第104話 数だけを言う
峠の上から、丘が燃えているのが見えた。
騎兵の鞍の後ろで、アルノは前の背中にしがみついていた。谷に残っていた騎兵は十騎で、ズデンカはその十騎を連れて領主館の前に馬を回してきた。その脇を、白い影が坂を駆け上がっていった。ヴォルタの毛が闇の中で青く鳴り、蹄より先に峠へ着いた。
峠の番小屋の前で、ボルクが槍の者を並べていた。その後ろに、泥だらけの粉屋の次男が座り込み、毛布にくるまって震えていた。
「坊主は、退き口で来た」ボルクが言った。「沢を這って、峠まで」
「ミロシュさんは」
ボルクは答えなかった。粉屋の次男が、毛布の中から顔を上げた。
「すぐ行くって。……すぐ行くって、言ったんです。何人で、どっちから、何を持って来たか、それだけ打ったら行くって」
「言えたんですね、あなたは」アルノは次男の前に膝をついた。「退き口を、ちゃんと使えたんですね」
次男は泣きながら頷いた。アルノはその肩に一度だけ手を置き、立ち上がって、また馬の背にしがみついた。
丘に着いたのは、東の空が灰色になりかけた頃だった。塔は根元から焼け落ち、銅線が地面に垂れて、黒く縮れていた。小屋の戸は破られ、中の卓がひっくり返っている。壺は割られ、硝子の針が踏み潰されていた。
ミロシュは塔の下にいた。
焼けた柱の脇で、仰向けになっていた。右手が、切れた銅線の端を握ったままだった。
アルノは膝をついて、その手を見た。指をほどこうとして、ほどけなかった。左の薬指と小指は、ミロシュの手の冷たさを何も伝えてこない。右手だけが、それを知っていた。
小屋の裏へ回った。藁束の脇から、溝が沢へ下りている。溝の先の杭に、綱が巻かれたままだった。坊主が下りた分だけほどけて、あとは杭に巻きついていた。
「足跡は十」ズデンカが地面にしゃがんで言った。「南へ。沢じゃない、川の方だ。靴底が街の靴だな。ミルデの」
「十人」
「十人だ。一人も欠けてない。怪我もしてない足の運びだ。……橋の上の、三歩の連中じゃない。並びがばらばらだ」
ヴォルタが、焼けた柱の根元を嗅いでいた。毛が逆立ち、低く鳴る。それから鼻を地面につけたまま、南の斜面を下り始めた。
「油の匂いを追ってる」ズデンカが馬に跨った。「行くか」
鞍に吊った革の袋を、アルノは下ろした。中に、二型が一つ入っている。
「行きます」
* * *
川べりの浅瀬に、男たちがいた。
十人だった。夜通し歩いて疲れ、川を渡る前に火を焚かずに休んでいた。朝日が川面に差し始め、空は高く晴れている。騎兵の蹄の音に気づいて、男たちは立ち上がり、剣と棍棒を構えた。頭らしい男が空を見上げて、笑った。
「晴れてるぞ!」男は仲間に怒鳴った。「雷使いだろうが、空に雲がなきゃただの坊やだ! 囲め!」
アルノは馬を下りた。
二型の口を開け、左手で銅の芯に触れる。雷が腕に入ってきた。肘を越え、肩の上で止まる。胸の中で、一本の太い流れが待っている。
筋を数えた。
いち、に、さん、し、ご。ろく、しち、はち、く、じゅう。
一人に一筋。人を倒すには足りず、立たせておくには多すぎる量で。
手を開いた。
十の青い筋が、川べりの砂に一度に突き立った。男たちの足元の濡れた砂の上で、光が弾ける。十人が、同時に膝をついた。剣が砂に落ち、棍棒が浅瀬に転がる。一人が水の中に倒れ込み、ズデンカの騎兵が襟首を掴んで引き上げた。
音は小さかった。朝の川の音に、すぐ呑まれた。
二型の口を閉めた。左腕が肩の上まで痺れている。
「……殺さないのか」ズデンカが馬上から言った。
「殺しません」アルノは言った。声に、何も乗っていなかった。「訊くことがあります」
騎兵が男たちを縛った。頭の男は、まだ痺れの残る顎で、しばらく何も言わなかった。アルノはその前にしゃがんだ。
「誰に、頼まれましたか」
「……ミルデの、組合の者だ。検め役の下で働いてる男だ」頭は砂に唾を吐いた。「塔を焼けと言われた。人は追い払えと」
「追い払わなかったんですね」
「小屋の奴が、打つのをやめなかった」頭は目を逸らした。「何を打ってるのかは知らねえ。だが、やめろと言っても、やめなかった」
「何回、言いましたか」
「……二回だ」
「二回」
アルノは立ち上がった。それきり何も言わずに、頭の男を見下ろしていた。ズデンカがアルノの顔を見て、騎兵に目で合図した。男たちは馬の後ろに繋がれ、峠へ引かれていった。
* * *
夕方、峠の番小屋に、ミルデから早馬が着いた。
組合長の手紙だった。秤と麦束の封蝋。丘の塔が燃えてから、まだ一日も経っていない。アンゼルムの早馬は、いつも誰より先に着く。
イルゼが封を切って読み、紙をアルノに渡した。
丘の件、聞きました。当組合の者が、塔を止めてほしいと、ある人たちに頼んだことは認めます。組合の町の外で、組合の知らない値の手紙が走るのは、秩序に反しますからね。ですが、塔を止めろとは言いました。人を殺せとは言っていない。雇った者の罪は、雇った者の罪としてミルデの法で裁きます。組合としての詫びは、いたしません。
アルノは手紙を畳んだ。畳み目がずれて、もう一度畳み直した。
「詫びねえ、ってわざわざ書くのが爺さんだよ」イルゼが言った。「書かなきゃ、詫びたことにされるからな。あの爺さんは、書いたものしか払わねえ」
アルノは返事をしなかった。
イルゼは谷から騾馬で駆け上がってきたばかりで、まだ息が上がっていた。番小屋の戸口に立って、アルノの顔を見る。いつもなら、ここで何か言う顔だった。何も言わない顔を、イルゼは初めて見た。
「……坊ちゃん。何人だった」
アルノは畳んだ手紙を膝の上に置いた。
「十人です。十人、倒しました」
峠の風が、戸口から吹き込んできた。
「……塔に残ったのは、一人でした」
読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや下の★★★★★で応援してもらえると、とても励みになります。




