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雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第10章 封鎖破り

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第94話 取立ての敬語

 門の前で、ズデンカが馬の手綱を引いた。


「一人で行くのか」


「取立ては、一人でやるもんだ」イルゼは帳簿を小脇に抱え直した。「二人で行くと、相手が数で数えやがる」


「獣は」


「連れてかねえ。あれを連れてったら、爺さんは雷の話をする。今日は金の話だ」


 窓口の並ぶ廊下を抜けるとき、イルゼは自分の座っていた三番目の窓口の前を通った。知らない若い男が座っていて、頁の縁に印を押していた。押し方が、自分より丁寧だった。


 組合の広間は、秋に来たときと何も変わっていなかった。高い天井。磨き上げた床。広間の真ん中に据えた大秤は、片方の皿に麦束の彫り物を載せたまま、ぴたりと釣り合っている。


 秤の向こうの卓で、アンゼルムが帳簿から顔を上げた。


「やあ、イルゼ。痩せましたね」


「食ってるよ。うちの領主が気にしててな」


「知っていますよ。拍で届くんでしょう。うちの早馬より、少しだけ遅く」アンゼルムは笑って、向かいの椅子を手で示した。「座りなさい。あの坊やは冬に倒れたそうですね。呼びすぎた。レーゲン伯が冬の初めに書き送ったとおりに。伯は記録をつけ、私は値をつける。私たちは、どちらも待つのが得意なんです」


 イルゼは座らなかった。アンゼルムは気にした様子もなく、指を組んだ。


「戻ってきなさい。一割は、利息をつけて払います。あなたが覚えておくと書いてきた、あの利息です。それから、席を一つ。取立ての窓口でなく、帳場の席を。あなたの字なら、三年で組合の半分の帳簿を任せられる」


「で、谷は」


「雷信の線と符号を組合が引き取れば、門はその日に開きます。谷の借金も、組合が肩代わりしてもいい。王家に借りたままより、ずっと楽でしょう」アンゼルムは穏やかに言った。「相場というものはね、イルゼ。速さでも決まるんです。線を持つ者が値を決める。それが組合なら、町の秩序は変わらない。谷なら、変わる。私は、変わらないほうに賭けています」


 イルゼは懐から帳面を一冊出した。表紙の角がすり切れた、手のひらほどの控え帳だった。取立ての窓口にいたころ、自分でつけていた物だ。組合の中の誰が誰に、いくら借りて、いつ返したか。頁の縁には、返済の済んだ行ごとに、角ばった字の小さな印が並んでいる。何年分も、イルゼ自身の字だった。


「その帳面は、商会の物ですよ」


「書いたのはあたしだ。字も、あたしのだ」


「では、それも利息に数えておきましょう」アンゼルムは帳簿を一枚めくった。「ついでに、もう一つ。冬に、氷で線が切れたそうですね。四十か所。ハルデンの違約金は、うちの秤で両替されましたよ。……イルゼ。早馬は、凍らないんです」


 イルゼは返事をしなかった。四十という数を、この男が谷の誰より先に知っていたのだとしても、驚くことではなかった。


 イルゼは秤の皿の脇に控え帳を置き、頁を開いた。それから背筋を伸ばし、両手を腹の前で重ねた。取立ての窓口に座る係の顔になった。声が、ひどく丁寧になった。


「組合長様。三つ、お伺いいたします」


 アンゼルムの笑みは、動かなかった。


「去年の夏、伯領の外れの窪地で、谷の荷が奪われました。奪った者どもは、壺の中身がいつ減るかまで存じておりました。去年の春には、谷の選り場に火が入りました。菜種油は、ミルデの組合の倉にしかない品でございます。そして三日前、細工通りの工房に手入れが入り、同じ夜、門の外で、谷の品を買った者が打たれました。打った者どもの頭は、去年の夏の窪地の頭と同じ男でございます」


 イルゼは頁を一枚めくった。


「街道の荷と、選り場の火と、今度の工房のお代。締めて、ご請求いたします。——お支払いは、いつになさいますか」


 広間が静まり返った。帳場の奥で、若い書記がペンを止めていた。


 アンゼルムはしばらくイルゼの顔を見ていた。それから声を立てて笑った。楽しそうな、本当に楽しそうな笑い方だった。


「いい声だ。私が教えた窓口の声ですね」アンゼルムは指を解いた。「イルゼ。証拠というものはね、秤に載る物のことを言うんですよ。布で顔を覆った男と、油の壺と、決まりどおりの手入れ。どれを皿に載せても、私のほうには一粒も傾かない。あなたの控え帳は、誰が誰に借りているかは教えてくれる。誰が誰を殴らせたかは、書いていない」


「書いてねえことは帳簿に載せねえ、だったな」


「あなたにそう教えました」


「覚えてるよ」イルゼは敬語をやめていた。「だから、払わねえなら今日は取り立てねえ。払う気になるまで、利息を積んどく」


「では、組合の答えも変わりません。門は閉じたまま。雷信を引き取るまで」


 イルゼは控え帳を閉じた。閉じる前に、開いていた頁に目を落とした。組合の中の小さな名前が、いくつか並んでいる。ラッセル商会に一枚も借りていない名前だけを、昨夜のうちに赤で丸く囲ってあった。


 背を向けて、戸口へ歩いた。靴音が磨いた床に響いた。


「門は、市の日に開けてもらう」イルゼは振り返らずに言った。「あんたの秤の外でな」


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