第72話 鉱山の門
夜のうちに、銅を坑道へ戻した。
坑夫たちが延べ棒を二本ずつ肩に担ぎ、腰を屈めて奥へ運んでいく。灯りは谷の壺だけだった。行き先はオスヴィンが選んだ。去年三人が死んだ坑道の、さらに奥の古い掘り跡。火の入らない場所だから、組合の者も灯りなしでは入れない。
「退き口は」とボルクが訊いた。
「坑道の口です。向こうの人たちの」アルノは坑道の図を指でなぞった。オスヴィンの帳面を借りて、夜通し写した図だった。「ここから奥は、排水の溝に沿って一本道です。溝の水は膝まであります。水に入ったところで、壺の雷を流します。流すのは、先頭の何人かのところだけ」
「壺は、いくつ残ってる」
「取り換えに持ってきた十二のうち、三つを谷の分に残してもらいました。……今朝の拍は、六でした」
ボルクは図を見たまま黙った。六。出がけの半分だった。
「三つで、何人だ」
「倒すだけなら、二十人くらい。……殺さないように、細く流します」
黒羽の五騎は坑道の外、沢沿いの林に散った。子爵の兵は館の門を閉じ、坑夫の家族は町の上の斜面へ上がった。子爵は館の窓から見ている、とオスヴィンが言った。止めもせず、手も貸さずに。夜明けの空は、また晴れていた。
* * *
四日目だ、とガスパルは数えた。
谷を出て四日目の朝。雷の坊やの壺は、もう半分を切っている。去年の冬、そりを引いて湿地に踏み込み、空が落ちてくるのを見た。あれは谷の中の話だ。谷の外で、晴れた朝に、壺の半分しか持っていない坊やは、ただの坊やだ。
ガスパルは自分にそう言い聞かせて、町の外の野営から呼び寄せた手下百五十の顔を、雇い主の鉱石商の前に並べてみせた。
「火は持ち込まねえ」手下に言った。「坑夫の話じゃ、奥で火を焚くと空気ごと燃えるそうだ。縄を張って、手探りで行く。銅は一本道の突き当たりだ。持てるだけ持って戻る。それを日没まで繰り返す」
最初の十一人が、縄を握って坑道の闇に消えた。しばらくして、奥で青い光が一瞬だけ灯った。水の跳ねる音。叫び声。戻ってくる者はいなかった。
やがて坑道の口から、坑夫たちが倒れた男を一人ずつ引きずり出してきて、入口の砂利の上に並べた。息はある。手足が痺れて立てないだけだった。
「……水だ」這い出してきた一人が言った。「真っ暗な中で、急に向こうが光って、足の下の水が青くなった。それで、全員」
ガスパルは口ひげをつまみ、坑道の闇を睨んだ。見えている。向こうからは、こっちが見えている。あの穴の中で目を持っているのは、灯りを持っている側だけだ。
* * *
排水溝の水面から、青い筋がゆっくりと引いていった。
アルノは溝の脇の岩に膝をつき、空になりかけた一つ目の壺から手を離した。指から肘へ、糸のような痺れが走っている。左の薬指と小指には、何も来なかった。感じない二本の指の分まで、腕の残りが疼いた。
「十一人です」アルノは小声で言った。「みんな、息はあります」
「数えるな」ボルクが闇の中で言った。「数えるのは、終わってからだ。次が来る」
二度目の組は、縄を二本に分けて来た。溝の水を避けて、壁際の岩棚を這う組が一つ。
アルノは壺に蓋をしたまま、闇の中で耳を澄ませた。岩を擦る靴の音、息遣い、縄の軋み。拍を数えるように、足音を数える。いち、に、さん。岩棚の組が溝の水に下りる場所まで、あと何歩か。
「オスヴィンさん。岩棚の先は」
「溝に下りないと、先へは進めない」
「なら、待ちます」
岩棚の組が水へ下りた音がした瞬間、アルノは二つ目の壺の蓋を取り、硝子の枝を溝の水に差した。青い光が水面を走り、闇の中に驚いた顔が七つ浮かんで、揃って沈んだ。
光の残りで、坑夫たちが後ろの暗がりにしゃがんでいるのが見えた。誰も声を出さなかった。一人が、アルノの顔と手の中の壺を、交互に見ていた。
三度目は、なかなか来なかった。昼を過ぎてから、ガスパルは坑道の上の古い風穴から煙を流し込もうとした。沢沿いの林から黒羽の五騎が駆け上がり、薪を積んでいた一隊を蹴散らして、また林へ消えた。
夕方前、ガスパルは別の口を探させた。見つかった口は、どれも溝の水の手前でつながっていた。
三つ目の壺の蓋を取ったのは、日が尾根に触れる頃だった。坑道の口から、最後の組が入ってきた。今度は縄を捨てて盾を並べ、水の上に板を渡しながら進んでくる。アルノは板の継ぎ目の、水に沈んだ一点を見た。
光った。四人が倒れ、板が水に落ちた。それで、壺は空になった。
* * *
坑道の口に出ると、空は赤かった。
ガスパルが入口の砂利の上に立っていた。並べられた手下たちの向こうで、両手剣を背負い直し、西の尾根に沈んでいく日を見ている。雇い主の鉱石商が何か言っていたが、ガスパルは手を振って黙らせた。
「契約は日没までだ」
それだけ言って、ガスパルはアルノのほうを見た。手下を担がせ、坂を下りかけて、一度だけ振り返った。
「谷の外の坊やは、ただの坊やだと聞いてた」口ひげの下で、口が歪んだ。「穴の中は、谷の外に入らねえらしい」
百五十が坂を下りていった。日が尾根の向こうへ落ちた。アルノは空の壺を耳の横で振った。塩水が揺れる音しかしなかった。
「……ぎりぎりでした」
「ぎりぎりで勝つのが、谷の外だ」
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