第7話 - 好きになってよかった
学年一位の実力者のサポートがあるとしても、全科目九十点以上の壁は厚い。大輝は部活の後、毎日翔太と共に勉強した。途中から天音も参戦し、大輝はかつてないほどの知識を頭に叩き込んだ。
「将くんは意地悪だから、細かいところまで見た方がいいよ」
天音の助言で、英語は応用問題やテスト範囲外まで対策した。念には念を入れて、教科書の端にあるコラムまで覚えた。
そして迎えたテスト当日、大輝は人生初の「わかる」という感覚に感動した。見直しの大切さも知った。ケアレスミスが想像以上に多い。
英語は予想通り、コラムからも出題された。授業中に有馬が余談程度に話したところまであり、有馬の性格の悪さを思い知った。大輝に点を取らせないために、担当教師が違うクラスの生徒が解けない問題を出すのはどうかと思う。
キーンコーンカーンコーン――
テストの終わりを告げる鐘の音と共に、大輝はペンを置く。こんなにも手ごたえを感じるテストは初めてで、逆に落ち着かない気持ちになった。
「……まさか本当に取るとは思いませんでした」
有馬が額に汗を浮かべながら腕を組む。生徒指導室の机には、九十以上の点数が書かれた大輝のテストが並べられている。
大輝は有馬の前に立ち、ドヤ顔で胸を張る。
「どうですか! やればできるんですよオレは!」
「これは誤算ですね……。絶対に取れないと思っていたのに」
「そこまでですか?」
有馬は本気で困った顔をしている。大輝自身もできるとは思っていなかったが、さすがに傷つく。
有馬は残念そうな顔で眼鏡を押し上げる。
「他の先生方に怒られない、ぎりぎりの難易度を狙ったのですがね……」
「平均点の低さ的にアウトじゃないですか?」
「満点が一人出ているのでセーフです」
(そういえば翔太が取ってたな……)
テストの神様しか満点を取れないならアウトでは? と大輝は思うが、それは教師たちが決めることだ。大輝は考えるのをやめる。
「本当は追加で課題を出したいところなのですが……」
有馬がちらりと大輝の隣に目を向ける。つられて大輝も隣を見ると、そこには笑顔で圧を放つ天音の姿がある。赤黒いオーラが見えるのは気のせいだろうか。
「……冗談抜きで解雇されそうなので、やめておきましょう」
(羽生さんって、怒らせちゃいけない人だったんだな……)
大輝は冷や汗をかく有馬を見ながら、自分も気をつけようと心に誓った。
有馬ははぁとため息をつく。
「仕方がないので認めて差し上げます。あなたの実力というより、森さんの力のような気もしますが……」
「人脈も実力ですよ」
「それは一理あります」
翔太の受け売りだが、どうやら納得してもらえたようだ。大輝は少しほっとする。
「ただし、一つ忠告しておきます」
有馬はなさけない表情を消し、冷ややかな視線を大輝に送る。突然訪れた緊張感に、大輝はごくりと唾を飲みこむ。
「悪魔は日陰を生きる存在です。エクソシストに追われ、世界各地を逃げ回ることになる。彼らは悪魔のみならず、悪魔に関わった人間まで滅ぼそうとします。そのことを、ゆめゆめお忘れなきように」
大輝の背中がぞくりと震える。有馬のことはあまり信用できないが、その目は嘘を言っているようには見えない。何より、天音が否定しない。
(エクソシストがどんだけヤバいのか、正直全然わかんないけど……)
大輝はぐっと拳を握り、まっすぐに有馬を見る。
「はい!」
反響した自分の声に、大輝は一瞬驚きそうになる。体育祭でもこんなに大きな返事をしたことはない。だがそれくらい、覚悟のこもった返事だった。
有馬は大輝の返事を聞き届けると、荷物をまとめて立ち上がる。
「では、私は職員室に戻りますので、お二人でごゆっくりどうぞ。このテスト、忘れずに持って帰ってくださいね」
「あ、はい」
有馬は長い足で颯爽と歩き、振り返りもせず生徒指導室を後にする。扉が閉まると、大輝は緊張の糸が切れて思わずしゃがみ込んだ。
「はぁ~~……」
「佐藤くん! 大丈夫?」
天音が膝をつき、支えるように大輝の肩に手を置く。心配そうな天音に、大輝はなさけない笑みを向ける。
「大丈夫……。あー、緊張した」
「よかった……。将くんが引いてくれなかったら、潰さなきゃいけなくなるところだった」
「潰すって、物理で?」
「うん」
当然のようにうなずく天音に、大輝は苦笑いを浮かべる。少しだけ有馬に同情した。
大輝と天音は立ち上がり、机に広げた解答用紙を二人でまとめる。その途中、大輝はふと思い出して手を止める。
「……聞かないんだね。中学のときのこと」
有馬の含みのある言い方を聞いたら、普通は気になるだろう。大輝も動揺していて、あれがはったりではないことは明らかだ。
しかし天音は、笑顔ではっきりとうなずく。
「佐藤くんが話したくないなら、聞かないよ」
迷いのない声に、大輝はありがたいと同時に胸が痛む。大輝は天音が悪魔だと知っているのに、自分のことは秘密にしている。それは、対等ではないのかもしれない。
(どうせいつかバレるんだろうけど……)
「……気持ちの整理ができたら話すから、そのときは聞いてくれる? ちょっと、怖がらせるかもしれないけど……」
「ちょっと」という保険をかけた言い方に、大輝は心の中で苦笑する。本当は、誰もが大輝を見放すほどのことがあったというのに。
まとめたテストを差し出され、大輝は不安を抱えながら天音を見る。そこにあったのは大輝の心配が杞憂に思えるような、澄んだ笑顔だった。
「うん」
ただそれだけの、短い返事。しかし最大限の肯定を示すその言葉に、大輝の不安が溶けていく。
(羽生さんを好きになってよかった)
外見から始まった恋だった。今思えば、大輝は天音のことを表面しか見ていなかった。
しかし今はっきりと、大輝は天音を好きだと思える。テストの束を受け取りながら、大輝は芽生えた気持ちを噛みしめた。




