いた母親。みんな、黙って歩いている。
◇
ルッツの姿が見えた。
顔色が悪い。唇に血の気がない。父親に手を引かれて、ゆっくり歩いている。
「ルッツくん」
声をかけた。
ルッツが顔を上げた。笑おうとして、うまく笑えていない。
「……リリアさん」
「体調、どう?」
「……だいじょうぶ」
嘘だ、と思った。でも、今ここで問い詰めても仕方がない。
「何かあったら、すぐ呼んでね」
ルッツが小さく頷いた。
◇
信者の男がいる。
列の最後尾。配給を受け取らずに、ただ立っている。
「……食べないんですか」
聞いてみる。
男は答えない。目が、どこか遠くを見ている。
「これは神の裁きだ」
ぽつりと言った。
「抗っても無駄だ。受け入れるしかない」
リリアは何も言えなかった。
◇
夜が来た。
備蓄庫の中は、人でいっぱいだった。毛布にくるまった村人たちが、壁際に並んでいる。子供の泣き声が聞こえる。誰かが咳をしている。
暖炉に火が入っていた。石造りの建物は冷えるが、これだけ人がいれば、体温で少しは暖かくなる。
◇
リリアは隅に座っていた。
ミラは厩舎にいる。一人で。
——一緒に寝ようか、と言おうとした。
でも、ミラは首を振るだろう。
「リリアは暖房のあるところで休んで」
そう言うだろう。
だから、言わなかった。
◇
遠くで、遠吠えが聞こえた。
一つ。二つ。三つ。
重なり合って、夜空に響いていく。
狼たちは、待っている。
◇
備蓄庫の中が、しんと静まり返った。
子供の泣き声も止んだ。
誰もが、息を潜めて、その声を聞いていた。
◇
三日。
あと三日、持ちこたえればいい。
リリアは目を閉じた。
——大丈夫。
——きっと、大丈夫。
そう言い聞かせながら、眠りに落ちていった。




