防衛線
朝。コンラートがギルドの前に冒険者を集めた。
「村はずれの風車と倉庫。あそこに食糧がある」
全員が聞いている。ハインツとユルゲンもいる。昨日まで寝台にいた二人が、武器を持って立っていた。
「今日中に村へ運び込む。それから——あそこで迎え撃つ」
イルマが地図を広げた。村の南東、街道から少し外れた場所に、風車と倉庫が並んでいる。
「風車は高い。見張りに使える。倉庫は三棟。うち一棟を空にして、囮にする」
コンラートの指が地図をなぞった。
「囮の倉庫に餌を置く。釣られた奴らを閉じ込めて、本隊を火で分断する。残りは風車を背に迎え撃つ」
誰も口を挟まない。
「質問は」
「火は誰が」ハインツが聞いた。
「お前とユルゲンで油を撒け。松明で着火」
コンラートがリリアを見た。
「ヒーラー。何かあるか」
リリアは一歩前に出た。
「嗅ぎ塩があります。回復魔法で強化すれば、狼の鼻を潰せます」
「どう使う」
「矢に括りつけて、囮の倉庫に撃ち込めば」
コンラートがニコを見た。ニコが頷いた。
「やれる」
「それでいく」
◇
物資の運び出しが始まった。
風車の中には小麦粉の袋が積まれていた。倉庫には干し肉、塩漬けの魚、根菜、油の樽。村人たちが列を作って、荷車に積み込んでいく。
リリアも運んだ。小麦粉の袋は重い。肩に担いで、村の備蓄庫まで歩く。備蓄庫は石造りで、窓がない。本来は軍が攻めてきた時のシェルターだと、イルマが言っていた。
何往復もした。腕が痺れてくる。それでも、手を止める人は誰もいなかった。
◇
昼過ぎ。ニコがミラを呼んだ。
「ちょっと来い」
ギルドの裏手に厩がある。グレイとモリーが繋がれていた。
「いいか、よく見ろ」
ニコがロバの綱を手に取った。
「この結び目。こうやって——引っ張ると、解ける」
ミラが見ている。真剣な目だった。
「やってみろ」
ミラが綱に手を伸ばした。引っ張る。結び目が解けた。
「もう一回」
ニコが結び直した。ミラがまた解いた。今度は迷いなく。
「いざという時は、こいつらと逃げろ。グレイは足が速い。モリーは小さいが、粘り強い」
「……ニコさんは」
「俺は弓がある。前で戦う」
ニコがグレイの首を叩いた。
「こいつらを頼んだ」
ミラが頷いた。
◇
ゲルトが厩の隅で、ロバの荷を整えていた。
「俺は村に残る」
「……一緒に行かないの?」ミラが聞いた。
「いざって時に、誰かが残ってないとな。村の連中も逃げられなくなる」
ゲルトがモリーの耳を撫でた。
「お前さんたち、生きて帰ってこい」
◇
夕方。風車の前に、冒険者が集まった。
コンラート、ハインツ、ユルゲン。それから名前を知らない冒険者が四人。ニコ。リリア。全員で九人。
倉庫の周囲には油が撒かれていた。囮の倉庫——一番手前の小さな建物——の中に、傷んだ干し肉が置いてある。
リリアは嗅ぎ塩の瓶を取り出した。両手で包んで、回復魔法を込める。光が瓶の中に沈んでいく。
ニコが矢を差し出した。鏃の根元に、布が巻いてある。
「ここに塗れ」
リリアは嗅ぎ塩を布に染み込ませた。刺激臭が鼻を突く。目が痛くなる。
「……これ、人間でもきつい」
「狼ならもっとだ」
ニコが矢を矢筒に収めた。
◇
日が落ちた。
風車の上に、見張りが立っている。リリアは風車の入り口近くにいた。救急鞄を足元に置いて、暗闘を見つめている。
遠吠えが聞こえた。
「——来た」
見張りの声が降ってきた。
「北西。二十……いや、もっといる」
コンラートが剣を抜いた。
「囮に食いつくまで待て。火の準備」
ハインツとユルゲンが松明を手にした。
◇
影が近づいてくる。地面を這うように、低く、速く。月明かりに灰色の毛並みが光った。
天狼。
先頭の一頭が立ち止まった。鼻を上げて、空気を嗅いでいる。
先頭の一頭が、囮の倉庫の方を向いた。
「食いついた」
コンラートの声が低い。
天狼の群れが動いた。囮の倉庫に向かって、影が流れていく。五頭、六頭、七頭——。
「まだだ」
コンラートが手を上げている。
十頭を超えた。倉庫の入り口に殺到している。
「——ニコ」
ニコが弓を引いた。矢が飛んだ。囮の倉庫の中に吸い込まれていく。
一瞬の沈黙。
