テスラタワー
その時――
リリアの背後に、光がそびえ立った。
振り返る。
大地から生えた、金属の大樹。枝の代わりに銅色のコイルを纏い、葉の代わりに稲光を散らしている。幹は鉄骨。根は大地に深く食い込んでいる。
高さ57メートル。天を衝くように、真っ直ぐに聳え立っていた。
筋肉の収縮。神経の伝達。心臓の拍動。
これらを司るのは、微弱な電気信号である。電気が止まる時、命が終わる。
この常識は、ある日を境に覆された。
AED――自動体外式除細動器《オートメーテッド・エクスターナル・デフィブリレーター》。
1947年、外科医クロード・ベックが初めて人間の心臓に電気ショックを与え、心室細動を停止させることに成功した。
心臓が痙攣して血液を送れなくなる心室細動。電気ショックで一度リセットし、正常なリズムを取り戻させる。
現代では駅や学校、公共施設に設置され、多くの命を救っている。
弱点は電極パッドとケーブル。患者のそばにいなければ、使えない。
ウォーデンクリフ・タワー――通称テスラタワー。
1901年、天才発明家ニコラ・テスラが建設した無線送電塔。ケーブルを使わず電気を空中に飛ばす。離れた場所にエネルギーを届ける。
実用化はされなかった。だが、その思想は100年以上の時を経て、ワイヤレス充電技術として実を結んでいる。
テスラタワーの心臓部に使われているテスラコイル。このコイルが発するプラズマは、高温殺菌ができない繊細な医療器具の滅菌にも広く使われている。
除細動と滅菌を目的とした、高さ57メートルの無線送電塔。
すなわち――ヒーラーが装備可能な治療器具である。
どこかの世界のヒーラーの思いが、流れ込んでくる。
(届く)
(離れていても、届く)
(電気なら、届く)
塔の周囲に、別の装置が出現した。
針金を束ねたような、巨大な輪。いくつも。いくつも。塔を取り囲むように。
それぞれの輪の傍に、取っ手のついた装置がある。ロープが繋がった取っ手。針のついた計器。そして、巨大なレバー。
リリアは、何をすべきか分かっていた。どこかの世界のヒーラーの知識が、流れ込んでくる。
最初の取っ手を、強く引いた。
ガッ
手応えがある。でも、動かない。もう一度。
ガッ
まだだ。もう一度。
ガガガッ
低い音が響いた。
ドルルンッ、ドドドドド…
心臓の鼓動のように小刻みに震えている。
針金の輪が、回転を始めた。ゆっくりと。でも、確実に。
次の装置へ走る。取っ手を引く。
ガガガッ
低音が重なる。
ドドドドド ドドドドド
二つ目の輪が回転を始める。
三つ目、四つ目。無心で取っ手を引く。
輪と繋がった、一際大きな装置があった。針のついた計器。針が、動き始めた。ゆっくりと、右へ。
リリアは、次々と装置を起動していった。五つ目。六つ目。七つ目。
低音が重なっていく。
ドドドドド ドドドドド ドドドドド
地面が震えている。空気が震えている。
塔の上部に、稲光が走り始めた。
バチッ
バチバチッ
青白い光が、コイルの周りを踊っている。
計器の針が、どんどん右へ動いていく。
白い表示を超えた。黄色い表示を超えた。赤い表示に達した。
まだ動いている。
赤い表示を超えた。右に振り切れた。全ての計器の針が、右に振り切れている。
リリアは、最後の装置の前に立った。
少女は巨大なレバーを握っていた。
「……お願い……」
涙が頬を伝っている。
「……届いて……」
レバーを、持ち上げた。
ガシャン
重い音が響いた。
ヴィーン……
不気味な低音。空気が、震える。髪が、逆立つ。静電気が、肌を這う。
全ての音が、消えた。
風が止まった。波の音が、聞こえない。
自分の心臓の音だけが、耳の奥で響いている。
ドクン。ドクン。
世界が、息を止めていた。
その時。
雲一つない常夏の海岸に、稲妻が光った。
金属の大樹から、電気が放たれた。
青白い稲妻が、坑道の中へ飛び込んでいく。ケーブルなしで。無線で。遠く離れた地下へ。
地下。
電気が、坑道を駆け抜けた。
電気とは、より抵抗の低いところへ流れる性質を持つ。
最後の銅鉱床。三十年間、この鉱山で最も純度の高い鉱脈だった。
銅は不純物が混ざると電気伝導率が下がる。だが、この鉱床は違った。掘り尽くされなかったことが、幸いした。高純度の銅が、巨大なアンテナとなって電気を集めた。
そして、ディエゴの体。
胸の上には、三十年前の銅で作られたペンダント。純度の高い、最初の銅。
腰には、鉄製の工具たち。ハンマー。タガネ。長年使い込まれた、鉱夫の道具。
