潮風と銅の匂い
3章開始です! リリアさんのガトリング無双旅は続きます。(思ったほど無双してない気がする)
筋肉の収縮。神経の伝達。心臓の拍動。
これらを司るのは、微弱な電気信号である。電気が止まる時、命が終わる。
この常識は、ある日を境に覆された。
AED――自動体外式除細動器《オートメーテッド・エクスターナル・デフィブリレーター》。
1947年、外科医クロード・ベックが初めて人間の心臓に電気ショックを与え、心室細動を停止させることに成功した。
心臓が痙攣して血液を送れなくなる心室細動。電気ショックで一度リセットし、正常なリズムを取り戻させる。
現代では駅や学校、公共施設に設置され、多くの命を救っている。
弱点は電極パッドとケーブル。患者のそばにいなければ、使えない。
ウォーデンクリフ・タワー――
通称: テスラタワー
1901年、天才発明家ニコラ・テスラが建設した無線送電塔。
ケーブルを使わず電気を空中に飛ばす。離れた場所にエネルギーを届ける。
実用化はされなかった。
だが、その思想は100年以上の時を経て、ワイヤレス充電技術として実を結んでいる。
テスラタワーの心臓部に使われているテスラコイル。このコイルが発するプラズマは、高温殺菌ができない繊細な医療器具の滅菌にも広く使われている。
除細動と滅菌を目的とした、高さ57メートルの無線送電塔。
すなわち――
ヒーラーが装備可能な治療器具である。
少女は巨大なレバーを握っていた。
涙が頬を伝っている。
「……お願い……」
「……届いて……」
レバーを持ち上げる。
ガシャン
その時、雲一つない常夏の海岸に稲妻が光った。
水中に黒焦げの死骸が浮かんでいる。
深海魚のような顔。鱗に覆われた体。だったもの。
水の中にいたのに。黒焦げになっている。一匹残らず。
海の底より這い出し者たちは、二度と海へは戻れなかった。
時は遡る。数日前――
山道を歩き続けて三日が経った。
足が痛い。靴底が薄くなっている気がする。でも、立ち止まるわけにはいかない。
懐の中に紹介状がある。トーマスと過ごしたあの街から旅立つ時、ギルドのミーナさんが書いてくれたものだ。
『銅鉱山の町・クッパーフェルト』宛て。ヒーラーの仕事があるかもしれない、と。
あの時、リリアはボロボロだった。また居場所を失って。それでもミーナさんは、次の可能性を探してくれた。
(ミーナさん……ありがとうございます……)
紹介状を胸に抱いて歩き続ける。坂道を登る。息が切れる。
ふと、潮の香りがした。山の中なのに、海の匂い。不思議だ。
坂を登りきると、視界が開けた。山の向こうに、青い海が見える。太陽が眩しい。空気が温かい。まるで常夏のようだ。
眼下に小さな町が広がっている。看板があった。
『銅鉱山の町・クッパーフェルト』
鉱山の町。でも、海が近い。不思議な場所だ。リリアは、坂を下りていった。
町は静かだった。
人通りは少ない。店も半分くらいは閉まっている。活気がない。でも、荒れているわけではない。ただ、静かなのだ。
まず、ギルドを探す。小さな建物だった。
看板が色褪せている。扉を開けるとカランと鈴が鳴った。
受付には男性職員が一人、書類を整理していた。リリアが入ってくると顔を上げる。
「いらっしゃい」
穏やかな声だった。
「ヒーラーです。紹介状を持ってきました」
リリアは懐から紹介状を取り出した。ミーナさんの丁寧な文字。大切に持ってきた。
受付員は紹介状を受け取って目を通し、少し困った顔をした。
「紹介状、拝見しました。……申し訳ありません」
心臓が、締め付けられた。
「……やっぱり、仕事はないんですね」
「ええ。春に閉山というのはご存知かと思いますが……先週まではまだ活気があったんです。でも閉山が決まってから、あっという間に人が減ってしまって」
受付員は、少し困ったように笑った。
「リゾート地として再開発する計画もあるんですが、それも半年先の話で……今は、本当に何もないんです」
ふと、受付員の後ろの壁が目に入った。
ギルドの補給品一覧。鉱山向けのツルハシ、スコップ、ランタン。その下に、手書きの紙が一枚。
