第25話 - 話してよかった
「それから殴るのをやめたんだ。『なんで殴っちゃダメなのか』の答えが、なんとなくだけどわかった気がしたから。今でも揉め事見かけたら止めるけど、誰も傷つけないように気を付けてる」
ザッザッと砂を踏む音が響く。長くなると思っていた昔話は案外短く、教室からグラウンドに足を踏み入れるまでの、ほんの数分で終わってしまった。あと話せることと言ったら、大輝に臆せず話しかけてきた翔太のことくらいだ。
(まあ、翔太は小学校から一緒だしな……。話すことでもないか)
「幻滅した?」
大輝は笑顔を作って天音を見る。いつの間にか大輝の小指を握っていた天音は……泣いていた。
「えっ、ちょ、大丈夫!?」
まさか泣き出すとは思わず、大輝は慌てて立ち止まる。ポケットからハンカチを取り出して天音の目元を拭うと、天音は小さくうなずいた。
「うん、大丈夫……。ごめんね、心配かけて」
(あ、『ごめんね、別れてください』って言うかと思った……)
覚悟していたはずなのに、『ごめん』と言われるとやはり怖くなる。大輝はバクバクと鳴る鼓動を感じながら、涙にぬれたハンカチをポケットにしまう。
「オレの方こそ、ごめん。怖かったよな」
大輝は天音が泣いた理由を、怖かったのだと解釈した。自分のことだから普通に話せるが、客観的に見て、大輝の行動は恐ろしいだろう。
しかし天音は、ふるふると首を横に振る。
「違うの。怖かったんじゃなくて……」
天音は大輝の顔に手を伸ばし、左目の近くにそっと触れる。
「痛かったよね……」
その行動に、大輝は少し違和感を覚える。たしかに、目を殴られて痛かったのは間違いない……はずだ。正直、あまり覚えていない。しかし傷ついた部位は他にもあり、ただ後遺症が残ったのが左目というだけだ。痛みの度合いでいったら骨折の方が痛かった。
(でもまあ、話に出てきたのは目だけだもんな……)
だから目を心配したのだろう。そう解釈し、大輝はぽりぽりと頬を掻く。
「殴ったら殴り返されるのは当たり前だし。自業自得だよ」
その大輝の言葉に、天音は何か言いたげに口を開く。しかし、何も言わずに閉じてしまった。
天音はうつむき、大輝の左手をそっと握る。少し震える手に、大輝は目を細めて笑う。きっと本当は怖いけれど、強がっているのだろうと思った。
「……別れたくなった?」
「ううん」
(あ、違うんだ)
あっさりと否定されて、大輝は恥ずかしくなる。先ほどの『……別れたくなった?』は、少し格好つけたトーンだった。
(え、じゃあなんだろ……。ていうか、本当に別れなくていいの? オレ、まだ羽生さんとつき合えるの?)
半信半疑になりながら、大輝は天音のつむじを眺める。右巻きだ。
「あのね、佐藤くん」
天音の手に、ぎゅっと力がこもる。
「私も、佐藤くんに言わなきゃいけないことがあるの」
「え……」
(悪魔ってこと以外に?)
大輝は思わずきょとんとする。このタイミングで言うということは、結構大きなことだろう。しかし「実は悪魔です」以上の告白など、今後の人生で出会わない気がする。
大輝は天音の顔を覗き込もうとするが、天音はうつむいたまま、顔を上げる気配がない。
「言わなきゃいけないんだけど……まだ、勇気が出なくて。いつか絶対に話すから、それまで待っててくれる?」
天音の手の力が強くなっている。本当に、強い思いを秘めた何かがあるのだろう。
大輝は天音の手に、自分の右手をそっと重ねる。
「うん。待つよ。羽生さんが話したくなるまで」
(羽生さんが、待っててくれたみたいに)
それを言うとまた格好つけてしまいそうで、大輝はぐっと我慢する。天音は顔を上げ、潤んだ瞳をふっと細めた。
「ありがとう」
安心するようなその笑顔に、大輝もつられて微笑む。フラれるのではないか、幻滅されるのではないかという不安は、全て溶けていった。
天音が大輝の手を放し、指を絡めてつなぎ直す。ベンチが近づくにつれ、体育祭の喧騒が大きくなってきた。
大輝は握った手に力を込める。
「ありがと、受け止めてくれて」
「ううん。私の方こそ、話してくれてありがとう」
そう言った天音の顔に、無理をしている様子はない。大輝は「話してよかった」と、心から思った。
大輝は吹っ切れた気持ちでグラウンドを見る。始まったばかりだと思っていた体育祭は、いつの間にか昼休みに入ろうとしていた。




