吟遊詩人の歌
【2026/2/8 追記】
予約投稿の不備により、ep.32とep.34の間に「ep.33 原子番号29」が抜けておりました。
本日(2/8)に正しい位置へ挿入しましたので、未読の方はお手数ですが一度お戻りください!
※数日経ちましたら、この案内は削除いたします。
馬を走らせていた。西へ。ファルムという町へ。また、あのヒーラーの噂を追って。
マーカスは溜息をついた。
◇
ここ数ヶ月、同じことの繰り返しだった。
「ヒーラーが雷を落とした」
「ヒーラーが全てを凍らせた」
「ヒーラーが鉄の嵐を降らせた」
どの町でも、似たような話を聞く。荒唐無稽だ。ヒーラーは回復魔法の使い手であって、戦闘職ではない。雷を落とす?馬鹿馬鹿しい。
——でも、話の出どころが多すぎる。
一人や二人の与太話なら、無視できる。だが、これだけ広範囲で、これだけ似たような話が出てくるのは異常だ。何かがある。何かが確実にある。
それを突き止めるのがマーカスの仕事だった。
◇
街道の先に人影があった。若い男だ。竪琴を背負っている。吟遊詩人か。
ファルムの方から来ている。ちょうどいい。情報収集だ。
馬の速度を落とした。
「おい、あんた」
声をかけた。
「ファルムから来たのか?」
男が振り返った。目が赤い。泣いていたのか。
「……ええ」
「何があった?蝶が出たって聞いたんだが」
◇
男はしばらく黙っていた。それから、竪琴を手に取った。
「……一曲、聴いてもらえますか」
歌?まあいい。吟遊詩人とはそういうものだ。
「聞かせてくれ」
◇
男が弦を弾いた。
「——赤い月夜に、目を閉じなさい」
「——虹色の羽が、降りてくる」
——この歌。
マーカスは目を細めた。知っている。マヌエルから聞いた。この地方に伝わる古い子守唄だ。災厄の蝶を歌った、恐ろしい歌。
「——美しいものに、息を止めて」
「——窓を開けては、いけないよ」
「——朝が来るまで、眠りなさい」
だが——
「——狂わされた羽を、今は休めて」
「——悲しい蝶よ、おやすみなさい」
歌詞が違う。最後の二節は聞いたことがない。
◇
歌が終わった。
「……その歌、知っている」
マーカスは言った。
「マヌエルという同僚から聞いた。だが、最後の歌詞が違う」
「……変えたんです」
男が小さく言った。
「蝶も犠牲者だった。真冬に飛ばされ、暴れさせられ、人々に恐れられた。悲しい生き物だった」
男の目が遠くを見ていた。
「だから、歌詞を変えた。あの町の人たちが、冬祭りで歌ってくれる。ずっと、歌い継いでくれる」
◇
マーカスは黙っていた。悪くない歌詞だった。むしろ、良い。恐怖を煽る歌から、悲しみに寄り添う歌へ。時を越えて歌い継がれる価値がある。
「……いい歌詞だ」
「……ありがとうございます」
男が小さく頭を下げた。
◇
「それで、蝶の話だが」
マーカスは本題に戻った。
「何があった?」
男の表情が曇った。
「……もう一曲、聴いてもらえますか」
◇
男が弦を弾いた。歌い始めた。
——また、これか。
マーカスは内心で溜息をついた。鉄の嵐を降らせる女。炎を吐く女。毒の霧で蝶を殺す女。
同じだ。他の町で聞いた話と全く同じパターン。ありえない武器。ありえない威力。ありえない治療法。そして最後に町を救って去っていく。
◇
歌が終わった。マーカスは腕を組んだ。冷静に分析する。
この男の歌は上手い。技術は確かだ。だが、声に違和感がある。喉を痛めているのか、本来の声ではないように聞こえる。
そして——さっきの子守唄と比べると、何かが違う。技術は同じだ。だが、歌に込められた感情が違う。
さっきの歌には、悲しみがあった。祈りがあった。この歌には——恨みがある。
