街道にて
それは、五千年の記憶だった。
銅イオン水。
銅。原子番号29。人類が最初に手にした金属のひとつ。電気を通す。熱を伝える。貨幣になる。神社の銅像。十円玉。街を走る電線。台所の鍋。人類の歴史と共にあった最も身近な金属。
だがそれだけではない。
「青い血の生き物」がいる。昆虫。甲殻類。軟体動物。彼らの血液は銅で酸素を運ぶ。だから青い。
そして——水に溶けた銅は細菌を殺す。真菌を殺す。古来より傷口の消毒に使われてきた。
◇
ネブライザー。
紀元前2000年、古代エジプト。人類は既に薬草を熱して蒸気を吸入していた。19世紀、フランス。「霧」を意味するラテン語「nebula」から名がつけられた。
吸入療法専用の医療機器。薬液を霧状にして気道に届ける。
かつて呼吸器疾患は子供の命を容赦なく奪った。薬を飲めない幼子にも霧なら届く。息ができる。それだけで命が繋がる。
◇
医療目的の金属イオン水溶液と吸入器具。
すなわち——ヒーラーが装備可能な「治療器具」である。
◇
荷物の中に見覚えのない器具があった。
小さな箱。そこから伸びる管。管の先には、霧を吹き出す口がついている。
どこかの世界のヒーラーの知識が流れ込んでくる。リリアは何をすべきか分かっていた。
管の先を泉の水に浸す。箱の側面にある突起を押した。
低い振動音。箱が小刻みに震え始める。
しゅう……
管の先から、霧が立ち上った。エメラルドグリーンの霧。泉の水面から、ゆらゆらと。
最初に届いたのは——リリア自身だった。
◇
これは、銅が紡いだ物語。
◇
街道を歩いていた。
右を見ても、左を見ても、枯れた畑。冬枯れの草が風に揺れている。
空は青い。雲は白い。吐く息が白い。
リリアは一人で歩いていた。
◇
荷物は軽い。腰にはカミラのメイス。
銅のインゴットは荷物の底に入れてある。ずしりと重いそれを背負うと、なぜか安心した。
足取りは軽かった。どこへ行くとも決めていない。
ただ、西へ。街道の続く限り、歩いていく。
◇
前に人影があった。
一人で歩いている。背中に何かを背負っている。楽器だろうか。
旅人だ。
リリアの方が少し速かった。距離が縮まっていく。
追い抜こうとした時、相手が振り返った。
「あ、こんにちは」
人懐っこい笑顔だった。
長い金髪。細身。中性的な顔立ち。背中に背負っているのは、竪琴だ。
「……こんにちは」
リリアは小さく頷いて、追い抜いた。
◇
昼頃。
道端の木陰で休んでいたら、さっきの金髪が追いついてきた。
「あ、さっきの人」
手を振られた。
リリアは軽く頷いて、立ち上がった。歩き出す。
また、追い抜いた。
◇
夕方近く。
街道沿いに荷馬車が止まっていた。
御者のおじさんが困った顔をしている。馬が前足をかばうように立っていた。
「どうしたんですか」
声をかけていた。
「馬がな、足を痛めちまって……」
御者が額の汗を拭った。
「次の町まであと半日なんだが、これじゃ動けん」
リリアは馬に近づいた。
馬がじっとこちらを見ている。怯えてはいない。ただ、痛いのだろう。
「……見せてください」
前足に触れた。腫れている。捻ったのかもしれない。
周りを見た。人通りはない。
小さく、魔法を唱えた。
淡い光が馬の足を包んだ。
馬がぶるると鼻を鳴らした。
「……これで大丈夫です」
「おお……?」
御者が目を丸くした。馬がぱかぱかと足踏みをしている。痛がっていない。
「痛がってねえ。あんた、魔法使いか?」
「……少しだけ」
「助かった、ありがとうな」
御者が深く頭を下げた。
リリアは小さく頷いて、歩き出した。
◇
「すごいですね」
背後から、声がした。
振り返ると、金髪の男が立っていた。いつの間に追いついたのか。
見られていた。
「今の、回復魔法ですよね」
「……」
「ヒーラーなんですか?」
「……回復魔法が、少し使えるだけです」
「少しって」
男が首を傾げた。
「あんなに綺麗に治せるのに?」
リリアは答えなかった。
男はそれ以上追及してこなかった。代わりににっこり笑った。
「僕、人間以外に何かしてあげられる事ないですからね」
「……?」
「歌を聴かせても、馬は喜ばないし」
