第23話 - 越えた一線
※暴力描写を含みます。苦手な方は閲覧をお控えください。
きっかけは些細なことだった。大輝が中学校一年生のとき、クラスメイト二人が喧嘩をした。一人が言葉で相手を嬲り、言われた方が相手を殴った。
殴った生徒は、他のクラスメイトに羽交い絞めにされ止められた。殴られた生徒は殴り返さなかったからか、拘束されなかった。
殴られた生徒を学級委員が諫めようとしたが、彼は笑いながらこう言った。
「オレ殴ってねーもん!」
彼の主張は、殴られた自分は被害者で、殴った相手が一方的に悪いというものだ。しかし言葉の暴力を振るっている以上、悪くないわけがない。
(殴られるようなこと言うのが悪いんじゃん)
大輝はそう思いながら、席に座って彼らのやり取りを見ていた。他の生徒が担任を呼びに行っているはずだが、なかなか現れない。その間に、殴られた彼の発言はエスカレートしていった。
「オレは被害者じゃん! 人を殴っちゃダメって、小学校で習っただろ? 小学校からやり直せよ!」
「ははっ! 泣いてやんの! お前が悪いのに!」
「手ぇ出してみろよ! お前がもっと悪くなるだけだけどな!」
挑発され、殴った生徒は拘束から抜け出そうとする。しかし彼を羽交い絞めにする生徒の方が強く、彼は顔を真っ赤にして涙を流すだけだ。
殴られた生徒の挑発は止まらない。どれだけ諫められようと、「喋るな」と言われようと、その舌は回り続ける。
そのうちに、見ている大輝の方が腹が立ってきた。
(……うるさいな)
大輝はガタリと立ち上がり、彼らのところへ向かう。ギャラリーは喧嘩をした彼らに夢中で、誰も大輝のことなど見ていなかった。
大輝は喚き散らす生徒の前に立つ。そして何も言わず、彼の頬を思い切り殴った。
周囲の生徒が息をのむ音が聞こえる。このとき大輝の頭は、不思議なくらいに凪いでいた。
殴られた生徒は、勢いのまま床に転がった。彼はすぐに上半身を起こし、大輝に指をさして笑い出す。
「殴った! お前も加害者だ! オレは悪くな……」
言葉が終わる前に、大輝は彼の胸に蹴りを入れた。起き上がる前に、馬乗りになりもう一発殴る。顔を狙ったのは、黙らせるためだった。
「……そうだな。オレは加害者だよ。けど、お前は被害者じゃない」
大輝はすっと目を細めて彼を見る。先ほどまで余裕そうだった彼の目は、怯えに満ちている。
大輝は彼の胸倉をつかみ、大きく腕を振り上げる。
「殴る度胸もないのに、喧嘩なんかしてんじゃねぇ」
ゴッと、重い音が教室に響く。折れた歯が、カラカラと床を滑った。
大輝は殴るのをやめ、彼の上からどいた。静かになったからだ。彼は自分を守るように頭を抱え、音もなく泣いていた。
すぐに担任が来て、大輝は最初に喧嘩をした二人と共に事情を聞かれた。殴られた生徒はすぐに病院に向かい、殴った生徒と大輝は担任と教頭に怒られた。
「暴力は犯罪なんだ!」
「殴ったら痛いでしょ?」
テンプレートのような説教に、大輝は笑いが込み上げてきた。誰も、なぜ殴ってはいけないのかという本質を説明できない。だから「殴らなければ正義」などと思う奴が現れる。
「くだらねぇ」
思わず言葉をこぼした大輝に、教頭は怒鳴り、担任は泣いた。いつの間にか、大輝が一番悪いという扱いになっていた。それも、どうでもいいことだ。最初から、自分が悪くないと言うつもりはない。
大輝は警察を呼ばれると思っていたが、学校側は呼ばない判断をしたらしい。理由はわからない。保身だろうか。
当然ながら保護者は呼ばれた。大輝の父は在宅の仕事をしているからか、最初に到着した。父は教頭と担任に謝り、殴られた生徒の見舞いに行った。幸い大事には至らず、入院の必要はないという。学校にもすぐに通えるようになるらしい。
「なんで殴っちゃったの?」
帰宅した大輝は、すぐに父からそう聞かれた。今思えば、ちゃんと説明したら理解してくれたかもしれない。しかし大輝は「どうせ父さんも先生と同じことを言う」と決めつけ、まともに答える気になれなかった。
「イラついたから」
中身のない答えに、気の弱い父は困っていた。四つ上の兄は「そんなこともあるよな~」と言った。思うに、大輝が人を殴ることに躊躇しないのはこの兄のせいでもある。大輝は小さいころから、兄と殴り合いの喧嘩をたくさんしてきた。
大輝は部屋に戻り、普通に宿題をはじめた。大輝には、その程度の出来事でしかなかった。しかし、越えてはいけない一線は確実に越えてしまった。




