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雷鳴の辺境伯  作者: 雅龍(がりゅう)
第1章 押し付けられた谷

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第2話 取立屋

 目を開けると、天井が近かった。土の壁が肩の高さまで続き、その上に丸太の梁が渡してある。部屋は半分が地面の下に掘り込まれていて、明かり取りの細い窓から、斜めに光が落ちていた。


 梁を留めているのは木の楔と麻縄で、戸の蝶番は革、窓の桟は竹。見渡すかぎり、鉄がどこにもない。雷の谷の領主館は、空に見つからないよう、地面へ半分もぐって建っていた。


「起きたか、坊ちゃん」寝台の脇の丸椅子に、女が脚を組んで座っていた。黒い外套の襟を立て、膝の上に厚い帳簿を開き、耳にペンを挟んでいる。年は二十を幾つか過ぎたくらい。人の顔より先に、人の懐を見る目つきだった。


「……おはようございます。えっと、どちら様でしょう?」


「ミルデのラッセル商会、取立係のイルゼ。あんた、丸二日寝てたよ。村の婆さんが何べんも脈を取りに来た」


「二日も!?」アルノは跳ね起きようとして、左腕の痛みで寝台に戻った。包帯の下で、肘から手首までが脈に合わせて熱く疼く。「その間に、雷は何本落ちました?」


「知るか。雷なんか数えてる暇があったら、あんたの息を数えてたよ」


「二日分も!? もったいない……」


「最初に訊くのがそれかよ」イルゼは呆れた顔で耳のペンを取り、帳簿から書付を一枚抜いて、寝台脇の卓に叩きつけた。


 書付の一番下に、金貨八百四十枚とあった。王都の近くで父が一年かけて集める金と、ほとんど変わらない額だ。前の保持者が納めずに逃げた上納金と、その男がラッセル商会から借りた金。保持者が替われば借金も谷と一緒に次の者へ渡るのが王領の決まりだと、端に小さく書き添えてある。


 アルノは書付を二度読み、三度目で声が裏返った。「これ、全部、私がですか!?」


「全部あんたが。谷と一緒にな」イルゼはペンの尻で書付を叩いた。「利息は年に一割五分。坊ちゃん、読める?」


「読めます、けど……谷より、おまけのほうが大きくないですか」


「おまけつきの谷だから、誰も欲しがらなかったんだよ。で、あんたがこの谷で稼いだ額は?」


「着いた日に、雷を浴びました。まるごと一本!」アルノは包帯の腕を、得意げに持ち上げた。


「銅貨にもならねえ。浴びた分だけ損してるじゃねえか」


「でも、すごく太かったんです! 光ってから音まで、ほとんど間がなくて——」


「聞いてねえ。雷の自慢は、利息を払ってからにしな」


 アルノは口をとがらせ、それから天井の梁を見上げた。「……明日も、午後から雷です。明後日も。その次も、その次も」


「知ってるよ。だからここじゃ麦が一粒も育たねえんだろうが」


「だから、ここの雷は売れ残りません。一本も」


 イルゼの手が、書付の上で止まった。ペンの先がインク壺の縁で揺れ、黒い滴がひとつ卓に落ちる。「……いくらで売る気だ」


「まだ決めていません! 売り方も、買う人も、これから探します」


「おいおい。値札もねえのに、品物だけ胸張ってんのかよ」


 イルゼは書付を帳簿に挟み直し、椅子の背にもたれた。


 前の保持者は、取り立てに着く三日前に夜逃げした。峠の下で荷車ごと見つけたときには、金貨はもう残っていなかった。二度目はごめんだから、今度は払い終わるまでここにいる。谷に入る金も出る金も、全部自分が数える。イルゼはそれを、店の品書きでも読むように淡々と並べた。


「居座る、ということですか? この半地下に?」


「取り立てるってことだよ。言葉は正しく使いな、坊ちゃん。取り立てた額の一割が、あたしの取り分だ。つまり坊ちゃんが払わなきゃ、あたしはただ働き。だから逃がさない。分かりやすいだろ」


「分かりやすいです!」アルノはぱっと顔を明るくした。「じゃあ、イルゼさんも今日から谷の人ですね」


「勝手に住民にすんな。あたしは取り立てに来たんだ」イルゼは帳簿の角で膝を叩いた。


「お部屋、どこにします? ここの隣なら、雷の音がいちばんよく聞こえますよ!」


「いちばん聞こえねえ部屋をよこせ」


 窓の外が白く光った。


「いち、に、さん!」


 アルノが数え終わるのと同時に音が来て、梁の上の土がぱらぱらと降ってきた。


「近い!」


 アルノは反射で枕元の革の帳面を掴み、ペンを取った。右手は動く。けれど左手で紙を押さえられない。帳面が滑り、字が震えて、線が雲の形にならなかった。


「あっ、待って、書かないと、消えちゃう……!」


 イルゼはしばらくそれを眺めていた。それから舌打ちをひとつして、帳面をひったくった。「貸せ。何て書くんだ」


「正午過ぎ、今日の一本目。光から音まで三つ。北の尾根の、西の肩です!」


 イルゼは帳簿つけの角ばった字で、言われたとおりに書いた。天気帳の頁に、初めて他人の字が並んだ。アルノはそれを覗き込み、嬉しそうに長い息を吐いた。


「こんなもん、何の足しになるんだか」


「全部の足しになります。いずれ」


「いずれ、ね」イルゼはアルノの包帯の腕に目を落とした。「その腕。もう一回雷に突っ込んだら今度こそ死ぬって、婆さんが言ってた」


「死にません! まだ数えてない雷が、山ほどあるので」


「あんたの勘定に金は貸さねえ」


「イルゼさんは、どうして取り立てを? 怖くないんですか?」


「貸す側になるためだよ。取り立て方を知らねえ金貸しは、すぐ潰れる。いつか自分の金庫を持つ。そのときまでに、踏み倒す奴の顔を全部覚えとくんだ」イルゼはペンの先でアルノの顔を指した。「あんたの顔も、今覚えた」


「じゃあ、金庫ができたら見に行ってもいいですか?」


「見物料を取るよ」


「払います! ……いつか」


「いつか、が多いな。あんたは」


 イルゼは立ち上がり、外套の裾を払って戸口で振り返った。


「あんたが死んだら取りっぱぐれる。だから死ぬな、坊ちゃん」


読んでいただきありがとうございます!

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