水底からの来訪者
数日が経った。
リリアは、すっかり詰所の一員になっていた。
朝はシーツを干し、昼は坑道で三人の作業を見守り、夕方は洗濯を手伝う。夜は、四人で食卓を囲む。
「嬢ちゃん、パン取ってくれ」
「はい」
「ジャム、もうないぞ」
「あ、取ってきます」
「座ってろ、俺が行く」
温かい日々だった。
朝。
いつものように、四人で鉱山へ向かった。
リリアの灯りが、坑道を照らす。白い光が、銅鉱石をきらきらと輝かせる。昨日と同じ道。昨日と同じ空気。でも、今日はもっと奥へ行くらしい。
「今日はもっと深いところを見せてやる」
ディエゴが言った。
「最後の鉱脈のさらに奥だ。まだ誰も掘ってない場所がある」
「楽しみです」
リリアは、頷いた。
鉄ヒゲとゴリゴリが、先を歩いている。二人の影が、壁に揺れている。いつもの掛け合い。いつもの笑い声。
温かい。この人たちと一緒にいると、温かい気持ちになる。
坑道を進む。
どんどん深くなっていく。空気が冷たくなっていく。リリアの灯りだけが、闇を照らしている。
ふと、壁に手を当てた。濡れている。昨日も湿っていたけど、今日はもっとひどい。水滴が、壁を伝っている。
「……昨日より湿ってるな」
ゴリゴリが、眉をひそめた。
「水脈が近いのか」
鉄ヒゲも、壁を触った。
「気をつけろ」
ディエゴが言った。
「何かあったら、すぐに戻る」
四人は、慎重に進んだ。
その時だった。
ゴゴゴゴゴ
地鳴りがした。
足元が揺れる。壁が震える。天井から、砂がパラパラと落ちてくる。
「地震か!?」
鉄ヒゲが叫んだ。
「いや……違う……」
ディエゴが、奥を見た。
「この音は……」
ドォォォン
坑道の奥が、崩れた。
轟音。土煙。視界が真っ白になる。
そして――
ゴボゴボゴボ
水の音。大量の水が、奥から流れ込んできた。塩の匂いがする。
「海水だと!?」
鉄ヒゲが叫んだ。
「地下で海に繋がってたのか!」
ゴリゴリが叫んだ。
水が押し寄せてくる。勢いが凄い。足元を掬われそうになる。
「逃げろ!」
ディエゴが叫んだ。
水位が上がっていく。
あっという間に、膝まで。腰まで。胸まで。
リリアは、背が低い。水が首に届きそうになる。息ができない。
「嬢ちゃん!」
鉄ヒゲの声。でも、鉄ヒゲも溺れかけている。ドワーフは、背が低いのだ。
ゴリゴリも、水面でもがいている。ノームは、さらに小さい。
「くそ!」
ディエゴが、三人を掴んだ。大きな手が、リリアの腕を掴む。引っ張り上げられる。
岩場があった。水面から突き出た、大きな岩。
「掴まれ!」
ディエゴが、三人を岩場に押し上げた。
リリアは、岩にしがみついた。鉄ヒゲも、ゴリゴリも、必死にしがみついている。
ディエゴが、最後に這い上がろうとした。
その時。
ドサァァァ
追加の落盤。天井から、巨大な岩が落ちてきた。ディエゴの背中に、直撃した。
「がっ……!」
ディエゴの体が、水の中に沈んだ。
「ディエゴさん!」
リリアが叫んだ。
「親方!」
鉄ヒゲが叫んだ。
「くそ!」
ゴリゴリが、水に飛び込んだ。鉄ヒゲも続いた。
二人で、ディエゴの体を引き上げる。重い。大きな男だ。でも、二人は必死に引っ張った。
岩場に、ディエゴを寝かせた。
動かない。
目を閉じている。胸が動いていない。
「親方!親方!」
鉄ヒゲが、ディエゴの頬を叩いた。
「息がねえ!」
ゴリゴリが、ディエゴの胸に耳を当てた。
「心臓も止まってる!」
リリアは、駆け寄った。
両手をかざす。回復魔法。光が、ディエゴの体を包む。
傷が治っていく。打撲の跡が消えていく。
でも――ディエゴは、目を開けない。
「……何で……」
リリアの声が、震えた。
「……回復魔法が……効かない……」
「嬢ちゃん!」
鉄ヒゲが叫んだ。
「……心臓が止まってるから……」
リリアは、涙を流しながら言った。
「……回復魔法じゃ……動かせない……」
傷は治せる。病気も治せる。でも、止まった心臓を動かすことはできない。回復魔法は、そういう魔法じゃない。治癒再生能力を高めるヒーラーの数々の魔法のいずれも、停止した生命活動の前には全くの無力なのだ。
「くそ……くそ……!」
ゴリゴリが、拳を岩に叩きつけた。
鉄ヒゲが、ディエゴの傍に膝をついた。
濡れた上着を、そっと脱がせる。
「……親方……」
ディエゴの首元から、何かを外した。小さな銅のインゴット。革紐のペンダントになっている。
「……これは……」
リリアが見ると、刻印があった。細かい細工。ゴリゴリの手によるものだろう。
鉄ヒゲが、それをディエゴの胸の上に置いた。
