第45話 - あの馬鹿は
有馬と話しながら、天音はガラガラと教室の扉を開く。大輝に声をかけよう……と思ったのだが、そこに大輝の姿はない。いるのは高速で手を動かす翔太だけだ。
「あれ? 佐藤くんは?」
天音と有馬が翔太に近づく。翔太は手を止めず、顔も上げない。
「ノエに呼ばれて屋上行った。……あ、屋上って先生にばらしちゃ駄目でしたね。立ち入り禁止ですから」
「そうですね」
冷静に言葉を返す有馬が気にしているのは、当然立ち入り禁止の場所に無断で入ったことではない。
(どうしてノコノコついて行くんですか、あの馬鹿は……。森さんも立ち入り禁止とわかっているなら止めてくれたら……いえ、彼に期待するのはやめましょう。彼は勉強しかできない人間ですから)
有馬はため息をこらえて踵を返す。
「私は二人を叱りに行ってきます。羽生さんはここで森さんと一緒に待っていてください」
「私も……」
話そうとした天音を、有馬が強い視線で睨む。「絶対に来るな」と顔に書いてあった。
有馬は颯爽と教室を出て行く。天音はその背中を見送り、下ろした拳をぎゅっと握る。
(ノエくんの目的は私なのに……)
ノエが大輝を連れ出した理由を、天音はなんとなく察している。大輝を使って天音を屋上に呼び寄せるか、邪魔だから先に片付けるかのどちらかだ。
(佐藤くんが負けるとは思ってない。でも……)
天音の中に不安が過る。大輝は他人のために頑張れる人だが、自分のことを大切にしない。またあのときのようなことになってはいけないのだ。
天音は有馬の指示に背いて走り出す。翔太は呼び止めることも追いかけることもなく、天音の背中を見送った。
「青春してんなー」
有馬は早足で廊下を歩く。一応走ってはいないが、競歩と言っていい速度だ。「走ってないも~ん」という小学生の言い訳と変わらない。
しかし急がないわけにはいかない。大輝は一般人であり、悪魔の事情に巻き込んでいい存在ではないのだ。
(無茶な勝負を挑まれても、お嬢様のためなら引かないでしょうし……ああ、もう!)
大輝が引ける性格なら、有馬は心配しなかった。ノエから逃げきれる実力は十分にある。屋上からさっさと撤退し、教室に戻ればいい。
しかし、大輝は驚くほど引かない。有馬が調べた限り、売られた喧嘩は全部買い、勝負を降りることもない。どれほど大怪我を負ったとしても、彼は倒れるまで戦い続けるのだ。
(そんな“平凡”がいてたまりますか。まったく、世話の焼ける……)
有馬は内心苛立ちながら、屋上への階段に足をかけた。ちょうどそのとき。
「あ! 有馬先生、いいところに!」
有馬は声の方を見る。中年の数学教師が、大きな段ボールを不安定に重ねて歩いていた。
「職員室に持っていくものなのですが、一人では持ちきれなくて……おっとっと。手伝っていただけますか?」
(なんて間が悪い。分けて運べばいいものを……)
有馬は舌打ちをこらえて笑顔を作る。
「すみません、急ぎの用がありまして……生徒が屋上に行ってしまったみたいなのですよ」
「屋上ですか? んー、まあ大丈夫でしょう。数年前は行けたわけですし、柵も越えられないように改修しましたから、飛び降りの心配もありません」
「しかし……」
「大丈夫ですって。心配しすぎですよ。有馬先生は真面目ですね~」
無理矢理段ボールを押し付けられ、有馬は思わずポーカーフェイスを崩しそうになる。ぎりぎりでこらえ、段ボールを持つ手に力を込めた。
(クソが……速攻で片付けて屋上に行かなければ)
有馬は数学教師を置いて、急いで職員室に向かう。その間に天音が屋上に向かったことなど、知る由もなかった。