「人々を救い、声を奪った女」
最後の一節が引っかかった。
「声を奪った、とはどういう意味だ」
「……僕の声です」
男が静かに言った。
「あのヒーラーの回復魔法で、僕の声が——」
◇
マーカスは眉をひそめた。回復魔法で声を奪う?意味が分からない。回復魔法は傷を癒すものだ。奪うものではない。
「……説明してくれ」
「僕の喉には、生まれつき異常があったんです。それがあったから、特別な声が出せた。でも、あのヒーラーの魔法が——全部治してしまった」
◇
なるほど。マーカスは、ようやく理解した。異常を「正常化」した、ということか。
皮肉な話だ。完璧な治療がこの男のアイデンティティを消し去った。
——だが、それは事故だ。悪意があったわけではない。むしろ、命を救おうとした結果だ。
この男は、それを「声を奪われた」と表現している。被害者意識が強すぎる。
◇
「……やめておけ」
マーカスは言った。
「その歌、広めるな」
「……なぜですか」
「信じてもらえないからだ」
男の目が揺れた。
「俺はここ数ヶ月、似たような話をいくつも聞いてる。ヒーラーが雷を落とした。全てを凍らせた。鉄の嵐を降らせた。全部、同じヒーラーの話らしい」
マーカスは首を振った。
「……誰も信じない」
「……」
「正直、俺も信じたいさ。だが、信じたところでどうなる。そのヒーラーを見つけて、どうする? 褒め称えるのか? 罰するのか? 俺には分からん」
◇
男は黙っていた。マーカスは続けた。
「お前の歌は嘘じゃないんだろう」
「……ええ」
「でも、誰も信じない。俺でさえ半信半疑だ。広めたところで、お前が変な奴だと思われるだけだ」
男の拳が握りしめられていた。
「……それでも、歌います」
◇
マーカスは馬を止めた。振り返った。
「……さっきの子守唄、良かったぞ」
男が顔を上げた。
「生涯の夢と、個人的な恨み。どっちを未来に残したい?」
「……」
「俺は音楽のド素人だ。だが、さっきの二曲を聴いて思った。子守唄の方が、ずっと心に残る」
男は黙っていた。
「お前の選択だ。好きにしろ」
◇
男が小さく笑った。
「……どうなるかは、50年もすれば分かりますよ」
「……」
「私は生きていないでしょうが——あなたが確かめてください」
マーカスは鼻を鳴らした。
「50年後か。俺も生きてるか怪しいな」
「……そうですか」
「まあいい。縁があったら、確かめてやる」
マーカスは馬を進めた。
「元気でやれよ。声を失っても、歌えるだろう。腕は確かだ」
◇
ファルムへ向かいながら、マーカスは考えていた。また同じパターンだ。
ありえない武器。ありえない威力。ありえない治療法。そして、町を救って去っていく。
どの町でも、話の骨格は同じ。細部だけが違う。雷。凍気。鉄の嵐。そして今度は——毒の霧。
◇
一つだけ、確かなことがある。このヒーラーは、実在する。
話が広すぎる。出どころが多すぎる。これだけの人間が、同じ嘘をつく理由がない。
だが——マーカスは溜息をついた。
——証拠がない。
物証がない。目撃者はいるが、話が荒唐無稽すぎて証言として成立しない。
「ヒーラーが雷を落とした」
こんな報告書を上げたら、俺の頭がおかしいと思われる。
◇
馬を走らせる。ファルムは、もうすぐだ。
また、同じ話を聞くのだろう。ありえない武器。ありえない威力。ありえない治療法。
そして——また、あのヒーラーは消えている。いつも一歩遅い。いつも、痕跡だけが残っている。
◇
マーカスは空を見上げた。青い空。白い雲。良い天気だった。
「……本当に、何者なんだ」
呟いた。
答えは、返ってこなかった。




