第36話 - 泥のような不安
警戒していた土曜日はあっという間に終わった。天音が襲われることはなく、ノエ以外のエクソシストに遭遇することもなく、大輝は少々拍子抜けした。
日曜日は丸一日泥のように眠り、休んだ感覚もなくやってきた月曜日。大輝は教室を片付けながら、小さくため息をつく。
(羽生さん、海外行くのかな……)
大輝は有馬のつぶやきを聞いていた。天音が結衣とトイレに行き、大輝は教室の前で二人を待っていた。そのとき偶然、聞こえてしまったのだ。大輝は目は悪いが、耳はいい方だ。
有馬の口ぶりからして、まだ海外に行くと決まったわけではないのだろう。天音も東京の大学を受けると言っていた。
しかしそれが天音の嘘で、有馬も知らないうちに海外移住が決まっている可能性は否定できない。だから正雄は、エクソシストがいる場で平然としていたのかもしれない。それに天音は高校卒業時に、大輝と別れるつもりでいる(と、大輝は思っている)。
手形まみれの紙を破り、大輝はゴミ袋に雑に放り込む。有馬の発言が気になりすぎて、高校最後の文化祭が終わったことに何の感慨もわかない。
そのとき、何かが突然大輝の肩にのしかかった。
「うわっ!」
「いやー、文化祭終わったなー」
「……翔太か。びっくりしたー」
どうやら、翔太が後ろから大輝にもたれかかったようだ。手にしているゴミを見る限り、用があるのは大輝が持っているゴミ袋だろう。
大輝が袋の口を開くと、翔太はそこにゴミを放り込み、大輝から体を離す。
「いよいよ本格的に受験勉強が始まるな」
(あ、そうだ進路……)
言われて、大輝は先延ばしにしていた問題を思い出す。体育祭と文化祭に気を取られて忘れていたが、大輝は進路をはっきり決めたわけではない。
げんなりする大輝と対照的に、翔太はかつてないほど生き生きしている。
「受験楽しみだな」
「楽しんでるのなんてお前だけだよ……」
「結局、大輝も進学だっけ?」
「そのつもり」
大輝は「とりあえず進学」というありきたりなところに着地している。それより先のことは、大学を出てから考えようと思っている。
(よく考えたら、高校生で将来の職業とか考えてる方が稀だよな)
統計を取ったわけでもないのに、大輝はそう思う。根拠は「誰も夢を語らないから」だ。
(いや、でも恥ずかしくて言わないだけ……とかもあり得るのか?)
「翔太は、大学卒業後のことって考えてる?」
結局自分の考えに自信が持てず、大輝はそう聞いてしまう。翔太は大輝の肩に肘を置き、「うーん」と唸っている。これは考えていなさそうだ。
「永遠にテストできる職業ってなんだ?」
「あんのかそんなの。資格取得系ユーチューバー?」
「ありだな。大輝、YouTubeやらね?」
「オレもやんのかよ。やだよ」
やっぱり翔太が何も考えていなくて、大輝は安心する。しかし翔太なら将来何が起きてもなんとかできそうな気がして、あまり参考にならない。
(将来かぁ……。他にも考えることあるのに、どうしたらいいんだろ)
自分の進路、天音の移住、エクソシスト……。本来なら進路のことに全振りした方がいいこの時期に、問題が山積みだ。受験勉強に集中できる気がしない。
「佐藤くん、どうしたの?」
たくさんの破れた手形を持ち、天音が心配そうに近づいてくる。天音はこの展示を気に入っているように見えたのに、壊し方に容赦がない。
大輝は苦笑いでゴミ袋の口を開く。
「うーん、ちょっと悩み事」
「大丈夫? 私でよければ聞こうか?」
『羽生さん、海外に移住するの?』
その問いが、大輝の口から出ることはなかった。聞いた方が早いのに、「うん」と言われるのが怖くて二の足を踏んでしまう。
「ううん、大丈夫」
大輝は作り笑いを浮かべる。心の中に、不安が泥のように堆積していった。