『水着あります』
受付員さんは、少し気が早いようだ。
リリアは黙った。
(せっかく……ミーナさんが紹介してくれたのに……)
また駄目だった、でも……
リリアは深呼吸した。
(……落ち込んでも、仕方ない)
今までだってそうだった。追放されて、断られて、それでも歩いてきた。拾ってもらえるパーティーを探して、街から街へ。断られるのは慣れている。
大丈夫。まだ、終わりじゃない。
受付員はリリアの表情を見ていた。
落ち込んでいる。でも、諦めてはいない。小さな体で必死に立っている。
「……あの」
受付員が口を開いた。
「もしよろしければ、紹介状を書きましょうか」
「え?」
「東に、ノイエンブルクという大きな街があります。そちらなら仕事も多いかと」
リリアは目を瞬いた。
「……いいんですか?」
「ええ。私はロベルトと申します。せっかく来ていただいたのに、何もできないのは心苦しいですから」
ロベルトはさらさらと紹介状を書き始めた。丁寧な文字。ミーナさんの文字とは違うけれど、同じように温かい。
(……また、紹介状をもらえた)
拾ってもらえるパーティーを探す日々。断られて、追い出されて、自分で次を探すしかなかった日々。それに比べたら。
紹介状がある。次の街を教えてもらえた。これは大収穫だ。
「……ありがとうございます」
リリアは頭を下げた。
ロベルトは紹介状を書き終えた。でも、すぐには渡さなかった。
「……今日、泊まる場所はありますか?」
「いえ、まだ探してなくて……」
「この町、宿屋もほとんど閉まっているんです。閉山が決まってから、人が減ってしまって」
リリアは困った。野宿は慣れているけれど、できれば屋根の下で眠りたい。
ロベルトは少し考えてから言った。
「鉱山の詰所なら、泊めてもらえるかもしれません」
「詰所?」
「ええ。親方のディエゴという人がいます。無愛想ですが、悪い人ではありません。部屋は余っているはずですから、聞いてみてください」
「……ありがとうございます」
リリアは紹介状を受け取った。二通目の紹介状。ミーナさんのものと、ロベルトさんのもの。大切に懐にしまった。
坂を登る。鉱山が見えてきた。山肌に穴が開いている。トロッコのレールが延びている。でも、動いている様子はない。静かだ。
大きな建物があった。詰所だろう。二階建てで、窓がたくさんある。かつては大勢の鉱夫が住んでいたのだろう。でも今は、ほとんどの窓が暗い。
扉を叩いた。しばらく待つ。足音が近づいてくる。重い足音だ。
扉が開いた。
大柄な男性が立っていた。五十代くらい。日焼けした肌。太い腕。深い皺が刻まれた顔。鋭い目。無愛想な表情。
でも、どこか。どこか優しそうな気配がある。
「……誰だ」
低い声だった。
「あの、ギルドで紹介されて……ヒーラーです」
「ヒーラー?」
男はリリアを見下ろした。
小さな女の子。ボロボロの服。埃だらけの靴。疲れた顔。でも、目は諦めていない。
「泊まる場所を探していて……ロベルトさんに、こちらなら泊めていただけるかもしれないと……」
男はしばらく黙っていた。
リリアは不安になった。やっぱり駄目だろうか。断られるだろうか。また、歩き続けなければならないのだろうか。
「……ディエゴだ」
「え?」
「俺の名前だ。親方をやってる」
ディエゴは扉を大きく開けた。
「入れ。泊まっていけ」
詰所の中は広かった。
廊下が長く延びている。扉がいくつも並んでいる。かつては、たくさんの鉱夫が住んでいたのだろう。でも、今はどの扉も閉まっている。足音だけが、静かに響く。
「閉山間際でな」
ディエゴが言った。
「弟子はみんな独立させた。今は俺と、古い友人の二人だけだ」
「……そうなんですか」
「だから部屋は余ってる。好きなところを使え」
ディエゴは一つの扉を開けた。
「ここでいいだろう」
小さな部屋だった。ベッドが一つ。机と椅子。棚。窓からは、海が見える。夕日が差し込んでいる。オレンジ色の光が、部屋を温かく染めている。
「夕飯は食堂で出す。日が暮れたら来い」
「……ありがとうございます」
ディエゴは無愛想に頷いて、去っていった。
