第24話 - 痛みの理由
大輝はクラスで避けられるようになった。たまに学級委員が気を遣って話しかけてくるが、腫れ物に触るように扱っているのがわかる。大輝はすぐに会話を切り上げ、席を立った。
クラスでは喧嘩が起こらなくなった。一触即発の場面でも、大輝が教室に入るとすぐに大人しくなる。それだけでも、大輝はあのとき殴った甲斐があったと思った。
(殴らなきゃ解決できないことがある)
大輝はそう思っていた。自分が加害者になることで事件を解決できるなら、それでよかった。
それから約一年間、大輝はいろいろな揉め事に首を突っ込み、加害者を殴った。イジメをしていた生徒、生徒にわいせつなことをしようとした教師、新米教師に無茶な要求をするベテラン教師、中身のない説教を延々と続ける教師、露出狂、ストーカー、電車で泣く赤ん坊に怒鳴る大人、店員に土下座を求める客、嫌がる相手を集団でナンパする大学生。
相手を病院送りにしたこともある。自分が病院に送られたこともある。警察のお世話になったこともある。それでも、大輝がやめることはなかった。
「ありがとう」
そう言われることもたまにあった。実際、救われた人もいたと思う。けれど、悪いことをしているのに感謝されるのは不思議な気分だった。
その生活が終わったのは、最後に喧嘩をしてから一カ月近く経ったころだった。単身赴任をしていた母が帰ってきたのだ。
母は帰宅してすぐ、父から大輝の喧嘩のことを相談されていた。大輝は「また怒られるんだろうな」程度に、そのやりとりを聞いていた。
しかし母は、すぐに大輝の顔を見た。それはもう至近距離からじっと見られ、大輝はまばたきしかできなかった。
そんな大輝を、母は眼科に連れていった。理由はわからない。大輝も目を殴られて以来、視力が落ちているのには気づいていたが、見た目の違いはわからなかった。殴られた直後は腫れていたから、父がそのことを母に伝えたのかもしれない。
その結果、大輝の左目の視力が著しく落ちていることがわかった。治療で視力が下がり続けることは防げたが、回復することはないらしい。
大輝がショックを受けることはなかった。これだけ殴り殴られを繰り返せば、異常の一つや二つ出るだろう。失明しなかっただけマシだ。
家に帰ると、母が大輝の部屋に入ってきた。母は明るい笑みを浮かべ、宿題をする大輝の手元を覗き込んだ。
「不良のくせに、真面目に宿題やってんのか? 偉いじゃないか」
ニカッと笑う母は、説教をする気はなさそうだった。おそらく、母がもともと不良だったからだろう。そもそも、大輝と兄に喧嘩指導をしたのはこの母親だ。
しかし、話がありそうな雰囲気ではあった。大輝は宿題の手を止め、母と共にベッドの端に座った。
母は大輝の額に触れ、左目の上で前髪を分けた。
「眼鏡かけてても見づらいだろ。つか、今まで黒板見えてたか?」
「右は見えるから平気」
「そっちもぼやけてんだろうが」
母の言葉は乱暴だが、大輝を心配しているようだった。
(本当に怒る気ないのか?)
他の大人は皆、理由を尋ねたり怒ったりしてきたのに。大輝は不思議に感じ、思わず質問した。
「説教しに来たんじゃねーの?」
「いや、別に」
母はあっさりそう言った。
「あたしも十代のころは散々喧嘩したからなぁ。いやー、懐かしいね。不良集団を一人でバッタバッタ倒してさぁ」
「大人に怒られなかった?」
「怒られたよ、とーぜん。暴力はいけません! ってさぁ。なに当たり前のこと言ってんだって思ってたね」
「……一緒だ」
大輝は初めて、自分と同じことを思う人に出会った。いや、むしろ遺伝かもしれない。
母は後ろに手をつき、懐かしそうな目で天井の縁を眺める。
「殴られたら痛いことくらい、わかってんだよなぁ。最初から痛みを受けるつもりで殴ってんだから」
「……うん」
「言葉でわかり合えるとか言うけど、わかり合える相手じゃないから、殴るんだよな」
「……うん」
大輝の視界が、眼鏡をかけているのに歪んでいく。そもそも左右の視力の差がありすぎて、度を落とした眼鏡をかけてはいるのだが。
大輝は眼鏡を外して涙を拭う。母はぽんっと大輝の頭に手を置いた。
「正直さ、なんで殴っちゃダメなのか、あたしは今でもわかんないんだ。あたしが殴られるようなことしたなら、別に殴られてもいいと思ってるし。でも……大輝が殴られるのは、嫌だなって思う」
「オレ、も……」
大輝は嗚咽の中で、なんとか言葉を紡ごうとする。なかなか声が出ないが、母は待ってくれた。
「オレも、母さんが殴られたら、嫌だ」
「……そっか、ありがと。でも安心しな。あたしは殴られる前にワンパンで倒すから」
「全然安心できねぇ……」
大輝は泣いていいのか、笑っていいのかわからない気持ちになる。けれど、ずっと溜めていたものが溶けていったような気がした。




