第58話 - 嵐の終わり
「ボク、本部にウソ言うしました」
ゴウ、と飛び立つ飛行機を見ながら、ノエは大輝たちに背中を向けて言う。穏やかな声が本当に穏やかな気持ちで放たれたものなのか、大輝にはわからない。大輝はただ、ノエが嘘をついたという真実だけ受け取った。
卒業式に合格発表、天音の誕生日、大学準備と忙しかった三月。やるべきことをなんとか終わらせて、末日の今日、大輝と天音は帰国するノエの見送りに来ていた。ノエに「二人と話すしたいデス」と言われて二人は早めに来たが、結衣も後から来ることになっている。翔太が来るかは不明だ。大輝の予想では来ない。
飛行機を眺めるノエの背中はどこか小さい。大輝は驚くこともなく、落ち着いてその背中に声を投げかける。
「どんな嘘?」
「アマネは悪魔ではない、デス」
意外ではない。なんとなく、ノエはそうすると大輝は思っていた。
「一緒に来てる人がいる……って言ってた気がするけど、その人は納得したのか?」
「ワカリマセン。でも、マルコも証拠を見つけるしなかったので、信じてくれたと思うします」
「……そっか」
大輝の隣で、天音がほっと息をつく。大輝も、天音が海外に移住しなくていいことに安心した。
ノエはくるりと振り返る。
「話、それだけデス。アリガトございました」
ニコッと笑う姿はいつも通りに見えるが、どこか無理をしているようにも見える。しかし大輝は追及しなかった。ノエが決めたならそれでいいし、変に追及して心変わりされても困る。
(笹本さんが来たら元気出すだろ)
そう思いながら、大輝と天音は建物内に戻るノエについて行く。軽快に歩く背中は、やはり寂しそうに見えた。
ロビーに移動し、ベンチに座るノエの上司と合流する。マルコというらしいその人は、天音を見るとすぐに容姿を褒め称えた。大輝は少し警戒したが、ノエ曰く「好き、違うデス。かわいい人は褒める礼儀デス」とのことだ。どんな礼儀だと大輝は思う。
マルコは今褒め称えた彼女こそ、エクソシストが追っていた羽生 天音だと知ると、驚いたように肩を竦める。
「Oh……。本部には、とんでもない美少女だったと伝えます」
大輝はその報告が必要なのかより、流暢な日本語に驚いた。きっとたくさん練習したのだろう。
「あ、いたいた! おーい、ノエー!」
結衣の声が聞こえ、大輝たちは広い通路の方に目を向ける。結衣は人混みをかき分け、ポニーテールを揺らして歩いてくる。翔太の姿はなさそうだ。
しかし、別の見知った人物が、なぜか結衣の隣を歩いている。あまりにも目立つその姿に、大輝は言葉を失った。
(正雄さん!?)
大輝はちらりと天音を見る。大輝以上に驚いた様子に、天音が呼んだわけではないとわかる。
(じゃあなんで? てか、純血の悪魔が堂々とエクソシストの前に出てきていいのか??)
大輝は心配になるが、手を振って近寄ってくる正雄は笑顔だ。エクソシストに気づいていないのか……と思ったが、正雄はノエのことを知っている。気づかないはずがない。
そんな正雄に最初に声をかけたのは、なぜかマルコだった。
「“あなたはあのときの! 覚えてるか? 文化祭で会った……”」
マルコは興奮した様子で、英語で正雄に話しかける。正雄もうなずき、マルコに笑顔を向ける。
「“覚えてるさ! 一緒に焼きそばを食べただろう? 元気そうでよかった”」
二人は親友のようにハグをする。大輝は英語を断片的にしか聞き取れず、何が起こっているのか全くわからない。ノエに目を向けると、大輝以上に呆然としていた。
「えっと……笹本さん、なんであの人と一緒なんだ?」
大輝が声をかけると、結衣はノエと天音に向けた訝しげな顔のまま大輝を見る。
「あの人が天音の身内なのは知ってて、途中で会ったから一緒に来ただけ。天音を迎えに来たんだと思ってたんだけど……違うの?」
どうやら結衣は正雄のことを詳しく知っているわけではなく、「天音の家に遊びに行ったときに見かけた人」程度の認識らしい。予想は従兄だという。たしかに、何も知らなければそれくらいの年齢差に見える。
ノエと天音が動き出す前に、マルコと正雄の会話は着地したようだ。マルコは正雄から視線を外し、納得した顔で肩を竦める。
「“彼が羽生 正雄なら、羽生家が悪魔なわけがないな。あんなに親切な悪魔がいるものか”」
よくわからないが、攻撃する様子はなさそうで大輝は安心する。ノエと天音もほっとしたようだ。
動き出したノエはすぐに結衣に駆け寄る。先ほどまでの静止が嘘のような速さだ。
「ユイ!」
ノエが結衣の手を握る。結衣を見るノエの瞳は、真剣そのものだ。
「ボク、絶対にまた日本に来るします! そのときは、ボクのガールフレンドになるしてください!」
大輝は事前に、ノエがクリスマスにフラれたことを聞いている。その諦めない心を見習いたい。
結衣は「うーん」と眉間にしわを寄せる。
「それは、そのときのノエ次第じゃない?」
「そうデスね! 頑張るします!」
ノエは気合を入れるようにガッツポーズをする。
「イタリアの写真、たくさん送るします!」
「うん。日本の写真も送るよ。まだ見てないとこいっぱいあるでしょ?」
「ハイ!」
ノエは少し照れたように笑う。結衣の表情も明るく、脈はありそうに大輝には見えた。
話しているうちに飛行機の時間が近づく。マルコとノエは、晴れやかな笑顔で手を振った。
「“じゃあなマサオ! また日本に来たときに話そう!”」
「“ああ。元気でな、マルコ”」
「アリガトございました!」
「忘れ物ないようにねー」
保護者のような結衣の見送りに、ノエは嬉しそうに笑う。大輝と天音も、ノエが見えなくなるまで手を振った。
ノエの飛行機の時間になり、大輝たちは展望デッキに出る。おそらくノエが乗っているであろう飛行機が、青い空に向かって力強く飛んでいった。
(……終わったんだな)
不思議と寂しい気持ちにも、安心した気持ちにもならない。ただ一つ区切りがついたような、晴れやかな気持ちだった。




