第79話 組合の早馬
二日目の朝、工房の裏口に列ができた。
染め屋の庭を抜けて、井戸の脇の塀を越えて、前掛けをしていない職人たちが一人ずつ入ってくる。組合の外で鍛冶場を開いている男。灯り屋の後家。硝子の窯を持つ兄弟。どこで聞きつけたのか、昨日の物置の話は、一晩で細工通りの裏側をひと回りしていた。
「一つ、金貨三枚です」
イルゼが作業台の端で帳簿を開き、並んだ顔に言った。
「高え!」
「一月、灯りが消えねえ壺だ。油と芯を一月分買って、火事の心配を一月分して、それで三枚より安く済むなら、よそで買いな」
鍛冶屋の男は唸って、壺の肌に指の背を当てた。痺れが走ったらしく、慌てて手を引っこめ、それから笑った。
「生きてやがる」
「生きてます! 一月、ずっと生きてます!」アルノが作業台の下から顔を出した。「鍛冶場の火付けにも使えます。炭に硝子の枝を近づけたら、ぱちって——」
「坊ちゃん、売り口上は財務官の仕事だ。引っこんでろ」
鍛冶屋の男は懐の革袋を出した。谷へ戻っていた間にエーミルが焼き上げていた壺は、全部で九つあった。一型の次だから二型だ、とアルノが名をつけた壺だった。昼までに、九つとも棚から消えた。
アルノは作業台の下で、指を折っていた。九つ。夏の競りの日に塔にして数えた金貨の山と比べれば、ほんのひと握りだった。ひと握りでも、組合の秤を一度も通っていない金貨だった。
「イルゼさん、全部売れました! 全部です! 次は、いつ焼けますか、エーミルさん!」
「四日後だ。粘土が乾かん」
「四日ですね! じゃあ、その間に芯を——」
裏口の塀の向こうで、馬の蹄の音が止まった。イルゼが、帳簿を閉じた。
* * *
裏口から入ってきたのは、上等な外套の老人だった。白い髭をきれいに刈りこみ、手に杖を持っている。塀は越えず、染め屋の主人に庭の木戸を開けさせて通ってきたのだった。後ろに、秤と麦束の前掛けをした若い者が二人。
「おはようございます、エーミル。ご無沙汰していますね。十年ぶりですか」
アンゼルム・ラッセルは工房の中を見回して、にこにこと笑った。エーミルは作業台の前から動かなかった。
「表の戸から入れ。うちの裏口は、客の道じゃない」
「表には、うちの者が立っていますからね。あなたの客が気まずいでしょう」アンゼルムはイルゼに目を移した。「イルゼ。元気そうで何より」
「用件を言え、爺さん」
「相変わらずだ」アンゼルムは声を上げて笑った。それから、空になった棚を見た。「全部、売れたそうですね。九つ。金貨三枚で。それに、ハルデンの子爵が年で契約したことも。前金が百であることも。そちらは、昨日の夕方には私の卓に届いていました」
アルノは息を呑んだ。オスヴィンが来たのは昨日の夕方だった。証文を見たのは、この工房の中の四人だけのはずだった。
「うちには、早馬が百頭いると申し上げましたね」アンゼルムは杖の頭を撫でた。「ハルデンの館にも、厩があります」
「で」イルゼが言った。「何しに来た」
「商いの話です」アンゼルムは作業台の端に、脱いだ手袋を置いた。「新しい壺の売り方を、組合に任せていただきたい。組合の秤を通せば、王国じゅうの鍛冶場と灯り屋と鉱山に、ひと月で届きます。九つが九十に、九十が九百に。あなた方が細工通りの裏口で九つ売る間に、組合は九百売ってみせましょう」
「組合の取り分は」
「半分」
「断る」
イルゼは即答した。アンゼルムは驚きもしなかった。
「半分でも、九つよりずっと多いですよ」
「九百のうち、いくつが本当に売れて、いくつが組合の倉で寝るかを決めるのも、組合だろ」イルゼは帳簿を胸に抱えた。「あたしは何年も、あんたの窓口に座ってた。組合の秤が量ってるのは、物の値じゃねえ。売り手の首だ」
アンゼルムは笑ったまま、アルノを見た。
「保持者殿は、いかがです」
「売りません」アルノは言った。自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。「組合さんの秤を通ったら、ハルデンの子爵さんは、また選べなくなります」
アンゼルムは、しばらくアルノを眺めていた。それから手袋を取り上げ、指を一本ずつ通した。
「相場というものはね、保持者殿。物の良し悪しだけでは決まらないのですよ。どこで売れるか。どこの門をくぐれるか。それで決まる」アンゼルムは手袋をはめ終えて、窓の外の細工通りを見た。「ミルデは組合の町です。春には、ミルデの門を、谷の品に閉じることもできるんですよ」
工房の中が静かになった。炉の火が小さく爆ぜた。
「……脅しですか」
「いいえ」アンゼルムは穏やかに首を振った。「相場の話です。春になれば、組合はそういう相場を立てることができる。前もってお伝えしておくのが、商いの礼儀というものでしょう」
アンゼルムは杖をついて、裏口へ向かった。狭い戸口で、外套の裾が作業台の角を擦った。台の端には、エーミルが朝から削っていた硝子の粉が積もっていた。上等な黒い毛織の裾に、白い粉がひと筋、べったりとついた。
アンゼルムは足元を見た。粉のついた裾を見て、何も言わずに顔を上げた。払わなかった。染め屋の庭の、藍の布の間を、白い筋をつけたまま歩いていった。
イルゼがその背中を見ていた。
「……払わねえのかよ」
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