初めてのお駄賃
翌朝。
宿を出ると、通りの先に荷車が見えた。ゲルトが出発の準備をしている。グレイとモリーに荷をつけ直して、綱を確認している。
「おはよう」
ニコが声をかけてきた。弓の弦を張り直している。
「……おはようございます」
「見送りか?」
「はい」
ミラがリリアの隣にいる。グレイとモリーを見ている。
◇
ミラが一歩前に出た。
「……あの」
ゲルトが手を止めた。
「何かお手伝い、できますか」
ゲルトがミラを見た。何も言わない。
「……昨日の、お礼です。乗せてもらったから」
ゲルトが桶を指さした。
「水。汲んできてくれるか」
◇
ミラが桶を持って、井戸に走っていった。
「……しっかりしてるな、あの子」
ニコが言った。
リリアは黙って見ていた。
◇
ミラが水を運んできた。重そうに、両手で桶を抱えている。
リリアが手を出そうとした。
「大丈夫」
ミラが言った。
桶をグレイの前に置いた。冬の朝、水は冷たい。
リリアは黙って近づいて、手を水に入れた。
——火の魔法。
ほんの少し。
水が温まる。
グレイが顔を近づけて、飲み始めた。
ミラがモリーの方にも水を運ぶ。もう一度温める。モリーも飲んだ。
ゲルトが二人を見ていた。
◇
出発の支度が終わった。
ゲルトが懐から何かを取り出した。
銅貨が二枚。
ミラの手に、そっと乗せた。
「……え」
「手間賃だ」
「でも——」
「もらっとけ」
ニコが笑った。
「ロバの世話、助かったからな」
ミラが銅貨を見つめている。小さな手のひらの上の、二枚の銅貨。
「……ありがとう、ございます」
ミラが両手で銅貨を包んだ。
◇
「じゃあな」
ニコが手を振った。
ゲルトが綱を引く。グレイとモリーが歩き出す。荷車が軋んで、石畳の上を進んでいく。
二人と二頭が、南の街道に消えていった。
「……行っちゃった」
ミラが呟いた。
「うん」
「……また会えるかな」
「会えるよ。この道を行ったり来たりしてる人たちだから」
ミラが銅貨をぎゅっと握りしめた。
◇
昼前。
ギルドに行ってみた。状況は変わっていなかった。ソロで受けられるクエストはない。
受付のイルマが言った。
「討伐隊がまだ戻らないの。二日前に出たのに」
「……二日前」
「六人で出たんだけど」
声が小さくなった。
「最悪の場合も考えないと……って、ギルド長が」
リリアは掲示板を見た。街道警備の依頼が一枚増えていた。報酬が上がっている。
◇
ギルドを出ようとしたとき、外が騒がしくなった。
「おい——誰か!」
「担架! 担架持ってこい!」
通りに飛び出した。
北の門の方から、人が運ばれてくる。
血まみれだった。
◇
討伐隊だった。
六人で出て、戻ってきたのは四人。先頭の一人が、もう一人の肩を担いでいる。後ろから、担架が二つ。
ギルドの前に担架が並ぶ。血の匂い。うめき声。
先頭の男が、肩の仲間を地面に降ろして、膝をついた。顔に深い切り傷がある。
リリアは走った。
「——ヒーラーです。治療させてください」
男がこちらを見た。
「……頼む」
それだけ言って、倒れた。
◇
四人。全員が深い傷を負っている。
腕に裂傷。胸に爪跡。足首が折れている。顔が裂けている。
一人ずつやっていたら、間に合わない。
リリアは両手を広げた。
——範囲回復。
光が広がる。四人の身体を包んでいく。
傷口が塞がっていく。折れた骨が繋がっていく。出血が止まる。
全員の目に、光が戻った。
呼吸が安定する。
「……っ」
最初に倒れた男——コンラートが、身を起こした。自分の手を見ている。
「動ける……?」
「はい。傷は塞ぎました。でもまだ完全じゃないので、無理はしないでください」
コンラートが立ち上がった。他の三人も、ゆっくりと身体を起こしている。
さっきまで担架で運ばれてきた人間が、立っている。
ギルドの前に集まっていた村人たちが、息を呑んだ。
◇
コンラートが、懐から何かを取り出した。
干した草を束ねて、紐でくくったもの。ハーブのお守りだ。荷車にぶら下げる、狼除けの。
血で赤黒く汚れている。
「……ユルゲンのだ」
リリアがそれを受け取った。
