第35話 - 仕草が古い
ノエの背中を見送り、有馬はふぅと息をつく。正雄が逃げる時間はなんとか稼げたようだ。
(だからさっさと帰れと言ったのに、あのお方は……)
有馬は苛立ちながら眼鏡を押し上げる。しかしその顔は、周囲からはいつも通りのクールな先生に見えている。
これは、有馬の悪魔としての能力の一つだ。周囲の目を欺く力。正雄の結界に似ているが、あちらが存在の認識を歪めるのに対し、有馬の力は存在の認識を妨げない。見え方を変えるだけだ。
ノエが認識している目の赤い輝きも、この力で消している。眼鏡はそれを強化するための飾りだ。度は入っていない。
この力の弱いところは、自分にしか作用しないことだ。他人にも使えたら、天音たちの瞳の輝きも消せるのにと思う。
(母は半径三メートルまでなら他人にもかけられるというのに。私の悪魔の血がもう少し濃ければ……なんて、言ってもどうにもなりませんね)
とりあえずノエのことは大丈夫だろうと、有馬は教室に戻る。
「いやー、ありがとな将くん。助かったわ」
……なぜか教卓に、先ほど渡り廊下を歩いていたはずの正雄が座っていた。
「そこは座るところではありません。というか、なぜここに? 管理棟に行きませんでしたか?」
「行った行った。窓から飛んで入った」
「目立つことをしないでくださいと……」
「目立たねーよ。誰の頭にも認識されないんだから」
正雄は教卓から下り、ノエが去っていった方角に目を向ける。
「見えるやつか。厄介だな」
「エクソシストに一定数いることはご存じでしょう? だから早く帰れと申し上げたのです」
「楽しそうだからつい」
そう言って笑う正雄に、反省の色は見られない。有馬は苛立ちを顔に出し、ため息をつく。
「まったく、あなたという人は……」
「ごめんってー。そろそろ帰るよ」
「わざと気配を出しましたね?」
有馬が鋭い瞳で正雄を睨む。正雄は「あちゃー」と額を叩いた。仕草が古い。
「ばれてたか」
「ばれないとお思いで?」
「思った」
「舐められたものですね。何年あなたを見てきたと思っているのですか」
「二十六年。今年の誕生日プレゼント何がいい?」
「話を逸らさないでください。回らない寿司がいいです」
「オッケー。寿司ね」
正雄は教卓にもたれ、長い足と腕を組む。
「エクソシストに会うの初めてじゃん? どんなもんか知りたくなったんだよね」
「その好奇心で、一家全員を危険に晒さないでください」
「今さらだろ。スマホで撮れる証拠さえ出さなければ一緒だよ」
有馬は眉間のしわを深くする。正雄の言う通り、エクソシストが来た時点でばれているようなものだ。多少のいたずらで事態が変わることはない。
「……とにかく、遊びはほどほどにしてくださいね。証拠を引き出されたら困ります」
「はーいはい。んじゃ、残りの時間も頑張ってー」
正雄は有馬に背を向け、ひらひらと手を振る。飄々として見えるが、その背中は多少の危機感を抱いているようにも見えた。
有馬は小さく息をつく。
「海外への移住も考えた方がいいですかね……」
そのつぶやきは、決して大きな声ではなかった。聞いている者がいることなど、有馬は全く気づいていなかった。




