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雷鳴の辺境伯  作者: 雅龍(がりゅう)
第1章 押し付けられた谷

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第5話 黒羽の使い

 使いが来たのは、三日後の夕方だった。


 雷雲が崩れて空が赤く濡れ、村の戸口が一つずつ開き始めた頃、峠の道を一騎が下りてきた。帽子に黒い羽根。馬は痩せているが、鞍と鐙は良い革で、鉄の部分に布が巻いてある。この谷の雷を知っている者の支度だった。


 男は広場の真ん中で馬を止め、降りずに言った。「黒羽団の使いだ。新しい保持者はどいつだ」


「私です」


 アルノが前へ出ると、男は吊った腕と若い顔を順に見て、鼻で笑った。「尾根の下の硝子を全部。それと若い男を十人。三日後に受け取りに来る」


 村人の間で、誰かが息を呑んだ。若い男を数えるなら、この村には十人もいない。アルノの顔から、いつもの浮ついた色が消えた。


「……人を、持っていくんですか」


「働かせるだけだ。断ったら村に火がつく。うちの頭は、二度は言わない」


 アルノは男の馬の鐙を見ていた。巻いた布が、雨で重く濡れている。唇を一度噛んでから、アルノは顔を上げた。


「では、三日後の午後に。硝子は尾根の上の岩屋へ運んでおきます。重いので、担ぐ道具をお持ちください」


 使いは眉をひそめ、しばらくアルノを眺めていた。それから何も言わずに馬首を返し、峠の道を上っていった。


「渡す気かよ」イルゼが詰め寄った。村人たちの顔も、同じことを訊いていた。


「硝子なんざ、くれてやれ」樽屋の年寄りが言った。「どうせ捨ててた物だ。村を焼かれるよりいい」


「その捨ててた物が、今この谷で借金を払えるたった一つの物なんだよ」イルゼが振り向いた。「全部渡したら、来年の夏にこの谷を差し押さえに来るのは、山賊じゃなくてうちの商会だ」


「渡しません。硝子も、人も」アルノは峠の道を見ていた。使いの馬の蹄の跡に、雨水が溜まっている。「あの人の鐙には、布が巻いてありました。鉄を包んでたんです。黒羽団は、この谷の雷を知ってます。知っていて、それでも硝子を取りに来る」


「だから何だよ」


「だから、午後に呼びました。そんなに欲しいなら、雷の下まで取りに来てもらいます」


     * * *


 その夜、広場の焚き火を囲んで、槍を持てる者を数えた。樽屋の年寄りが、村の倉から錆びた穂先を十二本出してきた。柄は新しく削った木で、穂先の根元には革が巻いてある。握れる手も同じ数。そのうち三人は白髪で、一人はまだ声変わりもしていない。その少年は穂先を両手で握りしめ、柄の長さに振り回されて、焚き火の輪から一歩はみ出した。


「黒羽団は六十はいる」年寄りが言った。「峠の西の下り口に、ひと夏居座ってる。この谷から出る道はあの峠だけだ。峠の番小屋にはボルクがいるが、元は国境守備隊の百人長で、十年、ひとりで峠に住んでる。誰とも口をきかん」


「じゃあ、明日の朝に会いに行きます!」


「誰とも口きかねえって、今言っただろ」イルゼが焚き火に枝を放り込んだ。「だいたい六十に十二だよ。五倍だ。百人長が一人増えたって、勘定は変わらねえ」


「槍で数えれば五倍です。空で数えれば、こっちが上です」


「空は数に入らねえんだよ、普通は」


「この谷では入るんです!」


 翌朝、アルノはイルゼを連れて峠を上った。番小屋は峠の頂から東へ入った岩の窪みに、張りつくように建っていた。石積みの壁に、低い屋根。煙突から細い煙が出ている。


 戸を叩くと、しばらく何の音もせず、それから中で重い足音がした。


 戸を開けたのは、四十がらみの大男だった。髭に白いものが混じり、左の頬に古い火傷がある。男はアルノの顔を見てから、わざわざ体の向きを変えて右の耳をこちらへ向けた。


「用件は」


「ザーラ谷の保持者、アルノ・ブラウエンです。黒羽団のことで、力を借りに来ました」


 男の目がイルゼの黒い外套に移った。「そっちは、商会の犬か」


「犬でも噛むときは噛むよ。あんたがボルク?」


 男は答えず、黙って戸を広げ、二人を中へ入れた。


 小屋の中は暗く、炉の火だけが赤かった。奥の壁は一面、細かい刻み字で埋まっていた。


 名前だ。ナイフで刻んだ名前が、天井近くから床まで、縦に何列も並んでいる。一つ一つの名前の下に、同じ日付が刻まれていた。


 イルゼが口の中で数え始め、途中でやめた。アルノは壁の前で、しばらく声を出せなかった。


「黒羽団は六十。こちらで槍を持てるのは十二です」


 ボルクは炉の前に腰を下ろし、火をかき回した。顔を上げずに、短く訊く。


「退き口は」


「ありません。峠の西は、あちらが押さえています」


「なら、逃げる場所から先に作れ。話はそれからだ」


「逃げません」


 アルノは壁の名前から目を離し、戸口の外の空を見た。朝の空は晴れて、南の湖の上に、薄い湯気の柱が立ち始めている。あの湯気が太くなる日を、アルノは帳面で知っていた。目の奥に、また火が灯った。


「明後日の午後、尾根には、たくさん落ちます。いちばん多い時間に、山賊さんたちには尾根の上にいてもらいます!」


 炉の火が爆ぜた。ボルクは火かき棒を持ったまま、アルノの顔を見上げた。イルゼは額に手を当てた。


「おいおい。……山賊に、さんをつけんな」


読んでいただきありがとうございます!

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