↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第6章 谷の朝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/80

第52話 取立屋の辞め方

 召還状は翌日の昼の荷で届いた。秤と麦束の封蝋を、イルゼは爪で弾いて割った。領主館の卓で読み、読み終えると裏返して伏せ、何も言わずに帳簿を開く。ペン先が、いつもより強く紙を引っかいた。


 向かいでは、アルノが天気帳をつけるふりをしていた。三行書いて、三行とも同じことを書いているのに気づき、ペンを置いた。


「アンゼルムさんから、ですよね」


「爺さんからだよ。読むか」


 イルゼは紙を指で弾いてよこした。この前の封書と同じ、事務の整った字だった。


 取り立て先は、もはや当商会の債務者ではない。係は直ちにミルデへ戻られたい。戻るなら、此度の回収の一割を約束どおり支払う。戻らぬなら、本日をもって雇いを解き、一割の件は無かったものとする。最後の一行だけ、別の手だった。相場というものはね、イルゼ、変わる前に降りた者が勝つのですよ。


 一割。五日前に二人で数えた金貨の塔の、一割。イルゼがこの谷に居座った一年が、そっくりその数になって紙の上にあった。


 アルノは紙を卓に戻した。指先が冷たかった。「……イルゼさんが、決めることです」


「分かってるよ」イルゼはペンを置き、腕を組んだ。「で、坊ちゃんは。引き止めねえのかよ」


「引き止めません」


「へえ」


「引き止めたら、イルゼさんは残ってくれます。そういう人だから」アルノは卓の木目を見たまま言った。「だから、言いません。イルゼさんの金庫の話は、イルゼさんのものです」


 イルゼは何か言い返そうとして、ペンを取り直し、また置いた。


「商会に戻ったら、金貨が四十枚ですよね。それだけあったら、金庫の、最初の……」言いながら、喉の奥が熱くなってきた。アルノは天気帳を持ち上げて顔の前に立て、頁をめくった。「最初の棚くらいは、買えますよね。いいと思います! すごく、いいと思います」


「帳面、逆さまだぞ」イルゼは顔も上げなかった。「ついでに、さっきから同じ頁だ」


「……知ってます」


 戸口から、ハンネが顔を出した。朝から姿が見えないと思ったら、ずっと戸の外で聞いていたらしい。小石の壺を抱えている。卓の上の割れた封蝋と、逆さまの天気帳と、イルゼの顔を順に見て、壺をからりと振った。


「賭ける?」


「賭けません! ハンネさんまで、何ですか!」


「ハンネは、残るほうに三つ」


「賭けないって言ってます!」


 ハンネは肩をすくめ、壺から小石を三つ出して握ったまま、戸口の外にしゃがみ込んだ。帰る気はなさそうだった。


 イルゼは長いあいだ帳簿を見ていた。谷に入る金と、出る金。左の欄の一番下に五日前に書いた四という数字と、その下の、まだ何も書いていない行。


「坊ちゃん。一つ訊く」イルゼは帳簿から目を上げずに言った。「真面目に答えろよ」


「はい!」アルノは天気帳を閉じて、膝の上に置いた。


「あの伯爵、三十日で残りを一括って言ったな。払えると思うか」


「思いません。一月じゃ、尾根の硝子を掘りきる日数にも足りません」


「あたしもだ。一年かけて、ようやく半分近く。残りを一月で作れる帳簿なんか、この国のどこにもねえ」イルゼはペンの尻で卓を叩いた。「つまりこの谷は、一月後に伯爵とやり合う。金じゃ済まねえ。槍と雷でだ。そうだろ」


「……はい」


「何千だかの兵が峠を下りてくる谷で、麦の値が倍で、手元が四枚。槍を何本揃えて、何日食わせて、負けたら何を売って何人逃がすか。そういう帳簿を、誰がつけんだよ」


 アルノは顔を上げた。イルゼがまっすぐこちらを見ていた。


 イルゼは召還状を裏返し、白い面を上にしてペンにインクを含ませた。角ばった帳簿つけの字で、一行目にザーラ谷財務官と書く。二行目に月の給金の額。三行目に、谷の金の出入りはすべて財務官が数える、と。四行目に、財務官の署名のない支払いは無効、と書いて、下に線を引いた。


 戸口の外で、小石が壺の底に落ちる音が三つ続いた。イルゼは紙をアルノの鼻先に突きつけた。


「で、いくら出す」


 アルノは紙を受け取り、二行目の数字を見て、目を丸くした。「高いです!」


「財務官の相場だよ。王都の伯爵家なら、この倍は取る」


「今の谷の手元より、多いです!」


「知ってる。あたしが数えたんだから」


 紙の上の角ばった字を、アルノは指でなぞった。ザーラ谷財務官。自分の谷の名前が、イルゼの字で書いてある。着いたばかりの夏、寝台の上で、天気帳の頁に初めて他人の字が並んだ日があった。あの日の字も、こんなふうに角ばっていた。


「イルゼさん、アンゼルムさんへの返事は、どうしますか」


「紙を替えて一行だけ書く。辞めます、ってな」イルゼは鼻を鳴らした。「一割のことは、利息つけて覚えときますって書き足して」


 アルノは笑おうとして、うまくいかなかった。鼻の奥がつんとして、目の縁が熱くなる。袖で目をこすると、イルゼが帳簿で卓を叩いた。


「泣くな。財務官の最初の仕事が、領主の鼻水の勘定なんて御免だよ」


「泣いてません! ……これは、嬉しいほうのです」


「どっちでも帳簿には載らねえ」


 アルノは鼻をすすり、紙を両手で持ち直して、背筋を伸ばした。


「払います!」声が大きすぎて、戸口のハンネが振り返った。「……いつか」


「いつか、は利息つけとく」


読んでいただきありがとうございます!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
レーゲン伯がザーラ谷を欲しがるなら、王家の許可を取った上で引き渡してしまえば良いのですが、アルノはそうしないのでしょうね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。