それから——悲鳴のような声が上がった。
倉庫の中で狼たちがのたうち回っている。壁にぶつかり、床を転げ、鼻を地面に擦りつけている。嗅覚が焼かれている。
「効いてる」ユルゲンが言った。
「火だ」コンラートが叫んだ。
ハインツとユルゲンが松明を投げた。油を撒いた地面に火が走る。炎の壁が立ち上がった。
囮の倉庫と、残りの群れが——分断された。
◇
炎の向こう側に、まだ狼がいる。十頭以上。囮に釣られなかった本隊だ。
「来るぞ!」
コンラートが剣を構えた。
天狼が突っ込んでくる。炎を避けて、回り込んでくる。剣が閃いた。血飛沫が上がる。一頭が倒れた。
次が来る。ハインツが斬り伏せた。その次も。ユルゲンの槍が貫いた。
狼が横から飛びかかってきた。ニコの矢が空中で射抜いた。
「いけるぞ!」
誰かが叫んだ。冒険者たちの動きに勢いがある。囮と火の壁で数を減らした。残りは十頭を切っている。
——このまま押し切れる。
そう思った瞬間だった。
◇
遠吠えが響いた。
今までと違う。低く、長く、腹の底に響く声。
全員が動きを止めた。狼たちも。
炎の向こう——もっと遠く——に、影があった。
ひときわ大きい。馬ほどもある。銀色の毛並みが月光を弾いている。
「——フェンリル」
誰かが呟いた。
フェンリルが一声吠えた。
その瞬間、狼たちが変わった。ばらばらだった動きが——揃った。統率された群れになった。
炎を恐れなくなった。火の壁を、跳び越えてくる。
◇
「風車に入れ!」
誰かが叫んだ。全員が走った。
統率された狼たちが襲いかかる。若い冒険者が脚を噛まれて倒れた。リリアは駆け寄った。手をかざす。光が傷口に注ぎ込まれる。
「立てますか」
「あ、ああ——」
冒険者が立ち上がろうとして、よろめいた。コンラートが駆け寄り、肩を貸した。
「先に行け!」
リリアは頷いて、風車に向かって走った。入り口に着いた。振り返る。
コンラートが遅れている。怪我人を支えながら、走っている。狼が迫っている。間に合わない。
——誰も、犠牲者を出させない……!
最終救護——
光が集まる。鋼の守護神が舞い降りる。
風車の入り口に立った。ハンドルを回す。
歯車がかみ合い、六本の筒が咆哮を上げた。
ズドドドドドドドッ!!!
先頭の狼が弾け飛んだ。二頭目も。三頭目も。
——効いてる。
だが、残りの狼たちが一斉に姿勢を低くした。地面に腹を擦るように、這って進んでくる。
筒を下に向ける。届かない。地面すれすれには撃てない。
「当たれ——!」
ハンドルを回し続ける。狼たちは低いまま、止まらない。近すぎる。もう狙えない——。
コンラートと怪我人が、リリアの横をすり抜けて風車に飛び込んだ。
「——無理だ!」
背後からローブを掴まれた。
「離して——まだ——」
「死ぬ気か!」
コンラートの声だった。無理やり引きずり込まれた。鋼の守護神が光になって消えていく。風車の中は暗い。階段がある。コンラートが駆け上がっていく。
「こっちだ。隠し出口がある」
「隠し——」
「昔、ここに駐留してた。知ってる」
風車の二階。壁に小さな扉があった。コンラートが開けると、外の冷たい空気が流れ込んできた。
「跳べ」
下は藁の山だった。備蓄用の藁が、風車の裏手に積まれている。
冒険者たちが次々に跳んだ。リリアも跳んだ。藁に突っ込んで、転がった。
「走れ! 囲いの外まで!」
◇
柵を越えた。
狼たちは追ってこなかった。柵の手前で止まり、こちらを見ている。追う必要がないのだ。目的は人間ではない。
振り返ると、風車と倉庫が見えた。炎がまだ燃えている。その明かりの中で、狼たちが動き回っている。
倉庫の扉が破られていた。中から、何かを引きずり出している。
——食糧だ。
フェンリルの銀色の影が、倉庫の前に立っていた。群れを見下ろしている。王が、配下を見るように。
遠吠えが上がった。
勝利の、雄叫びだった。
◇
誰も何も言わなかった。
リリアは体を折って、息を整えていた。指先がまだ震えている。
コンラートが振り返った。
「……全員いるな」
九人。欠けていない。
でも——食糧は、奪われた。
遠くで、狼たちの声が続いていた。




