嵐の前
祭りは、中断された。
復興作業が始まった。
◇
荒らされた畑を片付ける。
踏み潰された作物を集める。
掘り返された土を戻す。
壊れた柵を修理する。
リリアも、手伝った。
◇
「せっかくの良い栗だったのに……」
焼き栗屋のおじさんが呆然と立っていた。
畑が荒らされていた。
栗の木が何本か倒されている。
「今年は特に出来が良かったんだ」
おじさんの声が震えていた。
「……」
リリアは黙って作業を続けた。
倒れた木を運ぶ。
散らばった栗を拾い集める。
「……ありがとうな、嬢ちゃん」
おじさんが小さく言った。
リリアは何も言わなかった。
◇
夕方。
広場に人々が集まっていた。
疲れた顔。
でも、どこか安堵した顔。
「とりあえず、最悪は免れたな」
「ああ。もっと酷いことになるかと思った」
「あの冒険者たち、すごかったな」
◇
「おっ、いたいた!」
冒険者たちが近づいてきた。
「あんた、今朝のやつだろ!」
がっしりした男がリリアの肩を叩いた。
「なあ、他にどんな魔法使えるんだ?」
「……風の魔法が、少しだけ」
「風?おお、見せてくれよ!」
断れなかった。
リリアは、手を軽く振った。
そよ風が吹いた。
冒険者たちの髪がふわりと揺れた。
◇
沈黙。
◇
「……え?」
「それだけ?」
「……はい」
◇
笑い声が起きた。
「なんだそりゃ!」
「涼しいだけじゃねえか!」
「何の役に立つんだ、そんなもん!」
げらげらと笑っている。
リリアは立ち上がった。
「……すみません」
静かに、その場を離れた。
◇
宿に戻った。
ヨハンナさんが出迎えてくれた。
「お疲れ様。大変だったねえ」
「……」
「顔色が悪いよ。何かあったのかい」
「……いえ」
ヨハンナさんは、それ以上聞かなかった。
「ご飯の前に、ベルちゃんの様子を見てきてくれないかい」
「……ベルちゃん?」
「朝からずっと、元気がないんだよ」
◇
裏庭に出た。
ベルちゃんがいた。
小屋の隅で、じっとしている。
「……ベルちゃん」
近づいた。
ベルちゃんが顔を上げた。
カチ……カチ……と、まだ壊れた音がする。
前脚には、包帯が巻いてあった。
「……痛い?」
ベルちゃんの頭を撫でた。
大きな目が、じっとリリアを見ている。
◇
ふと、気づいた。
水桶がない。
いつも置いてあった場所に、何もない。
代わりに、大きなたらいが置いてあった。
洗濯用のものだろう。
中に水が張ってある。
——そうか。
水桶は、昨夜壊されたのだ。
家畜小屋と一緒に。
◇
ベルちゃんが、たらいの方を見た。
でも、近づかない。
「……冷たいから、飲めないの?」
ベルちゃんの鼻がひくひく動いた。
◇
リリアは、たらいの前にしゃがんだ。
両手で水をすくった。
——火の魔法。
ほんの少しだけ。
手のひらの中で、水を温める。
ぬるま湯になった。
「……おいで」
ベルちゃんが近づいてきた。
リリアの手のひらに顔を近づける。
ごく、ごく。
小さな音を立てて、水を飲んだ。
◇
「……もう一回?」
また水をすくった。
温めた。
差し出した。
ベルちゃんが飲んだ。
何度も、何度も。
◇
ベルちゃんの尻尾が、小さく揺れた。
カチ……カチ……
壊れた音だけど、さっきより軽い。
「……良かった」
リリアは、ベルちゃんの首を撫でた。
温かかった。
◇
——私にも、できることがある。
ふと、そう思った。
鋼鉄の守護神じゃなくても。
火竜の吐息じゃなくても。
こうやって、誰かを温めることはできる。
◇
「……ありがとう、ベルちゃん」
ベルちゃんが、リリアの手をぺろりと舐めた。
少しだけ、心が軽くなった。
◇
宿に戻ると、夕食が用意されていた。
温かいスープ。
焼いたパン。
干し肉。
ヨハンナさんの手料理だった。
「ベルちゃん、どうだった?」
「……水を飲んでくれました」
「そうかい。良かったねえ」
ヨハンナさんが微笑んだ。
「あの子、あんたに懐いてるよ」
「……」
「脚を治してもらったからねえ。分かるんだよ、動物は」
◇
夕食を食べた。
「……美味しいです」
「良かった」
ヨハンナさんが微笑んだ。
「今日は早く寝なさいね。疲れたでしょう」
「……はい」
◇
部屋に戻った。
窓から、空を見た。
月が昇り始めていた。
まだ、少し赤い。
でも、昨日ほどではない。
◇
「……終わったのかな」
呟いた。
芋虫は倒した。
繭は焼いた。
町は無事だ。
終わった、はずだ。
◇
ノックの音がした。
「リリアさん」
オルフェの声だった。
「入っていいですか」
「……どうぞ」
◇
オルフェが入ってきた。
竪琴を持っている。
「少し、話したくて」
「……」
「さっき、冒険者に笑われてましたよね」
「……見てたんですか」
「すみません。声をかけるタイミングを逃して」
◇
オルフェが窓際に立った。
「あいつら、何も分かってないんですよ」
「……」
「あの風の魔法、すごく綺麗でした」
「……涼しいだけです」
「そんなことないですよ」
オルフェが真剣な顔をした。
「僕、見てたんです。今朝のこと」
「……」
「最後の芋虫を撃つ前、リリアさん、何か言ってましたよね」
リリアは答えなかった。
「聞こえなかったけど、分かりました。謝ってたんだ」
「……」
「敵なのに。人を襲ったのに。それでも、謝ってた」
◇
オルフェが、リリアを見た。
「あなたは、優しい人です」
「……そんなこと」
「だから、歌にするんです」
「……え?」
「リリアさんの冒険。今日のことも。芋虫を倒したことも」
オルフェがこちらを見た。
「あなたがしてきたこと、全部」
「……別に、大したことは」
「大したことですよ」
オルフェの声が真剣だった。
「僕には絶対できないことだから」
「……」
「歌を歌うことしかできない僕には」
◇
リリアは、オルフェを見た。
焚き火の夜に聞いた言葉を思い出した。
——僕、人間以外に何かしてあげられる事ないですからね。
——歌を聴かせても、馬は喜ばないし。
「……オルフェさんの歌は、すごいです」
「え?」
「人を、幸せにできる」
オルフェが目を丸くした。
「私には、できません」
「……」
「だから——」
リリアは小さく笑った。
「——お互い様、です」
◇
オルフェが笑った。
嬉しそうに、笑った。
「そうですね。お互い様ですね」
◇
窓の外を見た。
月が昇っている。
少し赤いけど、昨日ほどじゃない。
「……終わったんですかね」
オルフェが言った。
「災厄」
「……多分」
「そうですよね。繭も焼いたし」
「……」
「伝説なんて、やっぱり大げさだったんですね」
◇
リリアは答えなかった。
月を見ていた。
——虹色の羽が、降りてくる。
歌の一節が頭をよぎった。
羽。
芋虫には、羽がない。
でも——
◇
「……きっと、終わりましたよ」
オルフェが言った。
「明日からは、また祭りが再開されます」
「……そうですね」
「楽しみですね」
オルフェが笑った。
リリアも、小さく笑った。
◇
その夜。
リリアは、なかなか眠れなかった。
月を見ていた。
赤い月。
昨日より、薄くなっている。
でも——
まだ、赤い。
◇
嫌な予感が消えなかった。




