一緒に
四日目の朝。
ミラにローブを渡す。マルタさんと一緒に直した、淡い青緑色のローブ。袖と丈を詰めて、子供用にしたもの。
「これ……リリアさんの」
「うん。もう着ないから、ミラにあげる」
ミラが袖を通す。少し大きいけど、すぐにぴったりになる。成長期だ。
「……あったかい」
小さな声で、そう言った。
朝食の後、ミラが言う。
「……ペルラに会いたい」
初めてだ。この子が、自分から何かをしたいと言ったのは。
「……いいよ。探しに行こうか」
◇
北の丘に向かう。
雪が積もっている。足跡をつけながら歩く。ミラは後ろを歩いている。淡い青緑色のローブが、白い雪に映えている。服の裾は、掴んでいない。
丘の上に着く。
白い山羊はいない。
「……いない」
ミラが肩を落とす。
「エステルさんの家に行けば、会えるかも」
言ってから、迷った。村の人が近づかない家だ。私たちが行っていいのか。
でも、ミラが顔を上げる。
「……行きたい」
◇
村のはずれ。
一軒だけ離れた家。近づいてみると、思ったより古い。壁の漆喰が剥がれて、窓枠も歪んでいる。
庭に、白い山羊がいた。
「ペルラ」
ミラが駆け寄る。ペルラが顔を上げて、一度だけ鳴いた。
「……また来たの」
声がする。
振り返ると、エステルが家の前に立っている。黒い髪に地味な服。目の下の隈は、前より濃く見える。
「すみません。この子がどうしても……」
「いい」
エステルがペルラのそばに来る。
「この子、喜んでる。尻尾見て」
ペルラの尻尾が、小さく揺れている。
ミラがペルラを撫でている。山羊が目を細める。
「……名前」
エステルが聞く。
「ミラ」
答えようとしたら、ミラが自分で言った。小さな声だったけど、はっきりと。
「……そう。ミラ」
エステルの口元が、ほんの少しだけ緩む。
◇
「お茶、飲む?」
予想していない言葉だった。
「……いいんですか」
「別に。暇だし」
エステルが家の中に入っていく。私たちも続く。
◇
家の中は、暗い。
窓から入る光だけで、蝋燭はついていない。節約しているのだろう。
居間には古い本が積まれている。棚にびっしりと詰まっていて、床にも山になっている。
「座って」
エステルが椅子を示す。埃っぽいけど、汚くはない。一人で掃除しているのだろう。
お茶が出てくる。薄い色の、薬草茶。
「……ありがとうございます」
エステルが向かいに座る。
お茶の湯気が、二人の間でゆらゆら揺れている。何を話せばいいか分からない。
ミラは、窓際でペルラと遊んでいる。山羊の毛を梳いている。持ってきた櫛で。いつの間に用意したのだろう。
「……あの子」
エステルが言う。
「親、いないの」
「……ええ。最近、父親を……」
「そう」
エステルが茶を啜る。
「私も、五年前に」
知っていた。でも、本人の口から聞くと、重さが違う。
「……すみません」
「なんで謝るの」
「いえ……」
「私は慣れた。でも」
エステルがミラを見る。
「あの子は、まだ傷が新しい」
「……はい」
「傷が新しいうちは、何をしても痛い。何を見ても、何を聞いても、思い出す」
エステルの声は平坦だ。でも、そこに込められたものが伝わってくる。
「……どうすれば、楽になりますか」
「ならない」
即答だった。
「慣れるだけ。痛みに慣れる。痛いまま、生きていく」
ミラがペルラの首を抱きしめる。山羊が大人しくされるままになっている。
「……でも」
エステルが続ける。
「一人よりは、ましかもしれない」
◇
帰り道。
ミラが服の裾を掴んでいる。いつもより、少し強く。
「……リリアさん」
「なに」
「……あの」
言いかけて、止まる。何度か口を開いて、閉じる。
「ミラ?」
「……やっぱり、なんでもない」
そのまま、宿まで歩く。
◇
夕食の後。
部屋に戻って、寝る準備をしていた。
「リリアさん」
ミラが、布団の上に座っている。膝を抱えて。
「……お話、していい?」
「うん」
隣に座る。
ミラが、しばらく黙っていた。
「……私の村」
小さな声。
「……もう、帰れないんだよね」
「……今は、復興中だから」
「違うの」
ミラが首を振る。
「帰っても……お父さん、いないの」
「……うん」
「お母さんは、私が小さい時に死んじゃったの。だから……お父さんしか、いなかったの」
グレタさんから聞いていた。でも、ミラ自身の口から聞くと、重さが違う。
「帰っても……一人なの」
ミラが膝を抱える腕に、力が入る。
「……怖い」
声が震えている。
「一人で暮らすの、怖い。エステルさんみたいに、強くない」
何も言えない。
「だから」
ミラが顔を上げる。目が濡れている。
「リリアさんと、一緒にいたい」
「……ミラ」
「一緒に住んで欲しい。リリアさんの村じゃなくていい。どこでもいい。一緒なら」
言葉が詰まる。涙が溢れる。
「一人じゃ、ないから」
ミラを抱きしめた。
小さな体が震えている。温かくて、でも冷たくて。
この子は、ずっとこれを抱えていたのだ。砦を出てからずっと。服の裾を掴みながら、言えずにいた。
ミラが、しがみついてくる。
小さな手が、背中に回る。ぎゅっと、服を掴む。
髪を撫でる。細くて柔らかい髪。
ミラが、顔を胸に埋める。
「……ごめんね」
口を開く。
「……気づいてあげられなくて、ごめん」
ミラが、服を掴む。ぎゅっと。
「……答え、聞いてない」
「うん」
ミラの頭を撫でる。
「少し、考えさせて」
「……うん」
ミラが、胸に顔を埋める。
「……待ってる」
その夜、ミラは泣きながら眠った。
私は、眠れなかった。
——一緒に住めない。でも、旅はできる。
ヒーラーの自分は、いつ命を落とすか分からない。
砦で4回死にかけた。生きているのは、たまたまだ。
明日また同じことがあったら、今度は助からないかもしれない。
私がいなくなったら、この子はどこをつかむのだろう。
でも、もう少しだけは。
その時より前に、ミラの居場所となれる誰かが見つかるならば——
その答えが正しいのか、まだ分からない。
でも、今夜もまた、この手を振り払うことはできなかった。




