第54話 - “普通”の答え
昔の天音は地味だった。地味にならなければならなかった。生まれつき派手な容姿は、周りに受け入れられなかったのだ。
年中から入った幼稚園で、天音はクラスの女の子たちから嫌われていた。当時の天音には理由がわからなかった。話しかけても無視され、「シラガ」「ハゲ」などと笑われた。白髪ではないし禿げてもいないのだが、その意味を真剣に考えているうちに彼女たちはその場を離れた。
おかげで友達は男の子ばかりだった。それが彼女たちの行動を助長させているとは気づかなかった。
小学校では、先生から「髪を染め直しなさい」と言われた。親が地毛であることを説明してなんとか解決したが、子供たちからの嘲笑は残った。先生が「悪い」と言ったら、生徒にとってはそれが真実だ。
(私の見た目は“普通”じゃないんだ)
そう理解してから、天音は黒髪のウィッグを被るようになった。それ以来先生に怒られることも、通りすがりの大人に奇異の目を向けられることもなくなった。何より、“みんなと一緒”は安心した。
しかし、今度は派手な顔立ちで陰口を言われるようになった。髪はごまかせても顔は変えられない。天音は少しでも顔を隠そうと前髪を伸ばし、縁の太い伊達メガネをかけた。
中学校もそれで過ごした。私立で小学校の同級生がほぼいないこともあり、比較的快適だった。しかし「本当の自分ではない」という感覚が、天音の中に溜まり続けた。
(浮かないように周りに合わせて……それでいいのかな)
一人での下校中、天音はふと考える。周りと容姿をそろえ、発言をそろえ、行動をそろえ、それで何になるのだろうか。どれほど繕っても自分は悪魔で、人間と完全に同じになることはできないのに。
そうしてぼーっと、ただいつも通り歩いていたときだった。
「すみません、ちょっといいですか?」
突然横から声をかけられ、天音は深く考えずに足を止める。おそらく大学生であろう青年は天音を見た途端、柔らかな笑みを下卑た笑いに変えた。
「おっ、当たりじゃん! ラッキー。おい! 上玉見つけた!」
青年が大きな声を後ろに投げかける。すると、彼の友人らしき青年が続々と現れた。
「本当だ。チョーいいじゃん。いくつ? 高校生?」
「中学生じゃね? そこの私立の制服だろ」
「マジ? JCのレベル高っ!」
青年たちに囲まれ、天音は異様な空気を察して後ずさる。しかし背後は高い塀だ。逃げ場などない。
(どうしよう……。悪魔の力を使えば逃げられるけど、ばれちゃいけないし……でも腕力じゃかなわないし……)
正確に言えば、難しいのは相手を傷つけずに逃げることだ。再起不能にしてもいいなら逃げられる。しかしそんなこと、普通の人間はしない。
(どうしよう……将くんに電話……はできないよね。大きい声出す? でも……)
天音は周囲に目を向ける。青年たちの隙間から通りかかる人々が見えるが、皆怪訝な顔で一瞥するだけだ。
(誰も助けてくれない……。どうしよう、こんなとき、“普通”はどうするの?)
こんなときですら、天音は“普通”の答えを探していた。逃げられたとしても、“普通ではない”と知られたら、また学校生活が大変になる。
そうこうしているうちに、青年たちが天音の目の前まで来ていた。一番屈強そうな男に、天音は手首を強く掴まれる。
「いっ……!」
「ちょっとオレたちと遊ばねぇ? お金あげるからさぁ」
冷静に考えたら悠長なことは言っていられない。しかし“普通”という言葉が、呪いのように天音の体を縛っている。一歩も動けず、このまま青年たちの言いなりになるのかと思ったとき――
「中学生一人に、大人数で何してんだ。みっともねぇ」
強く、凛とした声が響く。青年たちと共に声の方に目を向けると、そこにいたのは天音と同年代らしき少年だった。
臆せず青年たちに近づく少年は、どう見ても“普通”ではなかった。学ランの前を全開にしていることも、その学ランにカラーがないことも、目より下に来る長い前髪も、見慣れた男子中学生からはかけ離れている。
天音を取り囲んでいた青年の一人が、馬鹿にするように少年に顔を近づける。
「中坊が邪魔してんじゃねーよ。ヒーロー気取りかぁ? ボコられたくねーなら黙ってお家帰ん……なぁ!?」
青年が言い終わるのを待たず、少年が青年の股間を蹴る。青年は蹴られたところを押さえ、地面に膝をついてうずくまる。相当痛そうだ。
「ちょっ……テメ、それは反則だろぉ……っ」
「知るかよ。んなもんついてるからナンパなんかするんだ」
「テメーにもついてんだろ!!」
青年たちが一斉に少年に群がる。天音の手首を掴んでいた男も手を放し、少年に殴りかかった。
少年は肩に担いでいた鞄を地面に投げ、拳を避けて男の腹を殴る。他の青年たちの攻撃も華麗に躱し、次々と蹴りを決めていく。
(すごい……)
天音は思わず見入った。成長途中の小さな体で大人たちを圧倒する少年の姿は、まるでアニメの世界のようだった。
しかし、やはり数の利はひっくり返せないのか。少年は男に顔を殴られ、天音の隣まで吹き飛んだ。
「きゃっ!」
少年が塀に激突し、天音は思わず目を閉じる。おそるおそるまぶたを開くと、少年は男に殴られた右頬ではなく、塀にぶつかった左目を押さえていた。どうやら塀から釘が飛び出ていたらしく、指の隙間から血が流れている。
「あ、血が……」
天音は鞄からティッシュを取り出そうとする。しかしその前に、少年の右目に鋭く睨まれた。
「まだいたのか? 早く逃げろよ。巻き込まれても知らねーぞ」
少年の言葉に天音は迷う。傷を負った少年は、青年たちより明らかに不利に見える。そもそも喧嘩は止めた方がいい。しかし、“普通”の女子中学生ならすぐに逃げるだろう。
(悪魔の力を使えば助けられる、けど……)
迷った末に、天音は逃げた。家までまだ距離があるが、急いで帰って有馬を呼ぶことにした。
少年を助けるため……というのは言い訳だ。本当はただ、“普通”であることを優先しただけだった。
家に帰った天音は、急いで有馬を連れて現場に戻った。しかしそのときには、全て終わっていた。
そこには誰もいなかった。あるのは血痕と、一枚の学生証だけだ。
天音はその学生証を拾う。髪の長さがだいぶ違うが、あの少年の写真が付いていた。
(佐藤 大輝……さん)
天音は学生証を握りしめる。心の中は、激しい後悔で埋め尽くされていた。




