第2話 - 好きって言われてなくね?
「佐藤くんは美術部だよね。どんな絵を描いてるの?」
学校の帰り道、天音はおっとりした笑みで大輝を見上げる。その上目遣いに見惚れながら、大輝は緩みそうになる表情筋を引き締める。
「風景が多いかなー。たまに人も描くけど」
「油絵?」
「油絵」
「今度見に来る?」と言いかけて、大輝は口をつぐむ。天音とつき合っていることは、まだ誰にも言っていない。というか、怖くて言えない。
天音とつき合い始めてから一週間、今のところは平和なおつき合いが続いている。二人でいるのは部活が終わった後の帰り道だけで、クラスでは今まで通り友達と過ごしている。
電車なら一駅の距離をわざわざ歩いて帰るのは、一緒にいる時間を少しでも増やすためだ。帰る方向が同じであることは、大輝は一年生のときから知っていた。偶然見かけただけで、決してストーカーではない。
「今描いてるのも風景画?」
純粋な天音の言葉が刺さり、大輝は視線を泳がせる。部室にある大輝のキャンバスは、いまだ購入したときの姿のままだ。
「あー……。今は何も描いてないっていうか……ちょっと行き詰まっててさ」
「そうなの?」
「うん。モチーフが決まらなくて……」
あれからキャンバスに向かっても、思い浮かぶのは赤い空を背負った天音の姿だけだ。恐ろしいが幻想的な景色が、今でも大輝の脳裏に焼き付いている。
しかしあの景色を描くことは憚られた。その絵を見た誰かが、天音が悪魔だと気づく可能性があるからだ。
(そんなやついるとは思えないけど、羽生さんの信用を失うのも怖いからな……。つき合えたのが奇跡みたいなものだし。つか、羽生さんはオレの何がよくてつき合って……)
そこまで考えて、大輝ははっとする。
(オレ、羽生さんに「好き」って言われてなくね?)
『それじゃあ……よろしくお願いします』
あの日の天音の声が、大輝の脳内にこだまする。天音は「好き」とも「いい」とも言っていない。大輝について、何の評価も下していないのだ。
(え……? じゃあなんで『よろしくお願いします』になったんだ? 悪魔でも気にしないって言ったから? 誰も気にしねーだろそんなこと)
しかし他に理由が思いつかない。学力も容姿も家柄も並みである大輝に、才色兼備の天音が惹かれる要素はない。せいぜい運動ができるくらいだが、運動部ではないのでそれも発揮されていない。
(誰でも、よかった……?)
その答えに行きつき、大輝は愕然とする。この「天音の彼氏」という立場は、どうやらいつ終わってもおかしくないほど危ういものらしい。
「……佐藤くん?」
心配するような声が聞こえ、大輝は我に返る。天音を見ると、案の定眉尻を下げて首をかしげている。
「絵のモチーフ、そんなに詰まってるの?」
「えっ、あー……いや、まあ……」
大輝が沈黙した理由を、天音は絵のことだと勘違いしているようだ。訂正しないほうがいいだろうと、大輝は言葉の続きを探す。
そのときふと、大輝はあることを思いついた。
「描いてほしいものとかある?」
言ってから、なかなか無茶な質問をしたと大輝は思う。なぜなら、天音は大輝の絵を一度も見たことがないからだ。
しかし大輝は、天音が描いてほしいものを描きたいと思ったのだ。
(オレ自身じゃなくても……絵だけでも、いいって思ってもらいたいよな)
あわよくば自分のことも……と大輝は思うが、それは高望みだろうとすぐに諦める。
困るだろうと思っていた天音は、予想に反して明るい笑みを浮かべた。
「ひまわり!」
「ひまわり?」
天音が「うん!」と元気よくうなずく。
「私が一番好きな花!」
大輝は少し意外に思う。天音はもっと落ち着いた、道端に楚々と咲く花を好みそうなイメージがあった。
しかし天音がそう言うならと、大輝はしっかりとうなずく。
「わかった。描けたら見せるな」
「うん! 楽しみにしてるね」
天音のひまわりよりも華やかな笑顔に、大輝は思わず頬を緩める。少し苦痛だった部活の時間が、明日から楽しくなる予感がした。
そのときだった。天音が突然立ち止まり、勢いよく後ろを向いた。
「ん? どうした?」
大輝もつられて振り向くが、気になるものは特にない。見慣れた住宅街から、時折子供の声が聞こえるだけだ。
天音を見ると、微動だにせずじっと遠くを見つめている。その顔は警戒しているのか、今まで見たこともないほど硬い。
(悪魔にしか見えないものがあるのか?)
大輝がもう一度後ろを向こうとしたとき、天音がくるりと大輝に目を向ける。その顔はいつもどおりの、おっとりとした笑みに戻っていた。
「ごめんね、いきなり立ち止まって。誰かに見られてる気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
「え、大丈夫? もしかしてストーカーとか……」
「ううん。本当に大丈夫。心配かけてごめんね」
「何もないならいいけど……なんかあったら遠慮せずに言えよ」
「うん。ありがとう」
天音が歩き出し、大輝もその後ろに続く。大輝は気になりながらも、それ以上追及することはなかった。
天音たちの一キロ後ろで、男は息をひそめて身を隠す。電柱の影から前を覗くと、長い前髪が眼鏡の縁からさらりと落ちる。
(お嬢様には気づかれてしまいましたね。さすが、悪魔の血を濃く受け継ぐお方。しかし帰りの時間が変わったと思ったら、まさか男と帰っているとは……)
男は眼鏡を中指で押し上げ、赤みの強い切れ長の瞳を光らせる。
(佐藤 大輝……。少し探りを入れる必要がありますね)




