第29話 - 三百円の甘さと辛さ
「ユイ! 一緒に回る、したいデス!」
「嫌」
あっさりとフラれ、ノエは肩をすくめる。何度アプローチしても、結衣は色よい返事をくれない。教室の前で非常に注目を浴びているから……ということに、ノエは全く気づいていない。
(手強いなぁ……。ますます追いかけたくなるよ)
「フフッ」
「何笑ってんの?」
結衣が辟易した顔でノエを見る。そんな結衣も好きだ。しかしここで引いてはならない理由がノエにはある。
(明日はマルコが来るんだよね。悪魔の家族も来るかもしれないし、ユイと文化祭を楽しめるのは今日しかないんだ)
ノエは天音の家族が全員来ることを期待していた。悪魔を一網打尽にしようという考えだ。情報収集をする気は、やはりなかった。
ノエはわざと肩を落とし、困った顔で結衣を見る。
「ユイと回るできるの、今日だけデス。明日、知り合いのイタリア人と回るデス。ユイとの思い出、作るしたいデス」
「う……」
結衣は悩むように眉間にしわを寄せる。ノエはすでに学んでいた。結衣は押しに弱いと。
結衣は唸りながら、上目遣いにノエを見る。
「……他に回る人いないの?」
「ハイ」
「一緒に行動したそうな女子いるよ?」
「ユイがいいデス」
「最初で最後の文化祭でしょ? あの子たちと大勢で回った方が楽しいんじゃない?」
「ユイがいいデス」
結衣は腕を組んで目を伏せる。その様子からして、とても悩んでいるようだ。ノエはただじっと、濡れた瞳で結衣を見つめ続ける。このまま押せば勝てそうな気がした。
やがて、結衣は諦めたようにため息をつく。
「……わかった。でも、あたしが行きたい場所は、あんたが興味なくても絶対行くから」
「アリガトございます!」
ノエは思わず笑みを浮かべる。不思議なものだ。成功すると確信を持っていたのに、本当に上手くいくとほっとする。
適当なことを言って相手を誘導するなど、いつもやっていることだ。上司の追及も、だいたいこれで躱している。ノエはそうやって生きてきた。「この人はこのお願いに弱い」「この人には行動で示した方がいい」。相手を観察して、成功率の高そうな手段を選ぶ。
今回もそうだった。成功するとわかっていた。それなのに、こんなに嬉しいのはなぜなのだろうか。
(これが愛、なんだね)
ノエは心が温かくなるのを感じながら、歩き出す結衣の後を追った。
「どこに行く、します?」
「模擬店でごはん買う。そろそろお昼でしょ? あんたは食べたいものある?」
「ユイが食べるしたいもの、食べるします!」
「じゃあカレーね」
「カレー! Japanese food!」
「いや、カレーはインドでしょ」
「curry giapponeseはJapanese foodデス」
「なんて?」
結衣とノエは話しながら校舎の外に出る。校庭にはたくさんの屋台が並び、いつもの学校とはずいぶん様子が違う。ノエはもう学校の構造は把握しきったと思っていたのに、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。これは明日悪魔を見つけても、追いかけるのは難しいかもしれない。今日中に覚えよう。
ノエはひたすら結衣について行く。人の隙間を器用に縫って歩く結衣は、まるで忍者のようだ。ノエは結衣に「離れるしそうデス。手をつなぐ、しましょう!」と提案したが、断られた。
やがて、カレーのいい匂いが漂ってくる。その匂いが強くなってきたとき、結衣がぴたりと立ち止まる。どうやら目的地に着いたようだ。
「普通のカレーでいい?」
「ハイ!」
ノエはカレーの値段を確認する。三百円だ。こんなに安く食べられるのかと思いながら、ポケットから財布を取り出す。
しかしそれより早く、結衣が店員に小銭を手渡す。店員が結衣に渡したカレーは、二人分あった。
「はい」
結衣は当然のようにカレーをノエに手渡そうとする。ノエは驚き、きょとんとした顔で結衣を見る。
「ボク、お金払うしてないデス」
「いいよ、三百円くらい。早く持って」
ノエは戸惑いながら、カレーの入った紙の器を受け取る。「いい」が否定なのか肯定なのかいまだにわからないが、おそらく結衣は三百円を要求していない。
「アリガトございます……」
結衣はすぐに歩き出し、ノエはまた結衣の背中を追う。どうやら校庭の端に飲食スペースがあり、結衣はそこに向かっているようだ。
昼間近だからかテーブルは空いていなかったが、椅子だけならいくつか空いている。結衣とノエはそこに座った。
「いただきます」
「イタダキマス!」
ノエは結衣を真似て、スプーンでカレーと米を一緒に掬う。ノエは日本のカレーの存在は知っているが、食べるのは初めてだ。
想像よりドロドロしたそれを、ノエはそっと口に入れる。その口当たりと味わいに、ノエは目を見開いた。
「Buono!」
「ボー……なに?」
「おいしいデス!」
ノエはすぐに二口目を運ぶ。思いのほか辛くないそれには、野菜や果物の甘味が感じられる。果物が入っているようには見えないが、よく溶け込んでいるのだろう。
(マルコから美味しいとは聞いてたけど、想像以上だ! これはイタリアに持って帰りたいね!)
そう思い、ノエはふと“帰り”のことを考える。ノエは高校を卒業したらイタリアに帰る。結衣といられるのは、あと半年だけなのだ。
(このまま日本に残るのは……難しいだろうな。仕事で来てるんだから)
ノエは隣の結衣を見る。生ぬるい風が吹き、結衣のポニーテールが揺れる。愛らしい横顔は、ノエには向けてくれない温かさを宿している。カレーが美味しいのだろう。
(あと半年で、その顔をボクにも向けてくれるようになるかな。いや、向けてくれたら離れたくなくなっちゃうかも)
ノエは苦笑し、手元のカレーに視線を戻す。たった二日で、思った以上に結衣に惹かれているようだ。ノエは惚れっぽい方ではあるが、一人の女の子にこんなに夢中になるのは初めてだった。
ノエは再びカレーを口に含む。甘いと感じていたそれに、次第に辛さを感じるようになってきた。
(離れたくないな……。でも、先のことを考えても仕方ないよね。せっかくユイが一緒にいてくれるんだし、今は楽しまないと)
ノエは口元に笑みを浮かべる。笑っていれば、自然と楽しくなってくるものだ。次に行く場所を楽しみにしながら、ノエはカレーを掬った。




