極低温凍結噴霧装置(クライオプローブ)
最終救護――
光が溢れた。
リリアの足元に、くすんだ銀色の箱が現れた。
◇
それは、メスを使わない『手術』だった!
摂氏 マイナス196℃。
華氏 マイナス321℉。
その温度では、ごくわずかな例外を除き、あらゆる生命活動は停止する。
極低温凍結噴霧装置。
原子力施設において、液体窒素による超低温で放射性物質で汚染されたコンクリートを凍結剥離させる。配管を脆化させ、切断する。人類が生み出した最も危険な施設を、安全に解体するための技術。
ノズルの調整次第で、数ミリのイボの除去から、アスリートの全身アイシングまで。その用途は、驚くほど広い。
液体窒素を利用した、コンクリートをものともしない凍結・切断・洗浄器具。
すなわち、ヒーラーが装備可能な『治療器具』である!!
◇
リリアが袖をまくった。肩の下で、大きなボタンで留める。
荷物の中から、厚手のミトンを取り出した。腕まである、普段は使わない手袋。
超低温下では、ちょっとした事で服や皮膚が張り付く。張り付いたら、剥がれない。剥がそうとすれば、皮膚ごと持っていかれる。
氷属性の魔物や魔法に対する治療の基本。魔法学校で習った知識が、身体を自然に動かしていた。
パチン、パチン。銀色の箱のノッチを一つずつ外す。
宝箱のように厳重な構造の、銀色の箱を開ける。
中には、二重の壁に囲まれた金属の壺。壺の表面には、びっしりと霜が降りている。
蓋を開ける。白い煙が立ち上った。
銀色の筒を取り出す。金属部分に素肌が触れないよう、細心の注意を払いながら。
壺の中に差し込む。透明な液体が満ちていく。
箱の隅、断熱材に包まれた小箱を開ける。「N₂O」と刻印されたカートリッジ。
底部にはめ込む。ひねる。一回転半。
ミトンを外し、厚手の手袋につけかえる。
右手の指先がレバー状の突起にふれる。
準備完了。
◇
リリアが、銀色の筒をカミラの首元に向けた。
しゅう。
一瞬の噴射。
白い煙が晴れると——
黒い突起が、ぽろりと剥がれ落ちた。
凍結で返しが脆くなり、根元から外れたのだ。
その下から、ピンク色の皮膚。
楔のような突起は、まだカミラの皮膚を食い破っていなかった。
「……間に合った」
黒い突起のふくらみが、急激にしぼんだ。
ブヂュルルル……
先端から、黒いゲル状のものが勢いよく噴き出す。
文字通り皮膚一枚、間一髪であった。
わずかでも遅れていたら、あのゲルはカミラの体内に注入されていただろう。
◇
村人たちが、ざわめいた。
「俺もやってくれ!」
「俺も!」
極寒の息吹が、奪い取られた。
奪い合いながら、村人たちが次々と自分の首に噴射していく。
しゅう。しゅう。しゅう。
安堵の声が広がった。
ぺろん。
村長の足元に——仮面が、落ちた。
いや。
ここは仮面舞踏会ではない。
離宮でも、ダンスホールでもない。
人の、皮だ。
村長の顔が、剥がれ落ちていた。
その下から、半透明のゼリー状の塊が覗いている。
「スライムだ!」
「殺せ!」
村人たちが、村長に襲いかかった。襲いかかる村人たちの顔にも、皮膚がない。
ミミックスライムには、さらに上位種がいる。スナッチスライムだ。
乗っ取りが成立した瞬間、一部の器官を休眠状態にする。
これにより、自分がスライムである自覚を失う。
人間の脳組織の一部は活かし続け、記憶も連続している。
乗っ取られた人間は、自分が人間だと思ったまま生活を続ける。
皮か脳が保てなくなると、休眠状態だった器官が目覚め、新たな乗っ取り先を探す。また、自らの器官の一部を「芽」として人間に植えることで、分身のように仲間を増やすことができる。
だから——自分の顔が剥がれ落ちても、気づかない。
隣の人間の顔が剥がれ落ちたことには、気づく。
「化け物め!」
自分が化け物であることを知らないまま、化け物を殺そうとする。
「俺の家族を返せ!」
自分がその家族を食い殺したことを、覚えていない。
殺し合いが始まった。
◇
「逃げるわよ!」
カミラが、リリアの腕を掴んだ。
走った。
広場から離れた。
建物の陰に隠れた。
背後から、悲鳴と怒号が聞こえ続けていた。
◇
どれくらい時間が経っただろう。
音が、少しずつ減っていった。
静寂が、村を覆った。
リリアは、そっと広場を覗いた。
スライムの残骸が、あちこちに広がっている。
人の姿を保っている者を、数える。
一人。リリア。
二人。カミラ。
三人目は——
リュウは。アッシュは。レイドは。ゼクスは。
いない。
床に広がるスライムの残骸。
その中に、見覚えのあるものがあった。
「……あ、あ……ぁ……」
声にならない声が、漏れた。リリアの膝から力が抜け、崩れ落ちるようにしゃがみこむ。
赤い羽根のついた帽子。アッシュのもの。
スエード皮のグローブ。レイドのもの。
錬金術師ギルドのモノクル。ゼクスのもの。
三人目は、いなかった。
最初から、いなかったのだ。
はい、この章のタイトル「カッチン◇スライムだって転生したいっ!」を回収する回です。
『スライム=最弱キャラ』はドラクエやドルアーガの塔などの日本の初期のRPG文化の影響ですっかり定説になっていますが、海外のファンタジーの本場から言わせたら「ドラゴンくらいヤバい奴だ」って話を聞くので、思いっきり兇悪なモンスターにしてみました。
「乗っ取られた後も意識が残る」って、これファンタジーじゃないジャンルの怖さだよっ!
(海外の一部の方、やったら好きですよね「人の皮をかぶった、中身がスライムの女の子」のたぐい)
しかし、前回まで「捨てられ聖女は【〇〇】されています」だったサブタイトルまですっかり変わってしまって…
リリアさん、聖女溺愛アフタヌーンティー脳を粉砕するどころか
「あからさまにカミラさんが怪しすぎて、逆に人間だとバレてる人狼展開」まで一気にぶちこわしてしまいました…




