第56話 - 泣くつもりなんかなかったのに
「私は、大輝くんが好きだから」
笑顔で紡がれた天音の言葉に、大輝は目を見開く。鼓動が高鳴り、空間が切り取られたかのように周りの音が聞こえなくなる。
(今、名前で……好き、って……?)
聞き間違いだと思った。都合のいい幻聴だと。しかし何度反芻しても、響く言葉は変わらない。
天音は恥ずかしそうに顔を赤くし、前髪をいじる。
「ご、ごめんね。まとまりのない話を長々と……」
「えっ、あ、いや……」
大輝は言葉に詰まる。本当に嬉しいはずなのに、何と言うのが正解なのかわからない。
天音はほっとした表情で目を伏せる。
「ずっと言わなきゃって思ってたの。助けてもらったことも、お礼できなかったことも……私も、大輝くんのことが好きだってことも。でもなんか怖くて、ずっと言えなかった。ノエくんが大輝くんを襲ったとき、今度は私が大輝くんを守る番だって思ったの。でも、結局また助けられちゃった」
『佐藤くん……ごめんね。私、また間違えちゃった』
(あの“また”はそういうことだったのか……)
大輝はようやく、天音の言葉の意味を理解する。今まで天音の発言に抱いていた疑問が、全て繋がった気がした。
天音は話し出す前の張り詰めた表情とは違う、穏やかな笑みを大輝に向ける。
「改めて、助けてくれてありがとう。逃げてごめんなさい。こんな、間違えてばっかりの私だけど……これからも、彼女でいさせてくれる? できれば、卒業後もずっと」
(当たり前じゃん)
そう思っているのに、大輝は声を出せなかった。喉を震わせても、綺麗な形にならずブツブツと切れる。
頬を熱い液体が伝う。それが何かを理解する前に……大輝は天音を抱きしめていた。
「あま、ね」
大輝は天音の肩に顔を埋める。拙い音はちゃんと届いたようで、天音が「うん」と小さく答える。
「ずっと……ずっと、怖かった。なんでつき合ってくれたのかわかんなくて、オレばっかり……天音を好きで、卒業したら別れるんじゃないかって、ずっと……」
抱えていた不安は、言葉にすると案外短い。同じことをぐるぐると悩み続けていたのだと大輝は気づく。
(泣くつもりなんかなかったのに)
どうやら、感情を溜めこんでいた箱が壊れてしまったらしい。箱の修復は、できそうにない。
天音が大輝を抱きしめ返す。コート越しでも、触れる手は温かい。
「……うん。ごめんね、遅くなっちゃって」
天音の声はわずかに震えている。天音も泣いているのだろうか。そう思ったら、止まりかけていた涙が再び溢れた。
どれくらいそうしていたのだろうか。辺りはすっかり暗くなり、人々が駆け足でパレードに向かう声が聞こえる。
大輝は天音から体を離す。天音の大きな目は、まだ少し潤んでいた。
「天音」
「うん」
大輝はまっすぐに天音を見つめる。天音の瞳にも、大輝の姿がはっきりと映っていた。
「……ありがとう。こんなオレでよければ……卒業後も、ずっと、一緒にいさせてほしい」
「うん。私の方こそ、ありがとう。これからもよろしくね」
天音のひまわりよりも眩しい笑顔に、大輝は無意識に顔を近づける。雰囲気に流された行動で、深くは考えていない。
天音は一瞬驚いた顔をするが、すぐにまぶたを閉じる。受け入れの体勢を取った天音の頬に、大輝はそっと手を触れ――
しかし次の瞬間、天音ははっとしたように目を見開いた。
「あ、そうだ!」
突然の大きな声に、大輝は驚いて天音から離れる。冷静になると一気に体が熱くなり、心臓がバクバクと音を立てる。
(っぶねー……往来でキスするとこだった)
大輝は恥ずかしくなり口元を押さえる。勢いとは恐ろしい。
天音は大輝のことも、周囲の目も気にせずショルダーバッグをまさぐる。取り出したのは、水色のかわいらしい折りたたみ財布だ。天音はそれを開き、ポケットから白いカードを抜き出す。
「これ、学生証! ずっと持っててごめんね」
それは先ほど話に出てきた、大輝の中学生のときの学生証だ。中学校一年生のときの写真は、まだあどけなさが残っている。
(あ、これ中一の冬に再発行したやつだ……)
発行日の欄を見て大輝は思い出す。初代学生証は制服のポケットに入れたまま、洗濯機の中で破壊されたのだ。天音が大輝の誕生日に驚いていたのは、この再発行日を生年月日と見間違えたからかもしれない。
(正直いらねー……けど、受け取らないと羽生さ……天音が困るよな)
まだ慣れない名前呼びに苦笑しながら、大輝は大人しく学生証を受け取る。大事にしてくれた天音には悪いが、帰ったらすぐにシュレッダー行きだろう。
「ありがと……。正直オレ、あの喧嘩のとき何喋ったか覚えてないんだけど……口調きつかっただろ。ごめんな」
大輝は揉め事の被害者との会話をほぼ覚えていない。会話どころか、外見すら覚えていない。天音だと判明した女子中学生のことは、眼鏡だけ辛うじて覚えている。
(リーダー格の男の顔は覚えてるのに……本当に喧嘩しか能がなかったんだな)
ちなみに、あの喧嘩は大輝が勝った。彼らも天音に逃げられた時点で、それ以上大輝に関わる理由がなくなったのだろう。尻尾を巻いて逃げていった。
大輝の謝罪に、天音は意外にも首を横に振る。
「ううん、優しかったよ」
「気ぃ遣わなくても……」
「自分が怪我をしてるのに、『逃げろ』って言ってくれたんだもん。優しいよ」
(内容じゃなくて口調のことだったんだけど……まあいっか)
天音がいいならそれでいい、ということにした。美談と思ってくれた方が、大輝も気が楽だ。
そのとき、遠くから軽快な音楽が聞こえてきた。賑やかなそれは、明らかにパレードの音だ。
「あ、パレード始まっちゃったな。行く?」
「うん!」
大輝の問いに、天音は元気よく返事をする。大輝がベンチから立ち上がり手を差し伸べると、天音は自然にその手を取る。
つないだ手の温度はいつもと変わらない。けれどたしかに、これまでと違う何かがそこにはあった。