「置いてきた二人——ユルゲンとハインツ。街道から外れた崖下に隠した。岩陰に」
コンラートの声が掠れている。
「運ぼうとしたが、ユルゲンは背中をやられて動かせなかった。ハインツは足が——」
「場所は分かりますか」
「北の街道を半日。大きな岩が二つ並んでる場所がある。そこから崖を降りた先だ」
リリアはお守りを救急鞄に入れた。
「行きます」
コンラートが顔を上げた。
「……一人でか」
「はい」
「無茶だ。あの数の狼に——」
「二人とも、まだ生きてますか」
コンラートが黙った。
「……昨日の朝までは、生きてた」
「なら、まだ間に合います」
◇
ギルドに戻った。
イルマが立ち上がっている。さっきまで担架で運ばれていた四人が、立っている。
「え——治ったの?」
「応急処置です。あとで一人ずつ、ちゃんと治します。その前に」
リリアは受付のカウンターに手をついた。
「北の街道に、置き去りにされた二人がいます。助けに行きたいんですが」
イルマが言った。
「一人で? 護衛をつけないと」
「時間がないんです」
コンラートが後ろから言った。
「……俺が案内する」
「駄目です。まだ身体が——」
「場所が分からなきゃ、探し回ることになる。それこそ時間の無駄だ」
リリアはコンラートを見た。顔の傷は塞がっているが、まだ赤い線が残っている。
「……分かりました」
◇
宿に戻った。
ミラが待っていた。
「リリア。服が——血」
「大丈夫。私の血じゃないから」
救急鞄の中身を確認した。包帯は使い切った。消毒用のお酒も空。足りない。でも、待っていられない。
「ミラ。ここで待っててほしい」
ミラが固まった。
「……どこか行くの」
「北の街道に、怪我人がいるの。助けに行ってくる」
「ミラも——」
「だめ。狼が出るから」
ミラの顔から血の気が引いた。
リリアは旅の荷物を開けた。財布の中身を確認して、銀貨を何枚かテーブルに置いた。
「これで何かあったら、食べ物とか買って」
「リリア——」
旅の荷物の底から、布に包まれたものを取り出した。
布を解いた。銀色の柄。重い頭部。使い込まれた傷がいくつもある。
メイス。カミラから預かった、何代ものヒーラーの手を渡ってきた武器。
今まで一度も、クエストで使ったことはなかった。
腰に差した。
ミラが見ている。見たことのないものを見る目だった。
膝をついて、ミラと目線を合わせた。
「宿から出ないで。ギルドの人たちに何かあったら頼って。いい?」
「……」
ミラが頷いた。唇を噛んでいる。
リリアはミラの頭に手を置いた。
「待っててね」
ミラの手が、一瞬だけリリアの袖に触れた。すぐに離した。
立ち上がった。
振り返らずに、部屋を出た。
◇
北の門。
門の手前に、井戸がある。
水筒の水を捨てて、汲み直した。
旅用の革の水入れにも水を満たす。
両手で革の水入れを包み、回復魔法をかける。
水が淡く光って、消えた。
聖水。ヒーラーが回復魔法を込めた水。
本来なら時間をかけて丁寧に作るものだが、今はそんな余裕はない。
それでも、ただの水よりはましだ。消毒用のお酒は使い切った。
水筒の水だけでは傷口を洗うには足りない。
門の外でコンラートが待っていた。
剣を腰に差している。
「……行けるんですか」
「お前こそ」
門の外に
白い道が続いている。
空は曇り。
風が冷たい。
二人で歩き出した。
「さっきの回復魔法。
あれがなかったら、全員死んでた」
「……」
「ギルドの回復師に診てもらったことはある。あんなのは見たことがない」
リリアは答えなかった。
コンラートも、それ以上は聞かなかった。
しばらく歩いてまた口を開いた。
「……あの嬢ちゃんは。お前の」
「一緒に旅をしてる子です」
「……そうか」
それきり、コンラートは黙った。
風が強くなってきた。雲が低い。街道の両側に、木々が暗く並んでいる。
ミラの手が袖に触れた、あの温度を、まだ覚えていた。
——待っててね。
ユルゲンのお守りが、鞄の中で揺れている。
血の匂いが、まだ消えない。
【あとがき】
討伐隊が帰ってきた。
六人のうち、四人。
残りの二人を迎えに——。