「……そうでしょうか」
リリアはぽつりと言った。
「馬も、嬉しいかもしれません」
男が目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「そうかな。今度歌ってみようかな、馬に」
◇
自然と並んで歩いていた。
「僕、オルフェっていいます」
「……リリアです」
「リリアさん。どこまで行くんですか?」
「……西の方へ」
「僕もです」
オルフェが嬉しそうに言った。
「ファルムって町で、冬祭りがあるんですよ」
「冬祭り……」
「年の終わりを祝うんだそうです。楽しみだなあ」
リリアは何も言わなかった。
でも、悪い気はしなかった。
◇
道中の小さな集落。
「おっ、吟遊詩人じゃないか!」
男たちがオルフェに声をかけてきた。
「ちょうどいい、一曲歌ってくれよ!」
「え?」
「明日、うちの息子が結婚するんだ。前祝いだ!」
「それはおめでとうございます」
オルフェが微笑んだ。
「喜んで」
◇
リリアは通り過ぎようとした。
「おっと、そっちの嬢ちゃんも!」
がっしりした腕に捕まった。
「あんたも旅人だろ?一緒に祝っていけ!」
「いえ、私は……」
「まあまあ、遠慮すんなって」
気がついたら、広場の椅子に座らされていた。
目の前にパンとスープが置かれた。
「食え食え!今日は祝いだ!」
断れなかった。
◇
オルフェが広場の中央に立った。
竪琴を構える。
弦を弾いた。
澄んだ音が夕暮れの空に響いた。
そして——
歌い始めた。
◇
リリアは息を呑んだ。
——何だ、この声は。
透明で、どこまでも伸びていく。高く、澄んで、純粋で。
人間の声じゃない。
天使だ。
天使が歌っている。
◇
歌が終わった。
一瞬の静寂。
それから、割れんばかりの拍手。
「すげえ!」
「こんな声、聴いたことねえ!」
「天使の声だ!」
オルフェが照れくさそうに笑っている。
リリアはまだ動けなかった。
心臓がどくどく鳴っている。
何だったんだ、今のは。
◇
祝宴は日が暮れても続いた。
肉が焼かれ、酒が注がれ、歌が歌われた。
リリアは隅っこで静かにパンを齧っていた。
誰かが話しかけてくる。「どこから来たんだ?」「一人旅か?」「若いのに偉いな」
適当に答えていたら、いつの間にか打ち解けていた。
不思議な気分だった。
知らない人たちなのに、温かい。
◇
「リリアさん」
オルフェが隣に座った。
「楽しんでますか?」
「……はい」
本当だった。
「良かった」
オルフェが笑った。
「一人旅って、寂しくないですか?」
「……慣れました」
「僕は慣れないなあ」
オルフェが空を見上げた。
「誰かと一緒にいると、やっぱり楽しい」
リリアは何も言わなかった。
でも、少しだけ。
少しだけ、分かる気がした。
◇
祝宴が終わった。
「ありがとな、吟遊詩人!最高だった!」
「こちらこそ、ありがとうございました」
オルフェが頭を下げた。
リリアも、小さく頭を下げた。
「そっちの嬢ちゃんもな!また来いよ!」
「……はい」
◇
集落を出た。
もう日が暮れていた。
星がぽつぽつと光り始めている。
「今日中に町には着かないですね」
オルフェが言った。
「野宿ですかね」
「……そうですね」
二人で街道を歩いた。
並んで。
◇
別に約束したわけじゃない。
ただ、同じ方向に歩いているだけだ。
同じ場所から、再出発しただけだ。
でも——
リリアは少しだけ。
一人じゃないことが、嫌じゃなかった。
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新章「キュン死注意!◆特製ヒーリングミスト」開始です!
あらかじめ言っておきます。
オルフェさんはラブラブ展開になったり、殺したりしないのでご安心ください。
前章ガトリング砲を全くつかわなかったのでこの章はちゃんと出します!
「ガトリング砲が出ない回の方が面白い」と言われる恐怖と今から戦っています!
もし、そういう感想をいただいたら泣いちゃいます!!
あ、完走いただけたらうれし泣きするんですよ!
いまだ1つも無いですから!!!!




