大事なもの
十日目。
村を歩いた。復興作業の音があちこちから聞こえる。壊れた壁を直す人、焦げた木材を運ぶ人。
すれ違う人が会釈してくる。五日前までは誰もこちらを見なかったのに。
◇
村の広場に足が止まる。
ゴーレムだったものが、まだそこにある。
崩れた泥と砕けた石。誰かが整えたのか、丘のような形になっている。周りに石が並べられている。
リースがいくつも置いてあった。一つじゃない。十も二十も。モミの枝、ヒイラギ、松ぼっくり。ドライフラワーを編み込んだものもある。冬でも用意できるもので、村中が持ち寄ったのだろう。
丘のてっぺんに、白い影がいる。
ペルラだ。
のんびりと草を食んでいる。風が毛を揺らしている。
丘の麓に、子供たちがいる。三人。ペルラを見上げて、何か話している。
「のぼれるかな」
「むりだよ、たかいもん」
「やぎさん、すごいね」
その中に——エステルがいる。
子供たちの少し後ろに立っている。いつもの黒い服。でも、表情が違う。
「……あの子、山羊が好きなの?」
エステルが、子供の一人に話しかける。
子供が振り返る。一瞬、びくっとした。でも——逃げない。
「……うん。ふわふわしてて、かわいい」
「そう。ペルラっていうの。撫でてみる?」
「いいの?」
エステルが口笛を吹く。ペルラが耳をぴくりと動かして、丘を降りてくる。
子供たちが、おそるおそる手を伸ばす。
「……あったかい」
「ふわふわだ」
「エステルおねえちゃんの山羊、おとなしいね」
エステルが、小さく笑う。
「……おねえちゃん、か」
通りかかった村人が、丘を見て言う。
「村長が言ったんだ。あいつのおかげで、この土地は開拓できた。何百年も前の話だけどな。だから——感謝しようって」
「……そうですか」
「壊すもんじゃない。ここに置いて、忘れないようにしようって」
リースが、風に揺れている。
——この村は、変わった。
◇
ギルドの詰め所に行った。
「おう、起きられたか」
受付のおじさんが顔を上げた。
「体の具合は」
「もう大丈夫です」
「そうか。……それで、これからどうする」
「……」
「この村は復興中でな。しばらくは余裕がない」
分かっている。マルタの宿も壁に穴が空いたまま。村中が自分たちのことで精一杯だ。
おじさんが地図を広げた。
「北に三日ほど行くと、ヴェグシャイトって村がある。峠の手前の中継地だ。街道の分岐点になってる」
指が地図の上を動く。
「そこまで行けば、次の仕事も見つかるだろう。紹介状を書いておく」
「……ありがとうございます」
◇
マルタの宿に戻る。
壁の穴はまだ塞がっていない。板で仮に覆ってあるだけ。
「行くのかい」
マルタが声をかけてきた。
「はい。明日の朝に」
「そうかい」
マルタが奥に引っ込んで、包みを持ってくる。
「これ、持っていきな」
開けると、干し肉とパンが入っている。
「……いいんですか」
「いいさ。旅には食料が要るだろう」
復興で大変なのに。食料だって余裕はないはずなのに。
クルトが、別の包みを差し出す。
「俺からも。蝋燭と火打ち石だ。冬の夜は長いからな」
「……ありがとうございます」
マルタが腕を組んだ。
「……ミラのことだけど」
「はい」
「うちに残してもいいんだよ」
リーザがマルタの後ろから顔を覗かせた。パッチを抱いている。
「リーザも懐いてるし。宿が直ったら、ちゃんと部屋も用意できる」
——ありがたい申し出だった。
でも、分かっている。復興で手一杯のこの村に、子供一人を押しつけることになる。マルタは優しいから言ってくれる。でも、ここで甘えたら負担をかける。
それに——
ミラがこちらを見た。
何も言わない。でも、目が何かを訴えている。
「ミラ」
「……」
「どうしたい?」
ミラの手が、服の裾を掴んだ。
ぎゅっと。
「……リリアさんと、一緒に行く」
小さな声。でも、はっきりしていた。
マルタが小さく笑った。
