↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第10章 封鎖破り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
91/158

第91話 鍵と帳簿

 雪解けの水が、半地下の窓の縁を一滴ずつ叩いていた。アルノは寝台の上でその音を数え、百を越えたところで自分に呆れてやめた。やめても、胸の中の拍のほうは勝手に数を刻む。ときどき一つ、段を踏み外すようにつまずく。そのたびに天井が遠のいて、また戻ってくる。


 ベアタは朝と晩に来て手首を取り、紙に何か書きつけて帰っていく。その紙を、アルノは見せてもらったことがない。


 あくる朝、戸が開いてイルゼが入ってきた。帳簿と、封の切れた書状を二通抱えている。寝台の脇の丸椅子を足で引き寄せて座り、卓の上に書状を並べた。一通は秤と麦束の封蝋。もう一通には封蝋が三つ並んでいた。


「起きてるな。寝たふりしても、指が動いてたぞ」


「……雫を数えてました」


「数えんな。心臓に響く」イルゼは帳簿を膝に開いた。「ズデンカの持ってきた話と、組合の封書と、あたしの勘定を合わせた。聞けるか」


「聞けます!」


 声を張った途端に胸がつまずいて、アルノは枕に頭を戻した。イルゼは眉ひとつ動かさず、指を一本立てた。


「一つ。ミルデの門は、谷の硝子と壺を通さない。門番が荷を開けて、青く光ったら追い返す」


 二本目が立った。


「二つ。組合の者は、谷に麦も塩も銅も売らない。これは秋からだけど、今度は組合の外の粉屋にまで回状が回ってる。売ったら組合の秤を使わせねえってな。三つ。エーミルの工房の角に、見張りが二人。昼も夜もだ。四つ」親指が折られた。「組合の金貸しは、谷の証文を受け取らない。どこの両替屋に持ってっても、ザーラの名前を見たら首を振る」


「……ひどいです」


「ひどくねえよ。上手いんだよ」イルゼは指を畳んだ。「一つずつなら抜け道がある。四つ並ぶと、谷は金も物も言葉も、ミルデで一つも動かせねえ。で、爺さんの狙いはここだ」


 イルゼは秤と麦束の封書を裏返した。末尾に、事務の整った字で一行あった。雷信の線と符号を組合が引き取るなら、門はその日に開きます。


 アルノは天井を見た。秋に、組合の広間の大秤に壺が一つ載っていた。アンゼルムがその肌を指で弾いた音を、まだ覚えている。


「売りません」


「知ってる。だから、あたしが行く」


 イルゼは三つの封蝋の書状を指で叩いた。「こっちは評議会だ。峠の守りの件で、夏至までに保持者の申し開きを聞くから出てこいってさ。起きられねえ保持者の代わりに、返事はあたしが書いて峠から早馬で出す。……それしかできねえ」


「麦は、どれくらいもちますか」


「峠の泥が乾くまでだ。乾いたら、倉の底が見える」


 それからイルゼは谷の割り振りを口にした。ボルクは峠からミルデへ向けて線を延ばす。柱はヤネクが削り、碍子はルドミラが焼く。ズデンカの隊は半分を線の護衛に、五騎を荷車に付ける。ハンネは受け小屋に詰めて、届いた拍を全部ここへ読みに来る。ベアタは——


「この寝台に坊ちゃんを縛りつけとく係だ。本人の了承は取ってある」


「私の了承は……」


「要らねえ」


 アルノは笑おうとして、息を深く吸いすぎた。胸の中でまた拍がつまずく。イルゼの目が、帳簿から一瞬だけ上がった。


「持ってくのは、ハルデンの分を引いた残りの二型だ。門の中で売れねえなら、門の外で売る。麦はどっかで買う。線の端ができたら、そこから拍を打つ」イルゼは膝の上で帳簿の紐を締め直した。紐の先に、雷木の鍵が結んである。谷の金庫の鍵だった。「鍵も持ってく。中身は帳簿の上にしかねえけどな。……坊ちゃん」


「はい」


「文句があるなら今言え。出たら、あたしは戻るまで谷の金を勝手に使う。あんたの署名なしでだ」


 アルノは首だけ動かしてイルゼを見た。去年の秋、商会の召還状の裏に、財務官の署名のない支払いは無効、と書いた人の顔だった。


「……イルゼさんが、決めることです」


「前にも聞いた」


「はい。だから、もう一つ足します」アルノは毛布の下で右手を握った。左手の二本の指は、握っても何も伝えてこない。「行ってください」


 イルゼは返事をしなかった。立ち上がり、丸椅子を足で元の場所へ戻して、戸口で一度だけ振り返った。


「寝てろよ。数えるのは、ハンネの読み上げだけにしとけ」


     * * *


 翌朝、峠の坂を荷車が上っていった。


 騾馬が二頭。藁を詰めた木箱の中で、二型の壺が青く眠っている。前後を黒い羽根の五騎が挟み、御者台の脇をイルゼが歩いていた。雪解けの坂はぬかるんで、車輪が泥を跳ね上げる。帳簿の紐に結んだ鍵が、歩くたびにイルゼの胸の前で揺れた。


 寝台からは坂が見えない。代わりに、ハンネが窓の外にしゃがんで、見たままを言った。


「もう二つ目の曲がり角。イルゼ、振り返らない」


「そうですか」


「ボルクが、坂の上で手を上げた。イルゼ、上げない」


「……イルゼさんらしいです」


「あ」


「なんです!?」


 尾根の岩の陰から白い影が跳んだ、とハンネは言った。坂を一息に駆け下り、木箱の上に音もなく飛び乗って、壺の青い光の上で体を丸めたという。毛が帯電して、ぱちぱちと鳴るのが峠の下まで聞こえた。


 イルゼは荷車を止めなかった。振り返りもせずに言った声も、雪解けの谷ではよく通った。


「……勝手に乗んな。餌代、払えよ」


読んでいただきありがとうございます!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。