第71話 鉱山町
北西へ向かう道は、三日のあいだ一度も曇らなかった。
騾馬が六頭、背に藁で包んだ壺を二つずつ積んで、尾根の裾を縫っていく。先頭をボルクが歩き、後ろを黒羽団の騎馬が五騎、間を空けてついてきた。どの者も髪か帽子に黒い羽根を一本挿している。ズデンカが峠から寄越した、隊の中でもとりわけ口数の少ない五人だった。
晴れた道のアルノはぼんやりしている。空に雲がないと、首が前へ落ちてくる。二日目の昼には手綱を握ったまま歩きながら居眠りをして、騾馬に肩で押し返された。
「寝るなら乗れ」ボルクが振り返らずに言った。
「寝てません! 雲を探してたんです」
「足元で探せ。そこは崖だ」
アルノは慌てて道の内側へ寄った。
藁の隙間から壺を覗くと、塩水の底の硝子の芯が出がけの朝より一段暗い。一晩ごとに翳っていく光を、アルノは毎朝計量の型で数えてきた。硝子の枝を壺に差して地面の短刀へ近づけ、伸びる青い糸が消えるまでの拍。出がけは十二、昨日は九、今朝は七だった。
三日目の昼過ぎ、道の土が黒くなった。
谷あいの斜面に、坑道の口が段を作って並んでいた。口の下には黒い粉をかぶった家々が肩を寄せ合い、屋根も軒の洗濯物も、道の端で寝ている犬までが灰色がかっている。沢には水車が回り、坑道の奥から汲み上げた水を、赤茶けた筋にして吐き出していた。どこかで槌が鳴り、どこかで誰かが咳をしていた。
ハルデンの町の入口で、オスヴィンが待っていた。白い顔に、襟の黒い粉。夏に谷へ来た時と同じ帳面を脇に抱えている。
「来ましたね。灯りは」
「十二個です! どれも半分ちょっと残ってます。二晩は灯ります」
オスヴィンは藁を一つめくって光を確かめ、黙って頷いた。
坑道の口の前に、赤い山があった。銅の延べ棒が薪のように積んである。夕方の低い日を浴びて、山の縁が燃えるように光っていた。アルノは騾馬の手綱を放り出して駆け寄った。
「すごい! これ全部、谷の分ですか!?」
「秋から冬のぶんの半分です。残りは灯りの具合を見てから、と子爵様が」
「子爵さんは、どちらに」
「ここにいる」
坑道の口の脇の小屋から、痩せた男が出てきた。五十に近い年で、上着の肘に継ぎが当ててある。指の節が太く、爪の間にまで黒い粉が入り込んでいた。ハルデン子爵ラデクはアルノの右手を取り、握手というより重さを量るように一度だけ握って離した。
「雷の谷の保持者殿。灯りを見せてもらえるか。オスヴィンの話では、火を使わずに坑道の奥が見えると」
「はい! いちばん奥で見せます!」
案内された坑道は、腰を屈めないと頭を打つ高さだった。奥へ入るほど空気が重く、湿った岩の匂いがする。途中で坑夫が一人、手を広げて止めた。ここから先は、火を入れない。去年、三人が死んだ場所の手前だという。
アルノは藁を解き、壺の蓋を取った。
青い光が立ち上がって、岩の天井を撫でた。濡れた壁が光を返し、奥へ続く坑道の筋が闇の中から一本ずつ浮かんでくる。後ろから覗き込んでいた坑夫たちが、息を呑んだ。子どもの坑夫が一人、壺に手を伸ばして、隣の男に襟首を掴まれた。
「噛む?」
「噛みません! でも触ると、ぴりっとします。ぴりっとするのは、中にまだ雷がいる印です。消えたら、また谷で入れます」
「雷って、入るの」
「入ります! 杭に落ちたのを、鎖で壺まで引いて……」
「おい」ボルクが入口のほうから言った。「坑道で雷の話を長くするな。天井が落ちる」
「落ちません!」
坑夫たちが笑った。黒い顔の中で歯だけが白く見えた。子爵は笑わず、壺の光で壁の岩目を確かめ、それから光の届く一番奥まで歩いて、戻ってきた。
「……三日で、半分か」
「今は、です! 春までに、もっと漏れない壺を作ります」
子爵は答えず、坑道の外へ出た。外はもう夕方の色だった。
* * *
小屋に戻ると、見慣れない馬が十頭ほど繋がれていた。
鞍の布に、秤と麦束の紋。小屋の中で、上等な外套の男が卓に紙を広げ、子爵とオスヴィンを前に座っていた。組合の鉱石商だった。アルノの顔を見ると、男は立ち上がりもせず紙を指で押さえた。
「ちょうどよかった。保持者殿にも聞いていただきましょう」
評議会の封蝋が、紙の下に三つ並んでいた。鉱石商は手慣れた調子で読み上げた。ハルデン子爵が組合に負う借財の担保として、子爵領から出る銅のすべてを、明日の日没までに組合の預かりとする。
「待ってください!」アルノは卓に身を乗り出した。「あそこの銅は、もう谷の分です! 灯りと取り換えたんです!」
「灯りはまだ坑道の中でしょう。銅もまだ坑道の口にある。子爵領から出ていない銅は、子爵領の銅です」鉱石商は子爵を見た。「子爵様、そうですね」
子爵は卓の上の紙を見たまま、長いあいだ黙っていた。
「……蔵の銅は、渡す」やがて、それだけ言った。「坑道の口のは、オスヴィンが谷と約束したものだ。私の兵は、組合とは戦わん。谷の分は、谷で守ってもらう」
「明日の日没を過ぎたら、どうなるんですか」
「紙は紙に戻ります」鉱石商は封蝋を指で撫でた。「ですから、日没までにいただきます。護衛も、ちゃんと連れてきました」
小屋の戸口に、大柄な影が立っていた。油で固めた口ひげ。背に両手剣。赤ら顔の男は小屋の中を見回し、アルノの顔で目を止めて、口の端を上げた。
「よう、谷の坊や」
「ガスパルさん!?」
ガスパルは返事をせず、外の騾馬の背の藁包みへ顎をしゃくった。それから、雲一つない暮れ方の空を見上げた。
「三日目だな。晴れてる。……壺は半分か」
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