高純度の銅から、鉄へ。電気は、最も通りやすい道を選んだ。
その経路の、真ん中に。ディエゴの心臓が、あった。
鉱床の純度。ペンダントの位置。工具の配置。
幾重もの偶然が重なった、奇跡だった。
三十年の絆が、ディエゴを蘇らせた。
ビクッ
ディエゴの体が、跳ねた。
目が、開いた。息を、吸い込んだ。
「……っ……!」
「親方!」
鉄ヒゲが叫んだ。
「嘘だろ、生き返った……!」
ゴリゴリが叫んだ。
ディエゴは、朦朧とした目で周囲を見た。
「……何が……俺……死んで……」
「嬢ちゃんだ!」
鉄ヒゲが言った。
「嬢ちゃんの魔法だ!」
だが、電気はディエゴだけに流れたのではなかった。
ディエゴを蘇らせた奇跡。その傍らで、もう一つの奇跡が起きていた。
深海魚人ダークシャドウにとっては、最悪の形で。
鉄もまた、電気伝導率の高い金属である。
だが、身近な金属の中では銀、銅、金、アルミニウムに次ぐ五番目。銅鉱床に比べれば、遥かに抵抗が大きい。
銅鉱床に向かって放たれた膨大な電気。その一部が、坑道に敷かれたトロッコのレールに流れ込んだ。
たった二本の鉄のレールに、電流が集中した。
水中から這い出た魚人たちが、そのレールの上に立っていた。三人に迫ろうとしていた。
その瞬間だった。
バリバリバリ
レールが光った。魚人たちが、痙攣した。
ビクビクビクビク
体が震える。止まらない。
目玉が、飛び出した。
ポンッ
ポンッ
眼窩から、ぐちゃりと零れ落ちる。口から泡を吹く。白目を剥く。
焦げた臭いが、充満した。魚人たちが、次々と倒れていく。レールの上で、黒く焦げながら。
「ギィィィ!」
生き残った魚人たちが、悲鳴を上げた。
慌てて水中に逃げる。仲間のところへ。安全な場所へ。水中にいた魚人たちと合流する。肉食魚たちも群れをなしている。
撤退しようとしている。海へ帰ろうとしている。
彼らの習性が、仇となった。
深海魚人にとって、水中は故郷であり、聖域であり、最も安全な場所だ。
危険を感じたら、水中に逃げる。それは本能だった。
陸上に留まっていれば、助かったかもしれない。
だが、本能には逆らえない。彼らは水中に逃げた。
最悪の選択を、自ら選んだ。
塩水は、真水に比べて百倍から二百五十倍も電気を通しやすい。
海水で満たされた坑道。レールは、その水中まで延びていた。
銅鉱床に届いた電気の全てが、水中に流れ込んだ。
バリバリバリバリ
海水が、光った。
水中にいた全員に、電流が流れた。逃げてきた魚人たち。元からいた魚人たち。肉食魚たち。
全員が、一斉に痙攣した。逃げ場はない。水中全体が、電気の檻になった。
金属の大樹が、別の何かを放った。
目には見えない波。空気が焼けるような熱を帯びている。
電磁波。
鉱山という地形が、災いした。
銅鉱床だけではない。坑道の壁には、微量の金属を含む鉱石が無数に埋まっている。トロッコのレール。車輪。放棄された採掘道具。至るところに金属がある。
そして、この地の地下水は含鉄泉だった。鉄分を多く含む水が、岩盤の隙間を流れている。
電磁波が、それらに当たって反射した。
複雑な坑道の形状。無数の金属片。鉄分を含んだ地下水。
反射が、反射を呼ぶ。増幅される。一点に集中していく。
その先には、魚人たちが落盤を起こして作った、海と坑道を繋ぐトンネルがあった。
彼ら自身が掘った穴が、彼らの墓場になった。
魚人たちの体内の水分が、沸騰し始めた。
生物の体は、およそ六割から七割が水分で構成されている。深海に棲む彼らは、それ以上かもしれない。
その全てが、内側から煮えたぎった。
プクプクプク
体が膨らんでいく。目が膨れ上がる。
「ギ……ギィ……」
声にならない悲鳴。体液が沸騰する。内臓が煮える。
体内の水分が、あっという間に蒸発した。
水中にいるのに。黒焦げになっていく。
鱗が焦げる。皮膚が炭化する。目玉が破裂する。
パンッ
パンッ
パンッ
次々と。魚人たちが、内側から崩壊していく。
肉食魚たちも、白い腹を見せて浮かび上がる。いや、白くない。黒く焦げている。
やがて、静かになった。
水面に、黒焦げの死骸が浮かんでいる。形を留めていないものもある。焦げた臭いと、血の臭いと、何か別の臭い。
坑道が、地獄絵図に変わっていた。
魚人は、全滅した。肉食魚も、全滅した。一匹残らず。
海の底より這い出し者たちは、二度と海へは戻れなかった。
鉄ヒゲが、呆然と周囲を見た。
「……何だったんだ……今の……」
ゴリゴリが、呟いた。
「……嬢ちゃんか……?」
ディエゴが、上を見た。
