捨てられ聖女はなぜか【溺愛】されています♡
それは、メスを使わない『手術』だった!
摂氏 マイナス196℃。
華氏 マイナス321℉。
その温度では、ごくわずかな例外を除き、あらゆる生命活動は停止する。
極低温凍結噴霧装置。
原子力施設において、液体窒素による超低温で放射性物質で汚染されたコンクリートを凍結剥離させる。
配管を脆化させ、切断する。
人類が生み出した最も危険な施設を、安全に解体するための技術。
ノズルの調整次第で、数ミリのイボの除去から、アスリートの全身アイシングまで。
その用途は、驚くほど広い。
液体窒素を利用した、コンクリートをものともしない凍結・切断・洗浄器具。
すなわち、ヒーラーが装備可能な『治療器具』である!!
◇
男が、地面に転がる『極寒の息吹』を拾い上げた。
篭手を外し、左腕に吹き付ける。
しゅうううう。
白い煙が、腕を包んだ。
ぱきり。
男の腕——いや、骨組織も無い、腕のように見えた部位は、凍りついてぽっきりと落ちた。
◇
——これは、少し先の未来の話。
◇ ◇ ◇
足が、重かった。
石畳が視界の端でぐらぐら揺れている。一歩踏み出すたびに、膝がみしみし軋んだ。
人の声がする。荷車の車輪が石を弾く音。どこかで犬が吠えている。
街だ。
水は昨日の朝に尽きた。
最後に何か食べたのは……いつだっけ。もう思い出せない。
(……宿)
それだけを頭に浮かべて、ふらふら歩いていた。
誰かの肩にぶつかってしまった。よろめく。視界がぐにゃりと傾ぐ。
ごめんなさい、と言おうとして顔を上げた。
影が落ちた。
馬だ。大きい。
馬車がこっちに向かってくる。
もう止まれない距離。
ああ。
死ぬんだな、私。
◇
体が横に飛んだ。
硬い。でも、不思議と痛くない。
かちゃり。
金属の音がした。小さな板が擦れ合うような、涼しげな音。背中と太ももの裏に、硬い感触がある。冷たくない。誰かの体温でほんのり温まった金属だ。
……抱えられてる?
「——大丈夫か」
声が降ってきた。低くて、落ち着いた声。胸元の鎧が震えて、その振動が体に伝わってくる。
目を開けた。
まず胸当てが見えた。銀色。よく磨き込まれている。鷲と剣の紋章が刻まれていた。首元にスカーフを巻いている。その下に、何か別の紋章がちらりと見えた。幻獣——グリフォンだろうか。由緒ある名家の家紋に違いないが、思い出せない。
恐る恐る、見上げた。
金色が視界に飛び込んできた。髪だ。夕日を透かして、輪郭がふわりと白く滲んでいる。
その奥に、青があった。
目だ。真っ直ぐ、こっちを見ている。
「怪我は」
唇が動く。答えなきゃ。でも喉が詰まっていて、声が出ない。
「……下ろして、ください」
やっとそれだけ絞り出した。掠れた、情けない声だった。
「まだ震えてる」
そう言われて、初めて気づいた。確かに、ぶるぶる震えている。自分の体なのに全然分からなかった。
ゆっくり下ろされる。足の裏が石畳に触れた瞬間、空気がひんやり冷たかった。さっきまで、あの人の腕の中にいたから……。
——膝が、かくんと笑った。
やっぱり立てなかった。情けない。
腕が伸びてきた。篭手に包まれた手が、腰をそっと支えてくれる。金属は硬いのに、力加減はびっくりするほど柔らかい。
「宿に連れてく」
断られる気がしない言い方だった。
歩き出す。この人がリリアの歩幅に合わせてくれているのが分かる。鎧の足音が、ゆっくり、ゆっくり、石畳を叩いていた。
◇
木の扉が開いた。
料理の匂いがふわっと押し寄せてきた。肉と、香草と、焼きたてのパン。お腹が盛大に鳴りそうになって、慌てて息を止めた。
宿の食堂だ。人の気配がある。暖炉の火がぱちぱち爆ぜている。
「おっ、リュウが女連れてる!」
声が飛んできた。明るい。大きい。壁に跳ね返って、食堂中にわんわん響く。
視線を向けると、テーブル席に三人いた。
一番手前の男が、椅子から身を乗り出してこっちを見ている。金髪。さっきの人より少し暗い色で、短く刈り揃えられている。にかっと笑っている。目が合っても、そのまま笑っている。人懐っこい顔だ。テーブルの上に、赤い羽根のついた帽子が置いてあった。ハイランダー——山岳民族の戦士が被る、勇敢の証だ。
「また拾ってきたの」
別の声が入ってきた。涼やかで、少し高い。銀髪の男が頬杖をついていた。
赤い目。切れ長で、長い睫毛。整った顔立ちが、どこか中性的に見える。
綺麗な人だ。指先には、スエード皮のグローブ。しなやかに指を動かせる、上質な革。貴族の嗜みだ。
なぜ冒険者が。
「拾っただけだ」
腰を支えていた手が離れた。鎧の冷たさが消えて、そこだけ急にすーすーする。
「座って」
背中を軽く押された。言われるがまま椅子に腰を下ろす。テーブルの木目が目の前にあった。
ふわり。
肩に、何か乗った。重さがある。布の匂い。干した草のような、清潔な香り。
振り返った。
黒髪の子が立っていた。長い髪。琥珀色の目。小柄で、華奢な体つき。……男の子? 女の子? 分からない。
片目にモノクルをかけている。縁に小さな紋章が刻まれていた。あれは——冒険者ギルドではなく、錬金術師ギルドの紋章だ。上着をかけてくれたらしい。リリアの肩には触れないように、そーっと。
「……ありがとう、ございます」
小さく頷きが返ってきた。声は出さない。表情もあんまり変わらない。
