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雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第12章 鉄喰い峠

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第113話 峠の支度

 峠の頂に、塔が立った。黒鉄尾根の麓の誘雷塔と同じ形だった。雷木を四本、斜めに組んで縄で締め、頭には銅の穂先。ヤネクが銅の頭を据え、ルドミラが焼いた碍子を塔の脚に噛ませ、槍の者たちが三日がかりで峠の上まで木を担ぎ上げた。


 頭の銅から、細い銅線が一本、峠の東の岩棚へ下りていく。岩棚は三度折れる坂の上に張り出していて、線はその下の岩壁に碍子で留められながら、坂を追うように谷の底へ延びていた。


「これが、引き下ろしです」アルノは岩棚の下で、壁を這う線を見上げた。「塔に落ちた雷が、この線を通って谷まで下ります」


「谷まで下りて、どうする」ボルクが訊いた。


「私のところへ来ます」


 ボルクは右の耳をアルノへ向けて、しばらく黙っていた。線の終わりは、三つ目の曲がり角の下の、岩壁のくぼみだった。人が一人立てば塞がる狭さで、坂の上からは見えない。アルノは昨日、そこに立って指先に火花を灯し、線の端に触れてみた。雲のない空は何も答えず、銅の冷たさだけが指に残った。


「呼ぶのか」


「呼びます。北風の十日の、雨の日に」


 三度折れる坂の曲がり角に、アルノは樽を一つずつ据えた。ヨアヒムの焼き印の入った、雷木と銅の樽だった。作った本人が杖をつきながら坂を下りてきて、樽の底の焼き印を一つずつ確かめた。


「漏れるか」


「月に、ちょっとだけです。北風の十日の間なら、ほとんど減りません」


「ほとんど、か」年寄りは樽の胴の銅の帯を手のひらで叩いた。「減ったら、樽屋に言え」


 ヴォルタが一つ目の角の樽の上に飛び乗り、丸くなった。毛の先で、青い火花がぱちぱち鳴った。


「ヴォルタさん、それは食べちゃだめなやつです」


 白い獣は片目を開け、尻尾の先で樽の栓を叩いてから、また目を閉じた。


 坂の下では、イルゼが荷車の列を数えていた。ハルデンから届いた干し肉の樽、峠の西で買い込んでおいた麦の袋、塔に使い残した銅の束。数えるたびに帳簿の数字が一つ減り、蔵の中の山が一つ増えた。


「全部、蔵に入ったか」


「入った。入っちまった」イルゼは帳簿を閉じた。「もう返品は利かねえぞ、坊ちゃん」


     * * *


 坂の下の広場に、谷の槍が集められた。アルノは一人ずつの名を呼び、一人ずつに退き口を言わせた。どの角を守る者は、どの岩の裏を下りるか。どの合図で下りるか。下りた先で、誰の名を呼ぶか。


「ミロシュさんのことを、覚えてますか」


 槍の者たちは黙った。夏の初めに、丘の中継所で死んだ塔守の名だった。相方を退き口から逃がして、自分は最後まで拍を打ち続けた。


「ミロシュさんは、退き口を知ってました。使わなかったんです」アルノの声が低くなった。「今度は、使ってください。下りろって言われたら、下りてください。下りなかった人は、あとで叱ります。……叱れるうちに、叱りたいんです」


 誰も返事をしなかった。それから、いちばん前の若い者が、自分の退き口の岩の名を、もう一度大きな声で言った。


     * * *


 番小屋では、ボルクが壁の板を外していた。十一年前の国境守備隊の名前と、夏に刻んだ最後の一行。名前の板を、ボルクは一枚ずつ釘から外し、藁で包んで床に並べた。


「持っていくんですか」


「置いていけば、燃える」ボルクは最後の板を外した。まだ白い新しい一行が、藁の上で炉の火を映していた。


「去年、伯爵さんは壁に手をつけませんでした」アルノは言った。「今年も、つけないと思います」


「伯はな」ボルクは板を包む手を止めなかった。「四千の中には、アロイスもいる。傭兵もいる。俺は、人の勘定まではしない」


 槍の者が四人がかりで板を担ぎ、坂を下り始めた。名前の板は重く、坂の曲がり角ごとに四人は立ち止まって息を整えた。ボルクは一つ目の角まで後ろについて下り、板が岩の陰に消えるのを見届けてから、番小屋へ戻った。壁の空いた小屋に、炉の火だけが残った。


     * * *


 北風の吹き出す前の晩、峠の西の平地に火が灯った。伯の陣の火は、整った四角の列になっていた。その北に、アロイスの陣の火が大きく乱れて広がる。南の端に、小さな火がひとかたまり。


 見張りの岩から、ズデンカが下りてきた。黒い羽根を一本挿した髪が、夜風に乱れていた。


「傭兵の陣に、旗が上がった」ズデンカは短く言った。「知ってる旗だ」


「荷駄は、見えましたか」


「西の麓の林の中。騾馬が百と少し。麦と矢と、伯の板だ」ズデンカは北の尾根を顎で指した。「尾根の肩の古道なら、上から回れる。晴れた日の昼に叩く。あたしの隊の馬で、半日」


「無理しないでくださいね!」


「覚えておく」


 その夜更け、峠の頂の番小屋の前に、馬が一騎上がってきた。白い布を槍の先に結び、大柄な男が一人、鞍の上で口ひげをしごいていた。番小屋の戸口に立ったボルクと、塔の下にいたアルノを見比べて、男は笑った。


「よう、谷の坊や。三日目でも、半分でもねえ顔だな」


「ガスパルさん!」


「さんをつけんなって、あの財務官に言われてんだろ」ガスパルは塔の頭の銅を見上げ、目を細めた。「組合の払いがいいんでな。雇われた。……谷のガキでも知ってる、の続きを見に来た」


読んでいただきありがとうございます!

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