第1話 - 人生最大の早とちり
キーンコーンカーンコーン――
聞き慣れた鐘の音が響き、大輝ははっと顔を上げる。目の前のキャンバスは真っ白で、大輝は大きなため息をつく。
(全然集中できなかった……)
高校生活最後の絵を描かなければいけないのに、大輝の頭は昨日のことでいっぱいだった。あの非現実的な景色は、一晩で忘れられるものではない。
しかしもっと非現実的なことが、大輝の身に起こっている。大輝はそそくさと荷物をまとめて立ち上がる。
「お、お先に失礼しまーす……」
「はーい、お疲れ様ー」
疑う様子のない部員たちに見送られ、大輝はさっと美術室を出る。心臓が痛いくらいに早鐘を打ち、比例するように足取りも速くなる。
大輝はトイレに立ち寄り、鏡を見て髪を梳く。少しチャラくも見える跳ねた髪は、いつもどおりなのに妙にぼさっとして感じる。結局どうにもならず、大輝は学ランの襟だけ直してトイレを後にする。
教室棟に移動し、自分の教室の扉に手をかける。大輝はふーっと深呼吸し、意を決して扉を開けた。
「おまたせー……」
目に入った姿に、大輝は思わず息をのむ。
窓側の席に、オレンジ色の光を浴びた美しい少女が座っている。整った横顔はほんのり赤く、凛とした佇まいは指の先まで気品に満ちている。
彼女は大輝に気づいたのか、ふわりと髪を広げて首をひねる。
「佐藤くん」
ささやくような声に、大輝はドキッとする。澄んだ音色は、自分の下心まで全て洗い流していくようだ。
大輝はあわてて扉を閉め、小走りで彼女に近づく。
「羽生さん、ごめん遅くなって……」
「ううん、華道部が早く終わっただけだから。部活お疲れ様」
天音が赤みのある大きな瞳を細める。その笑顔は、天使と称されるのも納得のかわいさだ。
(誰も思わないよな……。まさか天使が悪魔で――しかも、オレみたいな普通の人間とつき合ってるなんて)
そう、告白は成功したのだ。大輝にも理由がわからないまま。
高校三年生になり、大輝は去年同様、天音と同じクラスになった。嬉しい半面、「またただのクラスメイトで一年を終えるのか」という思いもあった。
昨日は始業式で授業がなく、大輝が所属する美術部は休みだった。大輝は意を決して、天音の机に紙を入れて呼び出した。ノートを千切っただけの紙は味気ないが、便箋などないのだから仕方がない。
天音は呼び出しに応じてくれた。そうして告白した大輝に、天音が放った言葉が――
「なんでわかったの? 私が、悪魔だって」
「え?」
大輝の口から、素っ頓狂な声が漏れる。大輝が天音を「悪魔だ」と言ったのは比喩であり、本当に悪魔だと思っているわけではない。というか、悪魔が実在するとも思っていない。
目の前の天音は虫の羽を生やし、焼けた空を背負っている。穏やかだった顔からは笑みが消え、赤い瞳が爛々と輝いている。
明らかに恐ろしいことが起きている。大輝は手も首も体も、とにかく必死に横に振った。
「いやいやいや! 悪魔っていうのは比喩で、本当に悪魔だと思ってるわけじゃないから! 悪魔みたいにかわいいっていうか、もう本当にそれくらい魅力的っていうか、悪魔が実在するとか本当に全っっっ然知らないから!!」
「……え?」
天音の口から間抜けな声がこぼれ、瞳から不気味な輝きが消える。背中の羽は閉じられ、空は一瞬にして青みを取り戻した。
「……私のこと、悪魔だって気づいたんじゃないの?」
「気づいてない気づいてない。本っ当に知らない」
きょとんとする天音に見とれながらも、大輝は必死に首を横に振る。ここで半端な態度を取れば、大輝は消されてしまうかもしれない。
「そう、なんだ……」
天音はかーっと顔を赤くし、恥ずかしそうに口元を手で隠す。
「ごめんなさい。早とちりしちゃった……」
かわいすぎる仕草はやはり悪魔だと思いながら、大輝はほっと息をつく。とりあえず殺されることはなさそうだ。
天音は大輝に向き直り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「驚かせてごめんなさい。でも、私が悪魔なのは事実だから、お付き合いは……」
(あ、そうだ。告白したんだった)
大輝は必死になりすぎて、すっかり目的を忘れていた。大輝は目を泳がせながら、ごまかすようにへらへらと笑う。
「いやぁ……オレ、悪魔とかそういうの気にしないよ! たしかに、ちょっとびっくりしたけど……でも、羽生さんは羽生さんだし、悪魔とか人間とか、関係ないんじゃないかな、うん!」
大輝の頭はこの告白を成功させることにシフトしていた。なぜならここで振られると、最後の高校生活が気まずくなるからだ。
天音はふっと顔を上げる。くりくりとした瞳は、まるで期待しているようだ。
「……本当? 佐藤くんは、私が悪魔でも気にしない?」
「うん! 全然気にしない!」
大輝は何も考えず即答する。本当は気になりまくっているが、そんなことは頭の隅に放り投げた。
天音の表情がふっと緩む。はにかむ笑顔は、大輝のことを一ミリも疑っていないようだ。
「ありがとう。それじゃあ……よろしくお願いします」
天音が丁寧な所作で頭を下げる。大輝はつられてペコリと礼をする。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
(ん? お願いします? お願いしますって言った?)
大輝が顔を上げると、天音は満開の桜のようににこにこと微笑んでいる。
(え、通った……? オレ、羽生さんとつき合えるのぉ!?)
大輝は驚きながらも、内心ガッツポーズをする。
こうして大輝は、誰もがうらやむ美少女とつき合うことになったのだった。