「……そうかい」
「いつでもおいで。この子の居場所くらい、いつでも作ってやれるからさ」
「……ありがとうございます」
◇
リーザが、ミラに何かを差し出す。
小さな人形。布でできた、猫の人形。
「これ、リーザの」
「……これ、リーザのでしょ」
「ミラおねえちゃんにあげる」
「……いいの?」
「うん。さみしくなったら、ぎゅってして」
ミラが、人形を受け取る。
「……ありがとう」
「また来てね」
「……うん」
リーザが、パッチを抱えてくる。茶白の毛がもこもこしている。
「パッチも、バイバイしたいって」
ミラの腕に、パッチを押しつける。
ミラが、おそるおそる抱く。パッチは暴れない。ごろごろと喉を鳴らしている。
「……あったかい」
「パッチ、ミラおねえちゃんのこと好きなんだよ」
しばらく抱いてから、そっと下ろす。パッチがリーザの足元に戻る。
◇
玄関を出る。
マルタ、クルト、リーザが見送ってくれる。リーザがパッチを抱き上げている。
「気をつけてな」
「ありがとうございました。本当に」
「またいつでも来な。部屋は空けとくから」
深く頭を下げる。
ミラも、頭を下げる。
リーザが、パッチの前脚に手を添える。
「パッチ、バイバイして」
ぱたぱたと、小さな肉球が揺れる。
ミラが、小さく手を振り返す。
◇
村のはずれ。
エステルの家の前を通りかかると——エステルが、門の前に立っている。
「……待ってたの?」
「さっき、広場で見えたから」
ペルラが、ミラに近づく。鼻先で、ミラの手をつつく。
「……バイバイ、ペルラ」
ミラが、ペルラの頭を撫でる。
「また会いに来るね」
ペルラが、一度だけ鳴く。
◇
「……さっきの子供たち」
エステルが言う。
「……初めて、話しかけられた」
「……そう」
「怖がらなかった。普通に——普通に話してくれた」
エステルが、小さく笑う。
「……あなたたちのおかげ」
「私たちは何も——」
「ゴーレムを止めたから。みんな、少しだけ——見方が変わったみたい」
エステルの目が、少し潤んでいる。
「五年間——ずっと一人だった。でも」
声が震えている。
「……おねえちゃん、って。呼んでくれた」
「……」
「それだけで——」
エステルが目を擦る。
「……ごめん。変なこと言った」
「変じゃないです」
手を差し出す。
「また、会いに来ます」
エステルが手を握る。
「……待ってる」
「夏になったら、赤スグリが採れる。ヴズヴァル、また作るから」
「……楽しみにしてます」
◇
村を出る。
振り返ると、エステルがまだ立っている。ペルラと一緒に。
手を振る。
エステルが、小さく手を振り返す。
ゴーレムの丘が見える。リースが風に揺れている。
マルタの宿の煙突から煙が上がっている。
——この村を、離れたくない。
でも、今は行かなきゃいけない。
「……行こう」
「……うん」
ミラが隣を歩き出す。
服の裾は、掴んでいない。
でも、すぐ隣にいる。
◇
しばらく歩いて、ミラが立ち止まる。
ローブの袖を見ている。茶色と白の毛が、何本かついている。
「……パッチの」
さっき抱いた時についたものだ。
ミラは、毛を払わない。
ポケットから小さな布袋を取り出した。グレタばあさんにもらった袋。お父さんの部屋の匂いがする袋。
紐を解いた。
毛を一本ずつ、丁寧につまみ取る。袋の中に入れる。
紐を結び直して、内ポケットにしまった。
——何も言わなかった。
何も聞かなかった。
大事なものが、また一つ増えた。
◇
「……リリアさん」
「なに」
「……次の村には、何があるの」
「分からない。行ってみないと」
「……そう」
ミラが、空を見上げる。
「……楽しみ」
「……そう?」
「うん」
ミラが、小さく笑う。
「……リリアさんと一緒だから」
つられて笑う。
「そうだね」
◇
北へ向かう道を歩き出す。
小さな足音。青い帽子。
隣を歩いている。
それだけで、今は十分だった。