リリアは部屋を見回した。綺麗に掃除されている。埃一つない。使われていない部屋なのに、きちんと手入れされている。
ふと、棚の上に目が留まった。金属の小物が並んでいる。
銅の小さな置物。歪な形の燭台。不格好なフック。曲がった釘入れ。
どれも、素人が作ったような出来だった。形がいびつで、表面もでこぼこしている。お世辞にも上手とは言えない。
でも、丁寧に磨かれていた。大切に並べられていた。壁にも金属の飾りがいくつかあった。鉱石を加工したらしい、拙いけれど一生懸命な作品たち。
リリアは気づいた。これは弟子たちが作ったものだ。初めて金属を加工した時の作品。売り物にはならない。溶かして作り直すこともできる。でも、ずっと取ってある。
部屋ごとに、その弟子の作品が飾られているのだろう。
かつてここで暮らしていた若い鉱夫たち。ディエゴに教わって、少しずつ腕を上げて、やがて独立していった。今は別の場所で働いている。それぞれの人生を歩んでいる。
閉山間際の詰所に残っているのは、三人だけ。でも、弟子たちの最初の作品はここに残っている。大切に、磨かれて。
賑やかだった頃の名残。今は静かな部屋。でも、温かい。
リリアはベッドに腰を下ろした。柔らかい。久しぶりの、ちゃんとしたベッドだった。
棚の燭台をそっと手に取った。歪な形。でも、一生懸命作ったのが分かる。初めて何かを作った時の、真剣さが伝わってくる。
(……誰かが、ここで暮らしていた)
(誰かが、ここで成長した)
(その証が、まだ残っている)
胸が締め付けられた。燭台をそっと元の場所に戻した。窓の外を見る。
海がオレンジ色に染まっている。
(……明日には、出発しなきゃ)
(ノイエンブルクへ)
でも、今夜だけは。この温かい部屋で、眠れる。
日が暮れた。
食堂へ向かう。廊下を歩いていると声が聞こえてきた。笑い声と言い合う声。賑やかだ。
扉を開けた。三人の男がテーブルを囲んでいた。
ディエゴ。それから、背が低く髭が硬そうなドワーフ。さらに小さく、筋肉質なノーム。
「おお、来たか」
ドワーフが手を振った。
「こっちだ、こっちだ。座れ座れ」
リリアは、空いている席に座った。
「紹介する」
ディエゴが言った。
「こっちがドワーフの鉄ヒゲ」
「よろしくな、嬢ちゃん」
鉄ヒゲがにやりと笑った。髭が本当に鉄のように硬そうだ。
「本名はグルンヒル・ゴルディン・ファーレンシュタイン・ダー・ドライテだが、長いから鉄ヒゲでいい」
「……よろしくお願いします」
リリアは目を瞬いた。長い。覚えられない。
「こっちがノームのゴリゴリ」
ノームが頷いた。小さいけれど、腕が太い。
「ゴリゴリだ。本名はゴルゴルゴ・ゴリンダリウス・ゴンゴロメウス三世だが、長いからゴリゴリでいい」
「……よろしくお願いします」
やっぱり長い。そして『ゴ』が多い。
テーブルには食器が並んでいた。全て銅製だった。皿も、カップも、スプーンも。美しく磨かれていて、温かい光を反射している。
「この食器、全部ゴリゴリが作ったんだ」
鉄ヒゲが言った。
「俺たちが掘った銅だからな」
ゴリゴリが、少し誇らしげに言った。
「自分たちで掘ったもんで飯を食う。鉱夫の誇りってやつだ」
リリアは銅の皿を見た。
丁寧な細工。美しい曲線。長年の技術の結晶だ。さっき部屋で見た拙い燭台とは、全然違う。
でも、あの下手な作品たちも大切に残している。ゴリゴリは、弟子たちにも教えていたのだろう。金属の加工を。鉱夫の誇りを。
ディエゴが料理を持ってきた。大きな銅の鍋。蓋を開けると、湯気がふわりと立ち上った。いい匂いが広がる。
シチューだった。
とろりとした茶色のルー。大きく切られたじゃがいもが、ごろりと見える。人参も、玉ねぎも、肉も、惜しみなく入っている。ディエゴがリリアの皿によそってくれた。たっぷりと。
「……いただきます」
スプーンでシチューをすくった。ふうふうと息を吹きかけて、一口。
熱い。舌先がひりひりする。慌てて口を開けて、息を吸い込んだ。
「ああ、熱かったか」
ディエゴが言った。
「鉄ヒゲが熱いのが好きでな。いつも煮えたぎるくらいで出してる」
「猫舌には厳しい温度だぜ」
