焚き火の夜
街道沿いの、少し開けた場所。
「今日中には、町に着かないですね」
オルフェが空を見上げて言った。太陽が山の向こうに沈みかけている。空が橙色に染まっていた。
「……そうですね」
リリアは頷いた。
「野宿しましょうか」
◇
焚き火を起こした。リリアが枯れ枝を集め、火打ち石を叩く。慣れた手つきだった。
「すごいなあ」
オルフェが感心したように見ている。
「僕、火起こし苦手なんですよ」
「……慣れです」
「一人旅、長いんですか?」
「……まあ」
火が起きた。赤い炎がぱちぱちと音を立てている。
◇
荷物から保存食を出した。干し肉。硬いパン。チーズ。旅の定番だ。
オルフェが自分のパンを見て、困った顔をした。
「……カチカチだ」
「火で炙ると、少し柔らかくなります」
「そうなんですか?」
リリアは枝にパンを刺して、火にかざした。オルフェも真似をする。
「……本当だ。少し柔らかい」
「焦がさないように」
「はい」
◇
二人で焚き火を囲んで食べた。硬いパン。塩気のある干し肉。少し酸っぱいチーズ。
「……美味しいですね」
オルフェが言った。
「……そうですか?」
「外で食べると、なんでも美味しく感じませんか?」
リリアは少し考えた。
「……そうかもしれません」
◇
食事が終わった。オルフェが竪琴を取り出した。
「一曲、歌っていいですか?」
「……どうぞ」
弦が鳴る。澄んだ音が夜の空気に溶けていく。
オルフェが歌い始めた。昼間の祝宴で歌ったような華やかな曲ではない。静かな曲だった。旅人の歌。遠い故郷を想う歌。
焚き火の炎が揺れる。星が、ひとつ、またひとつと瞬き始める。
リリアは黙って聴いていた。
◇
歌が終わった。静寂が戻る。焚き火の爆ぜる音だけが響く。
「んっ……」
オルフェが小さく咳払いをした。喉を押さえて、水筒の水を飲む。
「……大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫です。いつものことなので」
「いつもの?」
オルフェが苦笑した。
「昔からなんですよ。喉に、何か引っかかるような感じがあって」
「……」
「子供の頃に医者に診てもらったんですけど、よく分からないって言われました」
「痛みは?」
「ないです。ただ、ちょっと違和感があるだけで」
リリアは黙っていた。
オルフェが笑った。
「でも、歌えてるから気にしてません」
「……」
「むしろ、これがあるから歌えてるのかも」
「……?」
「楽器だって、中の構造で音が変わるでしょう?」
オルフェが喉を軽く叩いた。
「だから、僕のこの声も、喉の変なやつのおかげかもしれない」
少し間を置いて、笑った。
「冗談ですけどね」
リリアは何も言わなかった。
◇
月が昇っていた。
「月、綺麗ですね」
オルフェが空を見上げた。リリアも見上げる。
満月だった。大きくて、丸くて、明るい。
でも——
「……少し、赤くないですか」
「え?」
オルフェが目を凝らした。
「そうですか? 普通に見えますけど」
「……気のせいかもしれません」
リリアは視線を落とした。月の色なんて、日によって違う。大気の状態で、見え方が変わる。たぶん、気のせいだ。
◇
焚き火に枝を足した。炎が大きくなる。二人の影が長く伸びた。
「知ってますか、リリアさん」
オルフェがふと言った。
「国が滅んでも、歌は残るんです」
「……」
「王様の名前は、みんな忘れます。百年経てば、歴史書に載ってるだけの人になる」
オルフェが竪琴の弦をぽろんと弾いた。
「でも、子守唄は残るんです。千年前の子守唄が、今でも歌われてる」
「……」
「僕はね、そういう歌を歌いたいんです」
オルフェが空を見上げた。星が無数に瞬いている。
「百年後も、二百年後も残るような歌」
「……」
「でも、今の時代は平和でしょう?」
オルフェが少し笑った。
「歌に残るような大きな出来事なんて、起きない」
「……平和なのは、いいことでは」
「もちろん。もちろん、そうです」
オルフェが頷いた。
「でも、少しだけ——」
声が小さくなった。
「——残念ですけどね」
◇
リリアは、オルフェの横顔を見ていた。焚き火の炎に照らされて、金髪が輝いている。綺麗な顔だった。
でも、少しだけ寂しそうに見えた。
◇
翌日。また、歩いた。
街道は続いている。枯れ野が丘になり、また平地に戻った。
オルフェはよく喋った。旅先で見た景色の話。出会った人の話。聴いた歌の話。
リリアは、ほとんど聞き役だった。でも、嫌じゃなかった。
◇
夕方。また、野宿することになった。
焚き火を起こす。今日はオルフェも手伝った。少し上手くなっている。
「やった、火がついた」
「……上達しましたね」
「リリアさんのおかげです」
◇
月が昇った。
「——やっぱり、赤くないですか」
オルフェが言った。
リリアは見上げた。確かに、昨日より赤い。気のせいじゃない。
月が赤みを帯びている。
「……赤いですね」
「ですよね」
オルフェが竪琴を手に取った。
「そういえば、こんな歌があるんですよ」
「……?」
「この地方に伝わる古い歌です」
弦を弾いた。不協和音に近い、不安を煽るような響き。
そして、歌い始めた。
◇
「——赤い月夜に、目を閉じなさい」
「——窓を開けては、いけないよ」
「——虹色の羽が、降りてくる」
「——美しいものに、息を止めて」
◇
「——赤い月夜に、目を閉じなさい」
「——空を見上げては、いけないよ」
「——……」
「——朝が来るまで、眠りなさい」
◇
歌が終わった。焚き火がぱちりと爆ぜた。
リリアは息を詰めていたことに気づいた。
「……怖い歌ですね」
「でしょう?」
オルフェが笑った。でも、いつもより少し硬い笑顔だった。
「『赤い月夜の子守唄』って言うんです。何百年も前から、この地方で歌い継がれてきた」
「……虹色の羽」
「何かが来るんでしょうね。赤い月の夜に」
「何か……」
「分からないです。途中の歌詞が欠けてるので」
オルフェが肩をすくめた。
「まあ、ただの言い伝えですよ。迷信です」
「……」
「今は平和な時代ですから」
オルフェが竪琴をしまった。
「さ、寝ましょうか。明日にはファルムに着くはずです」
◇
毛布にくるまった。地面は硬い。でも、焚き火が温かい。
隣でオルフェがすぐに寝息を立て始めた。
リリアは、しばらく眠れなかった。空を見上げていた。
月が赤い。昨日より、確かに赤い。
——虹色の羽が、降りてくる。
——美しいものに、息を止めて。
歌の意味は、分からない。何百年も前の歌だ。迷信かもしれない。
でも——リリアは目を閉じた。嫌な予感がした。
いいですよね、冬キャンプと焚火。
作品の中での雰囲気だけは。
実際は寒さとの戦いがどうしても身体に記憶として刻まれます。
この話は、試しに暖房をつけずに執筆してみましたが、普通に底冷えが辛いですね…
風邪ひいて執筆止まると嫌なのでやせ我慢はやめておきます。




