第74話 分かれる線
峠の番小屋の脇に、柱が一本増えていた。三方へ分けるには、軒の下では足りなかった。
雷木の太い柱で、頭に銅の冠がかぶせてある。冠から三本の銅線が出て、陶器の碍子に一度ずつ巻きついてから、三方の尾根へ延びていた。一本は谷へ下り、一本は北西のハルデンへ、一本は西の坂を越えてミルデへ。
谷への線のほかは、まだ尾根の向こうまで届いていない。ハルデンへの線は四本目の柱で、ミルデへの線は二本目の柱で、それぞれ途切れて風に揺れていた。
ヤネクが柱の根元にしゃがんで、引き下ろしの線を地面の鎖につないでいた。鉄に触ると震える手が、銅の線を撚る時だけは、すっかり静かだった。
「保持者さん。ハルデンのほう、延ばしますか。止めますか」
「延ばします! ハルデンまで、全部!」
アルノが答えると、番小屋の戸口で帳簿を開いていたイルゼが顔を上げた。谷から上がってきたばかりで、裾に坂の泥がついている。
「銅が来ねえ先に、線だけ延ばしてどうすんだよ」
「銅は来ません。でも声は、組合さんの秤を通りません」
「銅線は銅でできてんだよ、坊ちゃん」イルゼは帳簿を指で弾いた。「北の道の交換で入った分は、谷の線とここの冠でほとんど消えた。残りでハルデンまで引いたら、ミルデの分がなくなる。ミルデの分を残したら、ハルデンの手前で止まる」
「じゃあ、ハルデンが先です」
「理由は。言っとくが、あたしが納得する理由だぞ」
「オスヴィンさんが、何も言わなかったからです」
イルゼは帳簿に目を戻し、ペンで一行を線で消して、書き直した。
「……柱の数を数えとけ。あとで払う」
番小屋の中では、ハンネが受け手の卓に張りついていた。硝子の針が三本、並んで立っている。三方の線の端が、それぞれの針の足元の地面に向いていた。ハンネは谷からの試しの拍を受けては指を折り、首をかしげ、また指を折った。
「弱い」
「弱いですか? どのくらいですか?」
「三つとも、弱い。前は、ばちっ、だった。今は、ぴっ」ハンネは針の先を指さした。「分けたら、分けた分だけ、弱くなる」
アルノは針の前にしゃがみ込んだ。谷の受け小屋で見ていた青い火花より、ずっと細い。瞬きをすれば見落とす。壺の口から出た拍が、この柱で三つに割れて走っていく。割れた分だけ、一つずつが痩せる。
「弱くていいんです!」
アルノが顔を上げると、ハンネが眉を寄せた。
「弱いと、見えない。夜なら見える。昼は、見えない」
「見えるくらいでいいんです。針が跳べば、拍は一つです。強い拍でも、弱い拍でも、数えたら一つ。三つに分けても、ハンネさんが数えられるなら、三つの場所に同じ言葉が届きます」
ハンネは針を見て、アルノを見て、また針を見た。
「……賭ける?」
「何をですか」
「ハンネが、全部数えられるほうに。昼も」
「賭けません。ハンネさんの勝ちに決まってます!」アルノが言うと、ハンネは壺の小石を一つ鳴らして、針の前に座り直した。
* * *
戸口の外で、ボルクが柱を見上げていた。
腕を組み、遠い左耳を避けて、右耳を柱へ向けている。冠の銅が夕方の光を返して、ボルクの頬の古い火傷を照らしていた。
「気に入らん」
「柱がですか? ヤネクさんの柱、まっすぐですよ」
「雷を呼ぶ柱を、人の寝る小屋の脇に立てるのがだ」ボルクは冠を顎で指した。「峠は谷の傘の縁だ。午後に雲が伸びてくれば、あの頭に落ちる」
「落ちても、引き下ろしの線で地面へ逃げます。小屋には入りません。ヤネクさんが、鎖を三重に埋めてくれました」
「分かってる」ボルクは柱から目を離さなかった。「分かってても、気に入らんものは気に入らん。十年、雷の来ない場所を選んで寝てきた」
坂の下から、足を引きずった若い者が上がってきた。夏の終わりに、見張りの岩の上で伯の斥候に脚を射られた若者だった。背に薪を負っている。ボルクの前で薪を下ろし、背筋を伸ばした。
「ミロシュさん! 脚は、もういいんですか!?」
「走るのは、まだです。でも、座ってるのは得意です」ミロシュは番小屋の中の針を見た。「符号は、ハンネに習いました。行の拍と、段の拍。全部は、まだ遅いけど」
「……何の話だ」ボルクが言った。若者の顔でなく、脚を見ていた。
「塔守をやらせてください」ミロシュはボルクを見た。「この柱の番です。夜も拍が来るなら、夜も座ってる者が要ります。村には母と妹がいて、手紙を出す銭がない。線さえ通れば、拍に銭は要らないって、保持者さんが」
ボルクは長いあいだ、若者の脚を見ていた。それから番小屋の中へ目をやった。壁の名前は、戸口からは見えなかった。
「退き口は」
「……まだ、知りません。番小屋の裏の、雪の斜面ですか」
「なら、明日から教える」ボルクは柱に背を向けた。「覚えるまで、座らせん」
ミロシュが深く頭を下げた。アルノは手を叩こうとして、ボルクの背中を見てやめた。
日が尾根の向こうに沈みかけていた。柱の冠から三本の線が、三方の尾根へ黒い細い筋を引いている。一本だったものが、この柱で三つに分かれて、それぞれの空の下へ延びていく。
アルノはその分かれ目を、長いこと見上げていた。ハルデンの坑道の暗がり。溝の水の上を走った青い筋。一つの壺から出た雷が、水の上で七つの顔に分かれて届いた、あの光。
「……一本の雷も、分けられるでしょうか」
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