「ゼクスはシャイなんだ。気にすんなー」
明るい声がまた飛んでくる。さっきの金髪の男だ。
「俺はアッシュ。よろしくな」
立ち上がって、ぶんぶん手を振っている。元気な人だ。
「僕はレイド」
銀髪の方は座ったまま、ひらひら手を挙げた。
隣に、かちゃりと鎧の音がして誰かが座った。
「リュウ」
短く名乗られた。さっきの人だ。助けてくれた人。
青い目がこっちを向いている。
「名前」
「……リリアです。冒険者です」
「ジョブは」
「……あ」
口が止まった。目が泳ぐのが、自分でも分かる。
ヒーラーとは言えなかった。言ったら、また——
「早速口説いてんなリュウ」
アッシュの声が割り込んできた。助かった。
「質問しただけだ」
「そういうとこだぞ」
「このローブを見れば分かるよ」
涼やかな声。レイドだ。赤い目が、リリアのローブをじっと見ている。
「ボクと同じヒーラーだね」
言い当てられた。体がこわばる。
「あんまり他のヒーラーとお話しすることないから、嬉しいな」
レイドがにこっと微笑んだ。嫌味のない、柔らかい笑顔だった。
「なんだレイド、お前も口説いてんじゃん」
「違うってば。これはヒーラー同士のガールズトークだもん」
「お前男だろ」
「心は乙女なの」
「……」
ゼクスが無言で頷いた。
「ゼクスも肯定すんな!」
◇
「はい、お待ち!」
元気な声と一緒に、テーブルにグラスがどんどん並べられた。
女将さんらしい人が、グラスを次々と置いていく。
「食前の薬草酒3つ。一番苦いやつにしといたよ」
濃い緑色の液体が入ったグラスが3つ。それから、白いカップが1つ。
「あとホットミルク1つ。サボテンのシロップ入りだったね」
アッシュが噴き出しそうな顔をした。
「誰だよホットミルクなんて頼んだの」
「……俺だ」
リュウが言った。恥ずかしがる様子もない。堂々としている。
そのまま、白いカップをリリアの前にことんと置いた。
「これはあなたに。空きっ腹で食べると負担が大きい。先に飲んでおいた方がいい」
湯気がふわふわ立っている。甘い匂いがした。
「食べるって……私、その前にまだ宿も」
「ここで食べていけ」
リュウがさらっと遮った。
「ここの鯉のグリルは絶品だ。人数が多い方がうまい」
「宿は2つ部屋が空いてたはずだ」
少し間を置いて、付け加えた。
「嫌なら、後で一緒に探してやる」
断る隙がなかった。でも、強引とも違う。
逃げ道はちゃんと用意されている。ただ、逃げる理由が見つからなかった。
「……いただきます」
カップを手に取った。じんわり温かい。一口飲むと、優しい甘さが喉を通って、体の芯までしみこんでいく。
「よし」
リュウが短く言った。満足そうだった。
◇
料理が来た。
鯉のグリル。香草焼き。パン。スープ。湯気と一緒に、香ばしい匂いがもわっと立ち上る。
「遠慮しなくていい」
リュウが言った。
フォークを手に取った。一口、食べた。
……美味しい。皮がぱりぱり香ばしくて、身がほろほろ崩れる。
気づいたら、お皿が空になっていた。
「……もう一杯いるか」
「大丈夫です」
「遠慮してる」
「してないです」
「目がまだ皿見てる」
——見てた。
「アッシュ」
「はいはい」
また皿が来た。……食べた。
◇
リュウが部屋まで送ると言った。断った。
階段を上がる。廊下を歩く。部屋の前に着いた。
鍵を開けようとした時、視界の端で人が動いた。
もう一つの空き部屋。そこに、誰かが案内されていく。
赤い髪が揺れた。
「——まさか」
声がした。聞き覚えのある、冷たい声。
振り返ると、目が合った。
「失格ヒーラーじゃない」
カミラが笑っていた。
口の端だけ、わずかに上げて。あの頃と同じ、見下すような笑い方。
「奇遇ね。こんなところで会うなんて」
声が出なかった。足が動かなかった。
逃げてきたはずだった。あの場所から、あの人たちから。
なのに——
「明日、ゆっくり話しましょう」
カミラはそれだけ言って、部屋の中に消えた。
扉が閉まる音がした。
廊下に、リリアだけが残された。
偶然の素敵な出会いと、望まぬ再会が同時に訪れていた。
4章開始です!
19話まで来てようやく気づきました。
この作品、タイトルの時点で戦略ミスがありました。
【ガトリング砲】って言葉が思った以上に通じない!!!(自覚なかったんかい!)
というわけで、思い切って「追放聖女溺愛もの」に路線変更しました!!!
捨てられ聖女リリアさんと溺愛スパダリのあまあま逆ハーレム、おたのしみに!(正気か!?)
※もちろんネタなのでご安心を。
この章になって、非情に困惑した感想をいただきましたが
この作品、流れ着く先で人々の民度や文化観がガラッと変わるファンタジー・ロードムービーで
今回は「リリアさんが聖女溺愛ものの世界にぶちこまれたら?」ってお話です。
あと、今回のリリアさんが使う「ヒーラーが装備可能な治療器具」の名前、検索しても出てこないかと思います。
用途があまりにも特殊すぎて、1社しか作っていない上に登録商標だったため、作中では名前を出せませんでした。ホチキスやジープみたいに「NHKでは言えないアレ」ですね。
「本来の使い道』と違う使い方をする作品ゆえ、チェーンソーを武器に使う許可を取ろうとすると「工具です」って苦言を呈されるみたいに、怒られた時が大変なので、ご了承ください。




