↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第9章 閉じた谷の声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
83/157

第83話 最初の貸し

 翌朝、イルゼは卓の上に紙を並べた。ゆうべ板から写したハルデンの値と、去年の夏までミルデの商会の窓口で毎朝見ていた組合の掲示の控え。その横に、白紙をもう一枚。


「組合の値ってのはな、坊ちゃん、ミルデの広間の掲示板で決まる。鉱山町の値は、組合の早馬がハルデンから運んでくる。着くまでに三日だ」イルゼは二枚の紙を並べ直した。「つまり組合の爺さんたちは、いつも昔の鉱山町を見て、今日の値を決めてんだよ」


「昔の……」


「ゆうべの値を見ろ。ハルデンの麦が、昨日一日で跳ね上がってる。油もだ。子爵の借金を組合が買ってから、鉱山町の麦と油は組合の倉からしか出ねえ。冬で道が細るのを待って、締めにきたんだ」


 アルノは写しを覗き込んだ。ハンネの板の片仮名が、イルゼの角ばった字で並び直されている。麦の値の横に、爪で押した跡があった。


「坑夫の人たちは、どうするんですか」


「給金の半分は、銅の現物で出る。鉱山町の古い習いでな。坑夫の家はその銅を組合の秤に載せて、麦に替える」イルゼはペンの尻で麦の値を叩いた。「冬の晩は長え。麦を買えば油が買えねえ。油を買えば麦が減る」


「ひどいです!」


「ひどいのは、ここからだ。爺さんたちは、坑夫の家がどれだけ詰まってるか、まだ知らねえ。知るのは早馬が着いてからだ。知ったら、叩き値で坑夫の銅を片っ端から買いにくる。麦が欲しい家は、売るしかねえ」


 イルゼは白紙を引き寄せ、ペンにインクを含ませた。


「だから、その前にこっちが結ぶ」


 角ばった字が並んでいった。オスヴィンの物置に、谷の二型が予備で十ある。峠が閉じる日に、北の道の最後の荷で送った坑道の予備だ。


 それを冬のあいだ、坑夫の家に貸す。夜の灯りに油が要らなくなれば、油の分で麦が買える。貸し賃は硬貨で取らない。そのかわり春になったら、坑夫の家の銅を組合より先に谷が買う。値は、ゆうべの値で。


 アルノは紙を見て、イルゼを見て、また紙を見た。


「……組合より先に、約束しちゃうんですね」


「爺さんたちが気づくまでのあいだにな。ハルデンの組合の番頭は、ミルデの広間の許しがなきゃ値を動かせねえ。許しを取りに行って、返事が戻るまで、往復だ」イルゼは鼻を鳴らした。「早馬が自慢の爺さんに、線一本で勝つ」


「春に銅が入ったら」アルノは身を乗り出した。「ミルデへの線が引けます! 峠の分かれの柱から、西へ!」


「引けるかどうか決めんのは帳簿だ。浮かれんな」イルゼはペン先で紙を叩いた。「それに、これは坑夫の家の銅だ。値切った銅で線を引いたら、あたしは組合の爺さんと同じになる。だから値は、ゆうべの値。一枚もまけさせねえ」


「オスヴィンさん、受けてくれるでしょうか」


「受ける。あいつは坑夫の死んだ坑道を、指で押さえて覚えてる奴だ。坑夫の家が暗えのを、黙って見てられる男じゃねえ」


 その晩、受け小屋でイルゼはハンネと喧嘩をした。


「長い」ハンネが写しを突き返した。「これ全部打ったら、壺が空になる」


「削れるとこなんかねえよ」


「ある。『ソノカワリ』いらない。『ユウベノ』もいらない。オスヴィン、分かる」


「分かるかどうか決めんのは、あたしだ」


「打つのは、ハンネ」


 戸口でアルノは二人を見ていた。字を一つ削るたびに、イルゼが帳簿の端に何かを書きつけている。一字いくら、と書いているのが逆さまに読めた。結局、字はハンネの言うとおり半分近くまで削られ、壺の中身の三分の一で打ち終わった。


「ほら。余った」ハンネが壺を振った。


「余ったんじゃねえ。浮いたんだ」イルゼは帳簿の端の数を指で押さえた。「浮いた分は、帳簿に載る」


「同じ」


 返事は次の晩に来た。ハンネが板に写したのは、たった三つの字だった。


 ウケル。


 アルノは受け小屋の土間で跳び上がり、低い梁に頭をぶつけた。ぶつけたまま、もう一度跳んだ。


「受けました! オスヴィンさん、受けてくれました!」


「見りゃ分かる」イルゼは板の字を帳簿に写した。それから、しばらくペンを止めていた。頁をめくり、何も書いていない新しい頁を開く。一番上に、いつもより大きな字で、一語だけ書いた。


 貸し。


 角ばった、帳簿つけの字だった。その下に日付と、ハルデン、坑夫の家、二型十、と並べていく。ペン先がいつもよりゆっくり動いていた。


 アルノは覗き込み、見出しの二文字を何度も読んだ。去年の秋、ミルデの坂道で、取立屋の貸しを往来で叫ぶなと叱られた。イルゼが金庫の話をしたのは、もっとあとだった。いつか貸す側になる。自分の金庫を持つ。そう言ったとき、イルゼは冗談みたいな顔をしていた。


 イルゼが頁を手で隠した。


「見んな」


「見ました」アルノは隠した手の横から、もう一度覗いた。「字が、いつもより大きいです」


「料金取るぞ」


「払います!」アルノは両手を握りしめた。胸の奥から、何かが噴き上がってくる。「だって、イルゼさん、それ——」


 小屋の外まで聞こえる声になった。雪の上の犬が吠えた。


「イルゼさん、貸す側です! 貸す側ですよ!」


「声がでけえ」イルゼは帳簿を閉じた。耳の先が、炉の火のせいで赤かった。「貸したのは灯りだ。金じゃねえ」


読んでいただきありがとうございます!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。