ミートパイ
三日目の朝。
雪は止んでいた。屋根に積もった白が、朝日に光っている。
「リーザ、庭からローズマリー取ってきてくれる?」
マルタの声が聞こえる。
食堂にいたリーザが、ぴょんと跳ねた。
「ローズマリー?」
「そう。たくさんね」
リーザが目を輝かせて、私たちを見る。
「おきゃくさんいるから!」
そのまま外に飛び出していく。ばたばたと足音が遠ざかる。
ミラが首を傾げる。
「……?」
マルタが笑う。
「今日はね、ミートパイを焼くんだよ」
◇
昼過ぎ。
玄関の扉が開く。
「ただいま」
低い声。大きな体。雪を払いながら入ってきたのは、四十くらいの男。日焼けした顔に太い腕、大工道具を詰めた袋を肩にかけている。
「お帰り。早かったね」
「雪で屋根が心配だってんで、三軒回ってきた。明日も忙しくなりそうだ」
男がこちらを見る。
「お客さんか」
「ええ。冒険者さんと、その連れの子」
「ああ、聞いてる。ミラって子だろ。村長が言ってた」
男がこちらに手を差し出す。
「クルトだ。ここの亭主やってる」
「リリアです。お世話になってます」
握手する。大きくてごつごつした手だ。
◇
夕方。
台所から、いい匂いが漂ってくる。
肉とハーブの香り。パイ生地が焼ける匂い。リーザが台所と食堂を何度も行き来している。
「まだー?」
「まだ。あと少し」
「まだー?」
「リーザ、何回聞いても同じだよ」
クルトが笑う。リーザがクルトの膝に登る。
「パパ、ミートパイ!」
「分かってる分かってる」
ミラが、その様子をじっと見ていた。
◇
ミートパイが来た。
大きな鉄皿に乗った、黄金色のパイ。ローズマリーの香りが立ち上る。切り分けると、中から肉汁がじゅわっと溢れる。
「いただきます」
一口食べる。
サクサクの生地。中の肉はとろとろに煮込まれていて、噛むとほどける。ローズマリーの香りが鼻に抜ける。玉ねぎの甘さ。塩加減が絶妙だ。
「……美味しい」
「だろう」
クルトが得意げに言う。
「マルタのミートパイは村一番だ」
「あんたが言うと嘘くさいね」
「本当のことだろ」
リーザがパイを頬張りながら、幸せそうに目を細めている。
ミラも、小さく頷きながら食べている。
◇
食事が終わった後。
クルトが茶を淹れてくれた。
「……そういえば、今日面白い話を聞いた」
「なに」
マルタがリーザの顔を拭きながら聞く。
「北のアレクの家、覚えてるか。物置の壁が壊れたってんで直しに行ったんだが」
「ああ」
「壁の壊れ方がおかしいんだよ。内側から押し潰されたみたいになってる」
「……泥棒?」
「いや、それがな」
クルトが声を低くする。
「壁に、泥がこびりついてた。乾いた泥だ。石みたいに固くなってる」
マルタの顔が曇る。
「……まさか」
「分からん。でも、アレクの婆さんが言うには」
クルトが私たちを見る。
「夜中に、何か大きなものが歩く音がしたって」
◇
リーザを寝かしつけた後。
大人だけで、話の続きをする。
「ゴーレムかもしれない、ってことですか」
「断言はできん。でも、あの壊れ方は普通じゃない」
クルトが腕を組む。
「前に出た時も、最初は小さな被害から始まった。家畜小屋が壊されたり、畑が荒らされたり」
「……だんだん大きくなるんですか」
「ああ。放っておくと、どんどん大きくなる。力も強くなる」
マルタが茶を注ぎ足す。
「前は、エステルの両親が封じた。でも」
「……失敗した」
「ああ。ゴーレムは封じられた。でも、二人とも死んだ」
何も言えない。十三歳で両親を失って——想像するだけで胸が痛む。
「エステルは、まだ十三だった。目の前で両親を失って——それでも、あの家に残った」
「……なぜですか」
「封じる役目を継ぐためだ。次にゴーレムが出た時、誰かがやらなきゃならない」
クルトが窓の外を見る。
「村の連中は怖がって近づかない。でも、いざって時は——あの子に頼るしかないんだ」
「……勝手ですね」
言ってから、しまったと思った。この人たちの村のことだ。
でも、クルトは怒らない。
「ああ、勝手だ。分かってる」
マルタが静かに言う。
「分かってて——何もできないんだ。私たちも」
◇
ミラが先に部屋に戻った後、食堂に残る。
マルタが針と糸を持ってくる。
「あんたの予備のローブ、借りていいかい」
「え」
「丈を詰めて、あの子用に直そうと思ってさ。近所からおさがりはもらえたけど、上着がないんだよ」
荷物から予備のローブを取り出す。淡い青緑色。昔、あるパーティに所属していた頃のもの。カミラたちと出会うより、ずっと前。二の腕と胸に、エンブレムの刺繍を削ぎ落とそうとした跡が残っている。
「これ、使ってください」
「いいのかい」
「はい」
マルタが布を広げて、裾を折り返し始める。針が布を刺す音が、静かに響く。
「手伝います」
「縫えるのかい」
「少しだけ」
針を借りる。袖口を折り返して、縫っていく。不格好だけど、ほどけなければいい。
「……その子、オークに攫われたんだって?」
「……ギルドで、聞きました?」
「噂は早いからね、この村」
マルタが手を止めずに言う。
「よく助けたね。一人で」
「……一人じゃなかったです」
「そうかい」
マルタはそれ以上聞かない。ただ、黙々と針を動かす。
ランプの灯りが揺れる。パッチがストーブの前で丸くなっている。静かな夜だ。
「……できた」
マルタが仕上げたローブを広げる。袖も丈も短くなって、子供用になっている。色は同じ淡い青緑色。
二の腕と胸——エンブレムを削ぎ落とした跡に、茶白まだらの猫のアップリケがついている。パッチと同じ柄だ。布を二重に縫い合わせて、ミニポケットになっていた。
「ポケットは多い方がいいだろう」
マルタが笑う。ストーブの前のパッチが、ふわ、と欠伸をした。
「……ありがとうございます」
「朝になったら、あの子に渡しな」
◇
部屋に戻る。
ミラはもう眠っている。今日は泣いていない。
窓の外を見る。月が出ている。雪が青白く光っている。
村のはずれに、一軒だけ離れた家がある。昨日も、今日も、灯りは見えない。
——封じる役目を継ぐため。
十三歳で親を失って。
五年間、一人で。
村の人に怖がられながら。
それでも、あの家に残っている。
「……私には」
声に出す。誰にも聞こえないくらい、小さく。
「……できるかな。そんなこと」
答えはない。
月だけが、静かに光っていた。