「親方が、ずっと身につけてたやつだ」
ゴリゴリが、静かに言った。
「俺たち三人で最初に掘った銅で作った。三十年前だ」
鉄ヒゲが、ディエゴの手を胸の上で組ませた。
「……すまねえ、親方……」
「……守れなかった……」
二人の目に、涙が滲んでいる。リリアも、涙が止まらなかった。
その時。
水の中から、黒い影が現れた。
一つ。二つ。三つ。どんどん増えていく。
深海魚のような顔。ぎょろりとした目。鋭い歯が、口からはみ出している。鱗に覆われた体。人間のような手足。でも、指の間に水かきがある。
シルエットこそ人と似ている。だが、服は着ていない。
手には武器を持っていた。銛。ヤス。そして、ロープの先につながれた奇妙な針。錨のような形をした、返しのついた大きな針がいくつも束ねられている。魚を獲るためのものではない。人を絡めとり、引きずり込むためのものだ。
深海魚人ダークシャドウ。
この町が冬でも暖かいのは、深い海溝と二つの温かい海流のおかげだ。常夏のような気候。青い海。美しい景色。
だが、時に沿岸部には棲息していないものが迷い込む。深海から。光の届かない、暗い世界から。
かつて、彼らは川を遡り、中流部の村を襲った。多くの犠牲者が出た。その後、治水とモンスター対策を兼ねた立派な水門が建設され、被害はおさまった。
だが、彼らは諦めたのではなかった。
坑道を利用し、安全に内陸へ入り込む。守りの薄い、海の反対側から大攻勢をかける。そのために、長い時間をかけて、地下を掘り進めていたのだ。猟犬のように飼いならした獰猛な肉食魚たちを従えて。
今、その牙が、鉱山に向けられた。
「モンスターだ!」
ゴリゴリが叫んだ。
「こいつらが落盤させやがったのか!」
鉄ヒゲが叫んだ。
魚人たちが、岩場に向かって泳いでくる。ギチギチと、歯を鳴らしている。あの針付きのロープを振り回している。その周りを、肉食魚が群れをなして泳いでいる。鋭い歯。血に飢えた目。主人の命令を待っている。
数十体。いや、百を超えているかもしれない。
鉄ヒゲが、腰からツルハシを抜いた。
「来やがれ!」
ゴリゴリが、シャベルを構えた。
「嬢ちゃん、親方を頼む!」
二人が、魚人に立ち向かった。
リリアは、ディエゴの傍に残った。回復魔法をかけ続ける。光が、ディエゴの体を包み続ける。でも、心臓は動かない。
「お願い……」
涙が、頬を伝う。
「起きて……」
「ディエゴさん……」
鉄ヒゲとゴリゴリが戦っている。
傷だらけで、血まみれで。でも、二人は戦い続けている。
リリアは、何もできない。ディエゴに回復魔法をかけ続けることしか、できない。
(これ以上、犠牲者は出させない……!)
その瞬間。光が、リリアを包んだ。
最終救護――
どこかの世界のヒーラーらしき人物と思いがつながる。
そして、鋼鉄の守護神が降臨した。
リリアがハンドルを回すと、六本の鋼鉄の筒が咆哮をあげる。
ドドドドドドド
銃口が火を噴いた。
水面に向けて、乱射。弾丸が水を叩く。飛沫が上がる。
数匹の肉食魚の死骸が、水面に浮かんだ。血が広がる。
「やった……!」
リリアが叫んだ。
だが。
弾が当たらない。
水面から見える場所と、実際の居場所は違う。水の屈折だ。狙った場所に弾が届かない。
魚人たちは水中にいる。彼らにはこちらの位置が分かる。
銛が飛んできた。正確に、リリアを狙って。
「嬢ちゃん!」
ゴリゴリが、リリアを突き飛ばした。銛がゴリゴリの肩を貫いた。
「がっ……!」
血が噴き出す。ゴリゴリが倒れる。
「ゴリゴリさん!」
射撃が止まった一瞬。魚人たちは見逃さなかった。あの針付きロープが飛んできた。
守護神に絡みつく。ぐいっと引っ張られる。鋼鉄の守護神が水の中に引きずり込まれた。沈んでいく…、鋼鉄の筒の黒い輝きが、暗く深い水にのまれていく。
「そんな……」
リリアは、呆然とした。
リリアの頭に、別の守護神が浮かびかけた。火竜の吐息――
(でも……)
水中の相手には、炎は届かない。
その瞬間、どこかの世界のヒーラーの思いが、流れ込まなくなった。繋がりが、途切れた。
最終救護は、強い思いがなければ発動しない。「これで助けられる」という確信がなければ、どこかの世界のヒーラーと繋がることができない。
(駄目……)
(届かない……)
(どうすれば……)
(どうすれば、いいの……)
ゴリゴリが倒れている。肩から血が流れ続けている。
リリアは駆け寄った。回復魔法をかける。傷が塞がっていく。でも、血の臭いは消せない。血の臭いに反応して、肉食魚が集まってくる。ゴリゴリを狙っている。ギラギラした目。鋭い歯。