ゴリゴリがぼやく。
「お前が猫舌なだけだ」
「違う、普通だ」
リリアは、もう一度ふうふうと冷ました。今度は慎重に、少しだけ。
熱い。でも、おいしい。
じゃがいもがほくほくと崩れる。舌の上で溶けていく。人参は甘い。肉は柔らかく煮込まれていて、噛むと旨味が広がる。塩加減がちょうどいい。体の芯から、じんわりと温まっていく。
鉄ヒゲが、自分の器から湯気の立つシチューを豪快にすすっている。熱くないのだろうか。ドワーフの舌は頑丈なのかもしれない。
ゴリゴリは、スプーンでかき混ぜながら、少しずつ冷ましている。銅の器が熱を伝えるからなかなか冷めないのだろう。それでも、木のカップは使わない。
ディエゴは黙々と食べている。無愛想だけど、二人の様子を時々見ている。
三人とも、同じシチューを食べている。同じ器で。三十年、ずっとこうして食べてきたのだろう。
黒パンをかじった。
硬い。歯を立てるとぎしりと音がする。ずっしりと重い。噛みしめると酸っぱい味が広がる。ライ麦のパンだ。食べ慣れない味だった。
もそもそと咀嚼する。飲み込むのに苦労する。リリアの表情を見てディエゴが立ち上がった。棚から瓶を取り出す。
「これをつけろ」
ブルーベリーのジャムだった。濃い紫色。瓶の中でとろりと光っている。
「……いいんですか?」
「サービスだ」
「おお、親方のジャムだ」
鉄ヒゲが嬉しそうに言った。
「あれ食うと、暗い坑道でも目がよく見える気がするんだよな」
ゴリゴリが言う。
「気のせいだろ」
「いや、本当だって。昔から言われてる」
「……ブルーベリーは目にいいらしい」
ディエゴが、ぼそりと言った。
リリアは黒パンにジャムを塗った。紫色が黒いパンの上に広がる。一口かじる。
甘酸っぱい果実の香りが、口の中にふわりと広がった。パンの酸味と、ジャムの甘さが、不思議と合う。硬いパンが、少し食べやすくなった気がする。
「……おいしい……」
涙がにじんだ。温かい。おいしい。久しぶりだ。
誰かと一緒にご飯を食べるのは。温かい料理を食べるのは。
「俺たちゃ三十年の付き合いだ」
鉄ヒゲが言った。
「弟子はみんな独立した」
ゴリゴリが続ける。
「……最後まで残ってくれたのは、こいつらだけだ」
ディエゴが、静かに言った。
「当たり前だろ、親方」
鉄ヒゲが笑った。
「最後まで掘り尽くすさ」
ゴリゴリも笑った。
三人の間に流れる、温かい空気。三十年の絆。リリアは、胸が温かくなった。
「あの……」
リリアは言った。
「泊めていただいたお礼に……何か手伝えることはありませんか?」
ディエゴは首を振った。
「いや、いい。一晩だけだろう」
「おいおい親方、せっかく嬢ちゃんが言ってくれてるんだ」
鉄ヒゲが言う。
「まあまあ、そう固いこと言うなって」
ゴリゴリも言う。
ディエゴは、少し考えた。
「……まあ……」
「明日、鉱山を見てからだな。何か手伝えそうなことがあれば、頼むかもしれん」
「……はい!」
リリアは頷いた。
食事を終えて部屋に戻った。ベッドに横になる。天井を見る。窓の外はもう暗い。星が見える。
棚の小物が、月明かりに照らされていた。歪な燭台。不格好なフック。誰かの、初めての作品。
久しぶりに、温かいご飯を食べた。
久しぶりに、人と一緒に食事をした。
三人の言い合い。でも、仲が良い。
ディエゴのジャム。
「……優しい人たち……」
明日何か手伝えるといいな。
そう思った。
(……ミーナさん)
懐の紹介状をそっと触れた。
(仕事は、見つからなかったけど……)
(でも、温かい場所に来れました)
(ありがとうございます……)
目を閉じる。
久しぶりに、安らかに眠れた。
3章が常夏の海沿いの町が舞台、という事で水着サービス回をと意気込んで
気づいたら、ふだんの倍の文字数と、ゲストキャラのおじさん3人組が誕生していました。
ラストレスキューのネタ出しより、おじさん3人の設定の方が時間がかかっています。
1章の「団長」とか名前考えておけばよかった…という反省をこめすぎました。
ビーチリゾートらしい展開も、ちゃんとあります。
もう少しだけお待ちいただければ嬉しいです。




