第31話 - ヨロピコ
(悪魔……だよな。羽生さんの身内の方?)
あの目は間違いなくただの人間ではない。二十代後半か三十代前半くらいに見えるが、天音の兄だろうか。しかし天音の両親は三十歳前後の子供がいる年齢には見えず、そもそも天音は一人っ子のはずだ。
(従兄弟とか? 足なっげぇー。モデルみたい)
まじまじと見ていた大輝は、一度まばたきをする。すると、彼の瞳からは赤い輝きが消えていた。
(あれ、赤くなくなった。見間違い?)
今の青年の瞳は紫色に見える。光の加減で赤く見えただけ……ということもあるかもしれない。大輝は目を擦りそうになり、ぎりぎりで手を止める。またコンタクトレンズが外れたら大変だ。
天音が大輝の視線の先を見て、青年に気づく。
「おじいちゃん」
「…………えっ?」
(おじ……おじいちゃんんんん!!?)
さすがに祖父のはずがない。天音の祖父なら、どれほど若くても五十代だ。三十歳前後に見えるなんてありえない。芸能人ならたまーに若々しすぎる人を見るが、特殊事例すぎる。
(聞き間違いか? うん、そうだよな! おじさんの聞き間違い! ……それでも若い気はするけど)
大輝は空元気の笑顔を作る。とりあえず、天音の身内なのは間違いなさそうだ。失礼のないようにしなければ。
青年が大輝たちに近寄ってくる。飄々とした笑みには独特の色気があり、“危ない男”感を醸し出している。ご両親とも天音とも似ても似つかない。
青年は形のいい顎に手を添え、大輝の全身をさっと眺める。
「この子が天音の彼氏くん?」
「うん」
天音はにこにこと青年を見上げる。四十センチ近く身長差があり、首が少し辛そうだ。天音は決して背が低い方ではないのに。
天音は大輝に目を向け、先ほど両親にしたように指をそろえて青年を指す。
「佐藤くん、この人は私のおじいちゃん」
「はじめましてー。羽生 正雄、六十八歳です☆」
(聞き間違いじゃなかった……)
大輝は遠い目で正雄を見る。もはや驚きを通り越し、虚無になっていた。三十歳前後にしか見えないことも、見た目に反して渋い名前も、六十代が横ピースをしていることも、一周回って「そういうもの」と思えてきた。
大輝はペコリと頭を下げる。
「ハジメマシテ……。佐藤 大輝です」
「大ちゃんね。ヨロピコ」
(ヨロピコ……?)
大輝に「ヨロピコ」は通じなかった。おそらく「よろしく」だと推測し、返事をしようとしたとき――
「なぜあなたがいらっしゃるのですか!!?」
後ろから、耳をつんざくような声が聞こえた。
大輝が驚いて振り返ると、有馬が目をまん丸にして正雄を見ていた。眼鏡がずれているが、直す余裕はなさそうだ。
有馬はずんずんと正雄に詰め寄る。
「旦那様たちがいらっしゃるのは聞いていましたし、すぐに帰られるので問題ないと判断しましたが……あなたは別です! というか、お一人ですか!? 母はどうしたのです!?」
「体調崩したから、家で休んでもらってるけど」
「護衛がいないなら尚更です!!」
大輝はこんなに怒鳴る有馬を初めて見た。事情を知らない大輝には、なぜ天音の両親がよくて正雄が駄目なのかがわからない。
「えっと……どういうこと?」
大輝は天音に助けを求める。天音は有馬とは対照的に、ほのぼのした笑みを浮かべていた。
「私とお父さんには人間の血が流れてるけど、おじいちゃんは純血の悪魔なの。だから気配が大きくて、エクソシストに見つかりやすいんだ」
「えっ!? それ大丈夫なの? 危なくない?」
「危ないに決まっています!!」
有馬が大輝に鬼の形相を向ける。とばっちりを食らった気分だ。
(というか、羽生さんには人間の血が入ってたのか……)
大輝は天音が自分を「悪魔だ」と言うから、百パーセント悪魔なのだと思っていた。後から聞いた話だが、祖父である正雄だけが純血、父親がハーフ、天音はクオーターらしい。
正雄は面倒くさそうに耳の穴をほじる。
「平気だって。気配消してるから」
「それでもばれるときはばれるんですよ! 今までもそうだったと……私は見ていませんが聞いています! ばれたら、バチカンから大量のエクソシストが送られてくるかもしれないんですよ!?」
「返り討ちにしたらいいんだろ?」
「それができるなら、最初から移住していないんですよ!!」
有馬は頭を抱える。素人の大輝から見ても大丈夫ではなさそうだが、なぜ正雄はこんなに落ち着いているのだろうか。
有馬がずれた眼鏡を直し、正雄を睨みつける。
「来てしまったものは仕方がありません……。頼みますから、くれぐれも、くれぐれも余計なことをせず、早く帰ってください」
「は~い」
有馬の目は完全に頼みごとをする目つきではないが、正雄は気にしていないようだ。正雄は有馬に背を向け、再び手形でできた校章を眺める。
「天音~、これマジで全部手形なの?」
「うん」
「すげーじゃん! 面白ぇ~。天音の手どれ?」
「どれだっけ……。佐藤くんのはこれ」
「おっ! 結構でかいんだな。いいじゃん!」
正雄は他にも天音に質問しながら、ゲラゲラと笑っている。まるでお笑いでも見ているかのようだ。
その様子を眺めながら、大輝は本日二度目の遠い目をする。この展示を面白いと思う感性も、手が大きいことをいいとする理由もわからない。
(独特すぎる……)
大輝はついていけるか不安になり、会話に入らず天音と正雄を見守った。