「来ないで……!」
リリアが叫んだ。でも、魔法では追い払えない。
鉄ヒゲが周りを見た。
坑道の壁に、大きなバケツがぶら下がっている。鉱石を運ぶためのバケツだ。滑車とロープで、地上まで繋がっている。
「嬢ちゃん!あのバケツに乗れ!」
「でも……」
ゴリゴリが立ち上がった。傷は塞がっている。でも、まだ血の臭いが残っている。
「戦うのは俺たちの役目だ」
鉄ヒゲが言った。
「嬢ちゃんは生きろ!」
「でも、私……私だって戦えます……!」
「馬鹿言うな」
ゴリゴリが、リリアの肩を掴んだ。
「ヒーラーが前線に出てどうする」
「でも……!」
「いいから行け!」
リリアは、バケツに押し込まれた。
鉄ヒゲとゴリゴリが、ロープを握った。魚人が迫ってくる。二人は、片手で魚人を払いながら、片手でロープを引いた。
ギィィィ
バケツが、上昇し始めた。
「待って!」
リリアが叫んだ。
「ディエゴさんが!鉄ヒゲさん!ゴリゴリさん!」
「嬢ちゃんは生きろ!」
鉄ヒゲが叫んだ。
「短い間だったが、楽しかったぞ!」
ゴリゴリが叫んだ。
「また会おうぜ!」
「……っ!」
リリアの目から、涙が溢れた。
バケツが、上昇していく。
リリアは、下を見た。
鉄ヒゲとゴリゴリが、魚人と戦っている。傷だらけで、血まみれで、それでも戦っている。
倒れたディエゴ。動かない。胸の上に、銅のペンダント。押し寄せる魚人。どんどん増えていく。三人の姿が、どんどん小さくなっていく。
「……嫌……」
涙が、溢れた。
「……みんな……」
声が、震えた。
「……死なないで……」
リリアは手を伸ばした。
回復魔法。光が、リリアの手から放たれる。
でも、届かない。距離がありすぎる。
「……そんな……!」
リリアは、バケツから身を乗り出した。
その時、ゴリゴリが叫んだ。
「来るなッ!!」
「……っ!」
「お前が来たら……!」
鉄ヒゲが続けた。
「俺たちは誰を守ってるか分からなくなるんだ……!」
リリアは、動けなくなった。
そうだ。二人は、リリアを逃がすために戦っている。ここに戻ったら、二人の犠牲が無駄になる。
でも。でも。
「……嫌だ……!」
何もできない。届かない。二人が傷ついていく。倒れていく。それを、見ていることしかできない。
バケツが、地上に到着した。
リリアは飛び出した。
坑道の入口。下からは、まだ戦いの音が聞こえる。金属がぶつかる音。水しぶきの音。叫び声。
リリアは、膝をついた。
あの言葉が蘇る。
『戦闘がどうとか知らねえが、俺たちの世界じゃ、嬢ちゃんは一流だ』
戦闘経験なんてないのに。私なんかを庇って。
ゴリゴリさんは肩を貫かれた。鉄ヒゲさんも、血まみれだった。
ヒーラーなのに。助けられるだけなんて。
(私は……何のために……)
下から、声が聞こえた。
「……くそ……まだまだ……!」
鉄ヒゲの声。
「……数が……多すぎる……」
ゴリゴリの声。
二人とも、まだ戦っている。でも、限界が近い。
三人がいるのは、地の底の坑道。
地上だったら、小走りですぐ駆けつけられる距離。だが、そのほんの少しの距離が、今は絶望的に遠く感じる。
手を伸ばせば届くかのような距離。この魔法が、遠くに届いてくれれば。
無念と悔しさが、リリアを支配する。涙が、頬を伝う。
「……届いて……」
祈るように、手を伸ばした。
ヒーラーの回復魔法は万能ではない。
一般的な有効範囲は、腕の長さの三倍程度。範囲魔法は使用者の能力と使う魔法に比例するが、薄い壁越しでも、遮蔽物を超えて届くことはない。
ましてや、地の底の複雑な形状の坑道の中では――
前回と今回は「一番文字数が少なかった回」の3倍くらいのボリュームとなりました。
Web連載では避けた方が良いと言われるのですが…、2話に分けると更新を1日ぶん稼げて執筆の都合的にも助かりはしたのですが…、一気に読んで良かったと思っていただける方が1人でもいらしたら幸いです。
常夏ビーチといえば、もちろん水着回…じゃなくて
「やたらと殺意だけはある、何モチーフかよくわからない魚モンスターの来襲」ですよね!?
王道のサメパニックにできなかったのは、私の心の弱さです。
前章の最後で、次は水着回っぽい事を匂わせたら、PVがびっくりするくらい減ってしまったので
ずっと読んでいただいている皆様は、リリアさんと私にそういうサービス回は求めてなかったのかもしれません。
リリアさん、元気出して…
次回はいよいよ3章クライマックスです、よろしければ読んでいただけると嬉しいです。




