第42話 - 来年はちゃんと
がらりと襖が開き、天音が新たなお茶を持って入ってくる。正雄は複雑な笑みを消し、おどけるようにぱっと笑う。
「ありがとー! 天音のお茶が世界で一番うまいよ」
「淹れたのお母さんだよ」
「そうだったかぁ? あっはっはっ!」
その笑い方はわざとらしく聞こえるが、もともとこうだったかもしれないと大輝は思う。何せ、手形で作った校章を面白いと言う人……悪魔だ。
天音は自分の湯呑を座卓に置くと、お盆を胸に抱えて大輝を見る。
「ねえ、佐藤くん。お母さんが、佐藤くんも一緒にお夕飯食べていかないかって言ってるんだけど、どうする?」
「えっ」
突然の誘いに驚き、大輝は口元まで持っていったお茶を飲まないまま座卓に置く。ご飯イベントまでは想像していなかった。羽生家は皆、案外ぐいぐい来る。
(甘えた方がいいのかなぁ……。断るのも感じ悪いか?)
「じゃあ……せっかくだしいただこうかな」
正解はわからないが、断って「嫌がられた」と勘違いされる方が良くないと大輝は判断する。いつも夕飯を用意してくれる父には、早めに連絡を入れれば大丈夫だろう。
大輝の答えに、天音は嬉しそうに目を細める。
「わかった! お母さんに伝えてくるね。あ、リクエストはある?」
「特には……」
「わがまま言っていいんだぜ? 何せうちは大富豪だからなぁ!」
正雄が自慢げに腕を組む。笑うところなのかわからず、大輝は反応に困った。
天音は呆れるような目を正雄に向ける。
「稼いでるのはおばあちゃんとお父さんとお母さんでしょ。おじいちゃん無職じゃん」
「働くと目立っちゃうからなぁ。で、どうする大ちゃん。好きなもん言っていいんだぜ。普段は誕生日しか食えないような高級寿司とか」
「いや、誕生日でも回転寿司ですけど……。本当に何でも大丈夫です。好き嫌いないので」
(いいなぁ……誕生日に高級寿司が食える家……)
大輝は遠い目になる。改めて、この家は異次元だと感じた。
正雄は面白くなさそうに口をすぼめる。
「そうか? じゃあ、次の誕生日に寿司行こうぜ。いつ?」
「四月二十三日です」
「えっ」
天音の驚く声と共に、お盆が畳に落ちる音が聞こえる。天音の方を見ると、焦ったような、驚いたような顔になっていた。
「今年度のお誕生日、とっくに過ぎてる……?」
「あ、うん」
天音の表情からして、祝うつもりはあったのだろう。しかし今まで聞かなかったのはなぜなのだろうか。ちなみに、大輝も天音に誕生日を聞いたことはないが把握している。三月七日だ。我ながら気持ち悪い。
大輝は誕生日のころを思い出して苦笑する。
(今年はそれどころじゃなかったんだよな……。有馬先生の課題でテスト勉強してて)
大輝の誕生日は、有馬から全科目九十点以上取るという試練を受けた直後だった。祝っている場合ではなく、ちょっといいご飯を食べただけで終わった。それでも十分祝ってもらっていると大輝は思うのだが。
天音は悩ましげに唸っている。こんな様子は珍しく、「祝わなくていい」と言うタイミングに困ってしまう。
やがて天音は何か決めたようで、正座で姿勢を正す。
「大遅刻だけど、お誕生日おめでとう!」
「え? あ、ありがとう」
「代わりにはならないけど、今日は佐藤くんの好きなものを食べよう! で、来年はちゃんと当日にお祝いする!」
その言葉に、大輝の鼓動が大きく脈打つ。
(来年がある……と思っていいのか?)
大輝はもう祝われない気持ちでいた。天音が高校卒業後に大輝と別れるつもりなら、祝うタイミングはないと思っていたからだ。
もしかしたら、来年は関係が友人に変わっているかもしれない。それでも――
(それでも、羽生さんに祝ってもらえたら嬉しいな)
「……うん。ありがと」
思わず大輝の口元がほころぶ。天音は持ち直したお盆で口元を隠し、少し恥ずかしそうに笑った。
結局その日は天ぷらを作ってもらった。回らない寿司は、緊張して味がわからなくなりそうだから遠慮した。もっと寿司にふさわしい人間になってから出直そうと思う。
食卓には新鮮な野菜や海産物、鶏肉など、見たこともないほど多くの種類の天ぷらが並んだ。これはこれで贅沢すぎる。特に、松茸は初めて食べた。
終始緊張が抜けない一日ではあったが、来てよかったと大輝は思った。




