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雷鳴の辺境伯〜借金まみれの『雷の谷』に追放された雷オタクの三男、落雷を資源に変えて最強の辺境を築く〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第12章 鉄喰い峠

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第112話 待つ金

 イルゼは領主館の卓に帳簿を開き、その上にアルノの天気帳を重ね、さらにその上に受け小屋の控えの束を置いた。三つを重ねると、卓の上に小さな塔ができた。


「まず、向こうの財布だ」


 イルゼは控えの束から一枚を抜いた。ミルデの小屋が打ってきた、組合の手形の噂だった。


「ガスパルの傭兵は、十日ごとに払いを受ける。払いは組合の手形。つまり、ミルデの組合の金庫が、そのたびに開く」イルゼはもう一枚を抜いた。「伯の寄子と、西の男爵たちの兵は、ほとんどが村から引っ張ってきた小作だ。秋の刈り入れが待ってる。刈り入れの月に峠へ座らせたままにしたら、村の麦が畑で腐る。伯はそれを誰よりよく知ってるよ。麦の値で食ってる家だからな」


「じゃあ伯爵さんは、長くは座れないんですね!」


「で、うちだ」イルゼは自分の帳簿の頁を叩いた。「蔵の麦と、ハルデンから来る干し肉と、峠を塞がれても尾根の肩の古道で運べる分。谷は四十日もつ」


 アルノは顔を上げた。


「向こうの倍です!」


「倍だよ。金があるからな」イルゼは帳簿を閉じなかった。「去年のあたしなら、四枚の金庫で、四千相手に一日で勝てる手を探してた。今年は違う。金があるから、待てる」


「待つ……」


「峠の坂で、向こうを座らせる。こっちからは一歩も出ねえ。払いの日が来るたびに組合の金庫が開いて、刈り入れが近づくたびに小作の腰が浮く。四千は、数えてるうちに減っていく」


 声は平らだった。取立屋だった頃、払いの日を待つ客の前で使っていた声だ。坂の上に帳場机を出した朝も、寝台の脇で壺の数を読み上げた冬も、この声だった。


「でも、イルゼさん」アルノは天気帳を開いた。「待つだけだと、峠の上は取られたままですよね。四十日目に、向こうがまだ座ってたら」


「だから、あんたの帳面を下に敷いてる」


 イルゼは顎で天気帳を指した。


「待つ間に、雨が来るかどうか。来るなら、いつ来るか。それが分かんねえと、待つってのは、蔵を空にしていくだけの我慢だ」


 アルノは控えの束を手に取り、卓の上に一枚ずつ広げていった。


 雷信の小屋では、どの信手も毎日正午に、自分の小屋の空を一通打つことになっていた。春にアルノが決めた、小さな決まりだった。晴れ。曇り。北風。雨。誰も大事な知らせだとは思っていなかった。信手たちにとっては、昼の手慰みだった。


 その正午の一通が、ひと夏分溜まっていた。ハンネは毎晩それを紐で束ね、受け小屋の隅の箱に放り込んでいた。退屈な束だった。誰も読み返したことがない。


 アルノは王都の紙を西の端に置き、ブラウエン領の中継所の紙をその隣、ミルデを南西、峠を東の端に並べた。日付を揃えて、行ごとに並べ直す。卓が足りなくなって、椅子を二脚寄せ、その上にも紙を並べた。どの紙にも、信手たちの癖のある字で、晴れ、曇り、と書いてある。


 晩夏の雨の日が、紙の上で斜めに並んでいた。王都で降った翌日に、ブラウエン領が雨。その翌日にミルデ。同じ日の午後には峠。雨の列が、塔から塔へ、東へ歩いてくる。


「……歩いてきます」


「何が」


「雨です!」アルノは紙の上の斜めの並びを指でなぞった。「南西の雨の列は、王都からミルデまで、いつも同じ速さで来るんです。ほら、ここも、ここも。この夏、何べん来ても、王都で降ってから峠に着くまでが、ほとんど同じなんです!」


「ほとんど、ってのは」


「一日ずれたのが、一回だけです。北風が強かった週でした」


 イルゼは紙を覗き込んだ。眉間の皺が深くなった。


「で、次の列は」


 アルノは一番新しい紙を取った。今朝の王都の小屋の正午の一通。西の空に、雨の列。


「今日、王都の西です」アルノは指を折った。「北風が吹き出すのが、たぶん、明後日くらいで……」


「たぶんはやめろ」


「……北風の十日の、三日目か四日目。南西から、雨の列が峠に来ます」アルノはイルゼを見た。「私の読みじゃありません。私には、まだ二日先の雲は見えません。塔が、見てくれたんです。王都の空も、ミルデの空も」


 イルゼはしばらく卓の上の紙を見ていた。自分の帳簿、アルノの天気帳、並べられた控えの紙。三つとも開いたままだった。


「……その頃に雨が来るなら、蔵の底が見えるまで待たなくていい」


「はい」


「来なかったら、蔵いっぱいの麦と樽と塔の銅に、谷の金を全部突っ込んだあとで、晴れた峠を、蔵が空になるまで座って見てることになる」帳簿の頁がめくられた。そこには、この夏の雷信の速達料と為替の手数料が、びっしりと並んでいた。「今年の稼ぎ、全部だ」


「はい」


「あんた、分かってて言ってんだな」


「分かってます」


 イルゼは帳簿を閉じた。雷木の鍵が、紐の先で揺れた。王都の席を蹴って谷に残ると決めた夕方も、この鍵は同じ紐の先で揺れていたはずだった。


「あんたの読みに、谷ごと賭ける」イルゼは立ち上がり、帳簿を胸に抱えた。「……外したら、利息つけて取り立てる」


「外しません!」アルノも立ち上がった。椅子が後ろへ倒れた。「……網が、外しません!」


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