↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第9章 閉じた谷の声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
81/157

第81話 冬の勘定

 峠が雪で閉じて、九日が過ぎた。


 閉じた翌朝、アルノはハンネと二人、番小屋からかんじきを履いて谷へ下りてきた。あの夜、ハルデンへの針に跳んだ二つの火花のことを、下りる道々ずっと話していた。


 それきり線は黙り、谷は朝から晩まで晴れていた。尾根の上に雲が出ても、薄い灰色のまま東へ流れていくだけで、塔にも金床にも育たない。湖は岸から白く凍りはじめ、真ん中にだけ黒い水が残っている。雷見の旗の竿は十本とも、赤も黒も上がらないまま雪をかぶっていた。


 領主館の卓に、アルノは突っ伏していた。天気帳を頬の下に敷き、左手を卓の上に投げ出している。感覚のない薬指と小指が、頁の端から木目の上へはみ出していた。窓の外が明るいと、どうしてもまぶたが重くなる。


「冬眠かよ」


 イルゼの帳簿が後ろ頭に落ちてきた。


「……起きてます」


「起きてる奴は、帳面に頬の跡をつけねえんだよ」イルゼは向かいの椅子を引いて座り、帳簿を開いた。「顔上げろ。冬の勘定だ」


 頬をこすりながら体を起こす。去年の冬も、同じように叩かれた。あのとき卓にあったのは、屋根裏から届いた帳面の束だけだった。今はその横に、谷で二冊目の天気帳と、イルゼの帳簿と、ハルデンとの証文が並んでいる。


 イルゼは証文を指で叩いた。


「ハルデンの年契約だ。雪解けに、中身を満たした二型を百二十。向こうの坑道が三十、ひと月に一つずつ替えて、四か月分」


「百二十……」


「前金は、とっくに麦と銅に化けてる。雪解けに数が揃わなきゃ、足りない分は違約だ。子爵は組合の油を買い足して、その代金をこっちに回してくる」


「空の壺なら、揃ってます!」アルノは窓の外を指さした。「エーミルさんに習った巻き方で、ルドミラさんの窯で焼いたんです。峠が閉じる前に、ちょうど百二十!」


「空の壺を並べたって、坑夫の足元は一寸も照らねえよ」


「じゃあ、硝子は! 冬のあいだに掘って、春に——」


「掘るのは勝手だ。エーミルの爺さんも買う。ただし峠が開いてからだ」イルゼは帳簿の別の頁を開いて見せた。「去年の冬に掘った硝子は、春に火付けに半分焼かれた。今年掘った分が金になるのは、早くて春の終わりだよ。雪の下の麦は、それまで待っちゃくれねえ」


 外套を引っかけて外へ出ると、イルゼが舌打ちをして、帳簿を抱えたままついてきた。


 壺置き場は領主館の裏手、雷よけの杭の輪の内側にある。秋のうちにヤネクが雷木の棚を三段に組み足し、ルドミラの窯から出た二型の殻を並べておいた。


 芯の硝子はエーミルの工房で覚えてきたとおり、逆向きに二重に巻いてある。雪が棚板に積もり、壺の口にも白い帽子を載せている。百二十の口が揃って空を向いていた。


 アルノは一つの壺の雪を払って覗き込んだ。二重に巻いた硝子の芯が、底まで透きとおっている。光の筋は一本も残っていない。


「こいつ一つ満たすのに、杭の雷がどれだけ要るか、覚えてるか」


「一本を受けて、満ちるのは三つくらいです」


「で、去年の冬、谷の杭に落ちたのは」


 アルノは黙った。天気帳を開くまでもなかった。去年の冬の帳面は、ほとんど白い頁のままだ。北西の風が尾根を越えた日にだけ、一本か二本。たいていは尾根に落ちて、村の杭まで下りてきたのは数えるほどだった。


「峠で言ったろ。杭に落ちるのを待ってたら、雪解けまでに半分も満たねえ」イルゼは帳簿の欄を爪でなぞった。「締め出しで、二型のほかの客もいねえ。灯りを売って食いつなぐ手もねえ。そのあいだにも、王家への借りの利息は、雪が降ろうが峠が閉じようが一日も休まず積もる」


 壺の縁に指を当てた。冷たい。左の薬指で触れたはずの縁は、何も伝えてこなかった。


 雪を踏む音がして、ハンネがやってきた。小石の壺を二つ、胸に抱えている。秋からは受け小屋で拍を読む係の頭になった。それでも石の壺は手放していない。


「今日も、なし」ハンネは片方の壺を振った。からりとも鳴らなかった。「昨日も、なし。峠が閉じてから、ずっとなし」


「ずっと、なしですか……」


「賭ける? 明日も、なし」


「賭けません」アルノは空を見上げた。一面の、薄い青だった。「……ハンネさんが勝つので」


「空に貸しがありゃ、取り立ててやるんだがな」イルゼが鼻を鳴らした。


 アルノは笑えなかった。棚の端から端まで、空の口を目で数えていく。数えるのは好きだった。けれど中身のない物を数えるのは、ちっとも楽しくない。


 尾根を見た。黒鉄尾根は雪をかぶり、尖った穂先だけを黒く空に突き出している。冬の雷は少ない。そのかわり、一本が太い。去年の冬に雪原へ落ちたあの一本は、夏の雷の三倍はありそうだった。あれが杭に来ていたら、壺はいくつ満ちただろう。


 尾根には落ちる。杭には来ない。


 秋、尾根の肩で、一本の雷を三十に分けた。雷は頭の上で割れて、数えたとおりの場所へ突き立った。落ちる場所は、選べる。


「イルゼさん」


「何だよ」


「尾根に落ちる雷を、杭まで連れてくればいいんですよね」


 イルゼの顔から表情が消えた。帳簿を閉じる音が雪の上でやけに大きく響いた。


「伯爵の手紙、覚えてるか」


「覚えてます。呼びすぎません。十本までです」


「毎日数えるって言ったのも、覚えてるな」


「はい!」返事をしてから棚の前にしゃがみ込み、アルノは雪の上に指で線を引いた。尾根から、杭へ。杭から、壺へ。線は途中で何本にも分かれ、壺の数だけ細くなっていく。分かれた先を一本ずつ数えかけて、指が止まった。


「冬の雷を、どうやって壺に入れましょう」


読んでいただきありがとうございます!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。