第98話 評議会の召喚
評議会の使者は、封蝋を三つ並べた書状を持って峠を下りてきた。
使者は領主館の卓に立ったまま、座れと言われても座らず、書状を読み上げた。泥のついた長靴の爪先が、読み上げるあいだ一度も動かなかった。
王領ザーラ谷の保持者は、この冬、病床にあって峠の守りに一度も立たなかった。峠の番小屋には十人に満たない槍と、契約の傭兵の一隊しかおらず、その傭兵は去年の春まで山賊であった。よって評議会は、隣接するレーゲン伯の申し立てを認め、夏至までに峠の守りを伯へ移すことを命じる。
書状の末尾に、申し立ての写しが添えてあった。伯の字だった。冬のあいだ、峠に雪の穴を掘って番をした者の人数が、月ごとに並んでいる。峠が雪で閉じてから、保持者が番小屋に上がった日は、一日もない。
使者が帰ると、アルノは卓の端を握ったまま言った。
「……私、冬のあいだ、寝てました」
「知ってる」イルゼが言った。
「伯爵さんは、それを記録してたんですね。峠の向こうから」
「記録によれば、だろ」イルゼは書状を指で弾いた。「あたしが出した返事も、評議会の卓には載ったそうだ。載って、読まれて、伯の記録の隣に置かれた。向こうは日付と人数を並べて、こっちは言い訳を並べた。勝負にならねえよ」
戸口の柱に、ズデンカがもたれていた。書状を読み上げる間、一言も口を挟まなかった。
「山賊であった、か」ズデンカは空を見た。「間違ってはいない。……覚えておく」
「峠は渡さん」ボルクが言った。番小屋から下りてきたばかりで、肩に雪解けの泥がついていた。「番をしてきたのは、わしだ。伯じゃない」
「分かってます」アルノは天気帳を開いた。北風の十日の頁があった。去年、伯が三十年の記録から選んだ朝だった。今度、伯が選んだのは、アルノの体が起きられない冬だった。「伯爵さん、すごいです」
「感心すんな」
「感心してません! ……してますけど、悔しいです」アルノは天気帳を閉じた。「峠を渡したら、谷の線はどこへも出られません。ミルデにも、ハルデンにも」
「渡さねえで、居座ったら」ズデンカが言った。
「評議会の命に槍で逆らったら、谷は王領の中の謀反人だ」イルゼは首を振った。「伯は、それも記録してる。夏至の朝に峠へ来て、渡さねえなら、次は執行状じゃなくて評議会の兵を連れてくる。北風じゃなくても、朝は晴れてる」
「では、評議会へ出直して——」
「次の評議会は秋だ。夏至のほうが先に来る」
卓の上に、誰の声もなくなった。窓の外で、午後の最初の雷が尾根に落ちた。アルノは数えなかった。数えても、夏至は近づいてこないし、遠のきもしない。
そのとき、戸が開いてハンネが入ってきた。紙を一枚持っている。息が切れていなかった。走ってこなかったのは、読み上げていいか迷ったからだと、顔に書いてあった。
「ミルデの線の端から。王家の早馬が、壁の小屋に紙を持ってきて、打ち直させた」
「王家の?」
ハンネは紙を卓に置いた。拍から起こした字は、いつもの半分の速さで、丁寧に書かれていた。
谷をあなたの物にしますか。男爵に。そうすれば、峠は王領の飛び地の中の道でなく、男爵領の境の道になります。評議会は保持者に命じることはできても、男爵の領に命じることはできません。礼金は二百。どちらにします?
署名はなかった。拍では蝋の指の跡は送れない。それでも、誰の問いかは分かった。
最初に口を開いたのは、イルゼだった。
「二百」
「イルゼさん」
「礼金ってのは何だ。男爵にしてやるから金を払えってことか」イルゼは紙を指で叩いた。「谷の手元が今いくらか、あの王女は知ってる。債権者だからな。知ってて二百って書いてきた。払えねえのも知ってる。払えねえ分は借りに積めってことだよ。おいおい、爵位に値札つけんな」
「でも、峠が……」
「分かってる。峠は要る。線も要る。男爵になりゃ、伯の申し立ては紙に戻る。王女は、それを二百で売りに来た」イルゼは帳簿を開き、王家への借りの行の一番下に、ペンの尻で線を一本引いた。書き込みはしなかった。「安くしろって打っても、あの王女は一枚も負けねえ」
「負けんだろうな」ボルクが言った。それから、戸口のほうを見たまま続けた。「男爵になれば、峠は、お前の物か」
「はい。……そう書いてあります」
「なら、番小屋も、お前の物だな」ボルクは短く言った。「壁も」
アルノは顔を上げた。番小屋の炉の脇の壁に、十一年前の部下の名が並んでいる。伯は去年、あの壁に手をつけなかった。評議会の命のとおりに峠を渡せば、夏至の朝、壁ごと伯の番小屋になる。
「壁は、渡しません」
「なら、決まりだ」ボルクは帽子をかぶり直した。「二百は、財務官が数えろ」
アルノは紙を見ていた。行の真ん中に、四つの文字が並んでいた。拍の符号には漢字がない。だからハンネは、音のまま起こしていた。ダンシャク。
その四文字を、アルノは指でなぞった。屋根裏の三男。雷の谷の保持者。その次に来る名前が、紙の上に片仮名で書いてあった。
「……私が、男爵ですか!?」
「二百の男爵だ」イルゼはペンを置いた。「高えよ」
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