「……リリア……」
地上。
金属の大樹が、消えた。光が、消えた。
リリアは、膝をついたまま動けなかった。
「……届いた……?」
意識が、朦朧とする。
しばらくして。
坑道の奥から、声が聞こえた。
「嬢ちゃーん!」
「おーい!」
リリアは、顔を上げた。坑道を覗き込む。
三つの影が、上がってくる。
鉄ヒゲ。ゴリゴリ。そして――ディエゴ。
「……!」
リリアの目から、涙が溢れた。
「みんな……!」
「生きてた……!」
立ち上がる。駆け寄る。転びそうになる。でも、走る。
三人が、坑道から出てきた。血まみれで、傷だらけで、でも生きている。
「よかった……」
リリアは、三人の前で膝をついた。
「よかった……」
涙が、止まらなかった。
鉄ヒゲが、にやりと笑った。
「嬢ちゃんのおかげだ」
ゴリゴリが頷いた。
「すげえ魔法だったな」
ディエゴが、リリアを見た。
胸に、あの銅のペンダントをつけている。三十年前の銅。焦げた跡がついている。
「……ありがとう」
「……リリア」
リリア。
名前で呼ばれたのは、初めてだった。いつも「嬢ちゃん」だった。
でも、今。ディエゴが、名前を呼んでくれた。
「……っ……」
涙が、また溢れた。
「私こそ……」
「皆さんが……守ってくれたから……」
涙を拭う。でも、また溢れてくる。
「……ありがとうございます……」
四人は、坑道の入口に立っていた。
夕日が、海を照らしている。オレンジ色の光が、四人を包んでいた。
水面に、黒焦げの死骸が浮かんでいる。深海魚のような顔。鱗に覆われた体。だったもの。
水の中にいたのに。黒焦げになっている。一匹残らず。
「……帰ろう」
ディエゴが言った。
「……詰所に」
「おう」
鉄ヒゲが頷いた。
「腹減ったな」
ゴリゴリが言った。
「……私、シチュー温めます」
リリアが言った。
三人が、リリアを見た。
「……嬢ちゃん、できるのか」
「……ディエゴさんに教わりました」
「いつの間に」
「……この数日で」
リリアは、少し照れながら言った。
「食べる前に、インゴットみたいに固~いチーズを削って、少しふりかけますね」
「チーズだと?」
鉄ヒゲが目を丸くした。
「そりゃあ楽しみだ」
ゴリゴリが笑った。
「親方のシチューは美味いが、三十年間ずっと同じ味だったからな」
「……うるさい」
ディエゴが、ぶっきらぼうに言った。
「三十年、変わらなかったんだ」
鉄ヒゲが、空を見上げた。
「俺たちも、変わる時が来たのかもな」
「……ああ」
ディエゴが、少しだけ笑った。
「……悪くない」
四人は、詰所に向かって歩き出した。
夕日を背に。潮風を受けながら。
傷だらけで。疲れ果てて。
でも、生きている。
四人とも、生きている。
その晩の食卓。
親方が三十年作り続けた、精錬したばかりの銅のように茶色いシチュー。その上に、白銀のようなチーズが舞った。リリアが削った、細かな粉雪。
煮えたぎるような熱さが好きな鉄ヒゲの器だけ、溶けたチーズがとろりと糸を引いている。
「おお、こりゃあ美味い」
鉄ヒゲが、目を輝かせた。
「俺のは溶けてねえぞ。不公平だ」
ゴリゴリが、鉄ヒゲの器を睨んだ。
「お前が猫舌なのが悪い」
「違う、普通だ」
「普通じゃねえよ」
「お前が異常なんだ」
二人が、いつものように言い争いを始める。
ディエゴが、羨ましそうに鉄ヒゲの器を見ていた。それから、ゴリゴリの肩にそっと手を置いた。
「……もっと目の細かい削り器を作らないとな」
「……親方も溶けたチーズがいいのか」
「……悪いか」
「悪くねえよ。任せろ」
ゴリゴリが、にやりと笑った。
変化はあっても、いつもの光景。
リリアは、四人で囲む食卓を見回した。
銅の器。温かいシチュー。言い争う声。笑い声。
三十年変わらなかった食卓に、白いチーズが加わった。
それだけのことが、こんなに嬉しい。
涙が出そうになって、慌ててシチューを口に運んだ。
熱い。美味しい。
生きている。
みんな、生きている。
異世界無双ものの宿命、それは「もう、それだけ使ってればいいじゃん」なインフレ。
今回のテスラタワーは、まさに「もうそれだけ使ってればいいじゃん」なの
作ってしまいましたね。
この作者、この後どうするか考えてるんでしょうか?
肉食魚を数匹倒しただけのガトリング砲にも復権の日は来るのでしょうか?
クッパーフェルト鉱山編、もう少し続きます!
肉食魚を数匹倒しただけでのガトリング砲にも復権の日は来るのでしょうか?
クッパーフェルト鉱山編、もう少し続きます。




