第49話 坑道の灯り
ハルデンの鉱山の代理人は、谷へ下りる坂の三つ目の曲がり角で、馬を降りて歩き出した。
「馬の蹄鉄が鳴るのが気になりましてね」代理人のオスヴィンは痩せた男で、日に当たらない者の白い顔をしていた。上着の襟に、細かい黒い粉がこびりついている。「この谷は、鉄を嫌うと聞いたので」
「嫌うというより、好きすぎるんです。雷が」アルノは坂の上から手を振った。「お待ちしてました! 壺を見に来てくださったんですよね」
オスヴィンはうなずき、懐から帳面を出した。鉱山の坑道の図が、細い線で何頁にもわたって描いてある。
「坑道の奥で、ときどき火が爆ぜる。灯りの火が、地の底から湧く悪い空気に移るんです。去年は三人、それで死にました」オスヴィンは図の奥の一点を指で叩いた。「火を使わない灯りがあれば、奥まで掘れる。雷の谷の壺は青く光ると、ミルデの細工師から聞きました」
アルノはオスヴィンを領主館の半地下、いちばん奥の物置へ案内した。窓を板で塞ぎ、戸を閉めると真っ暗になった。鼻をつままれても分からない暗さの中で、アルノは壺の蓋を取った。
青い光が、ふわりと立ち上がった。塩水の底で、硝子の芯が枝を広げて光っている。その光が、物置の土の壁と、積んだ麻袋と、オスヴィンの顔を下から照らした。痩せた頬の影が消え、白い顔が青く浮かび上がる。オスヴィンは帳面を開き、その光で図の細い線を読んだ。
「……読める」
「読めますか!」
「坑道の図が読める。火も、煙もない」オスヴィンは壺の口に手をかざした。熱くもない。「これが、どのくらいもちます」
「谷で満たして、三日で半分です」
オスヴィンは帳面をめくった。「谷からハルデンまで、荷車で三日。坑道に着いたときには、もう半分」
「はい。半分です」
「半分で、どのくらい灯ります」
「……二晩くらいです」アルノは正直に言った。「今の壺では」
オスヴィンは長いあいだ、光る壺を見ていた。それから帳面を閉じた。
「今年は三つだけ、試しに買います。来年、もっと漏れない壺ができたら、年で契約しましょう。坑道の数だけ」
「坑道、いくつあるんですか!?」
「数えますか」オスヴィンの口の端が、初めて緩んだ。「雷の谷の保持者殿は、何でも数えると聞きました」
* * *
オスヴィンが峠を上っていった夜、イルゼは帳簿を卓いっぱいに広げた。
「鉱山の三つで、壺代が入る。夏の硝子の残りと、雷木と、峠の案内料と。全部足して、期限の日の手元は百五十ちょっと」イルゼはペンで赤い線の下を叩いた。「足りないのは、あと二百五十と六」
アルノは帳簿を見た。赤い字が、いつもより大きく見えた。
「街道で大枝の箱を二つ取られたのが、そのまま効いてる。あれがありゃ、百は違った」
「……ごめんなさい」
「謝ってる暇があったら数えな。それと、食う口がまた増えた。伯の村から逃げてくる家族が、週に二つ三つだ。追い返せとは言わねえけどな。で、決めることがある」イルゼは帳簿の頁をめくり、大樹の行を開いた。「あれを競りにかける。組合の広間でなく、ミルデの細工通りで。エーミルの爺さんが、通りの広場を貸すって言ってる。組合の秤を通さない競りだ。値は、買う奴が決める」
アルノは黙って、天気帳の束の中から一枚の頁を探した。去年の秋の頁。砂に鎖を埋めて、握って呼んだ一本。心臓がでたらめに跳ねて倒れた日。ベアタが初めて医師として脈を取った日。
「あれは、谷の空が作ったものです」アルノは頁を閉じた。「私が呼んだけど、作ったのは、谷の雷と、谷の砂です。だから、谷のために使うのがいいと思います」
イルゼはペンを止めて、アルノの顔を見た。ペン先のインクが乾いていくのにも、気づかないようだった。
「……兄貴に七つ枝を渡してから、手放すのが早くなったな」
「早くなったんでしょうか」
「なったよ。宝物を抱えて冬に死ぬ奴の選び方は、もうしてねえ」
イルゼは帳簿の余白に、競りの日付を書き入れた。夏の終わりの、期限の日の朝。
「朝に競って、夕方に払う。ぎりぎりだな」
「ぎりぎりのほうが、買う人が真剣になりますか?」
「ならねえよ。こっちの足元を見られるだけだ。でも、それより前に広場が空かねえ」
イルゼは卓の端から封書を一通取り上げた。封蝋に紋がない。ただの赤い蝋に、指で押したような跡があるだけだった。
「それと、これ。王都から。大樹の競りの日取りを知らせろ、って。差出人の名前はなし。返事の宛先は、王都の貸し倉の番号だけだ」
「誰ですか!?」
「知らねえよ。名前を書かねえ客は、たいてい金を持ってる」
* * *
競りの告知を細工通りの広場に貼り出した朝、アルノとイルゼは坂を下りて広場へ入った。エーミルが工房の戸口で手を上げ、それから、広場の反対側へ目で合図をした。
広場の端に、馬車が一台止まっていた。
黒く塗られた車体の下から、鎖が一本、石畳の上に垂れている。扉に描かれた家紋を、アルノは知っていた。去年の秋、峠で焼いた商隊の荷主の紋。雪解けの朝に、二百の槍と一緒に坂を下りてきた紋。
レーゲン伯の家紋だった。
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